奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)は3月28日、化学の常識では鏡像異性体(光学異性体)が絶対できるはずのない鎖のように長く繋がった光学不活性な分子「ポリシラン」(ケイ素系プラスチック)を、オレンジの皮やミントの葉から採れる香料分子「リモネン」オイルに混ぜ、さらにアルコールを常温で加えて10秒かき混ぜるだけで、光学活性高分子が触媒なしで収率100%で自然発生することを発見したと発表した。

また、リモネンの体積比を2%から60%にすると、光学活性が1回から3回反転することも併せて発表された(画像1)。この現象は1953年に提唱されたF.C.フランクの鏡像対称性の破れと増幅理論では説明がつかないため、新理論の登場が待たれるという。

画像1。リモネン分子だけで高分子に左右性が発生し、リモネンの分量だけで、左右が行ったり来たりする様子を示す概念図

成果は、NAIST物質創成科学研究科高分子創成科学研究室の藤木道也教授、NAISTが大学間学術交流協定を締結している蘇州大学の杨永刚(ヤンヨンガン)教授との国際共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、2月10日付けで英国王立化学協会の化学系学術雑誌「Chemical Communications 」のWeb版に掲載され、雑誌版の5月号の表紙も飾る予定だ。

素粒子物理の世界では南部陽一郎博士が自発的対称性の破れ、小林誠・益川敏英博士がCP対称性の破れで2009年ノーベル物理学賞を受賞されたのは記憶に新しいとことである。この受賞や欧州CERNでのヒッグスボソンの検出実験、環境・資源・エネルギー問題などが契機となって、日米欧の化学者・材料科学者を中心に、鏡像対称性の破れに関する基礎研究・要素技術研究が活発に行われている状況だ。

そんな活発な研究で望まれているのが、「鏡の国のアリス」のように、鏡像関係にある左右反対の立体構造を持つ光学活性分子を簡便合成する新手法や新概念である。しかし、左右どちらか有用な光学活性分子だけを効率良く作る方法は大変難しく、原料と触媒を精密設計し、その上反応条件を最適化するなど、豊富な経験と高度な知識、そして巧みの技を必要としていた。

また、プラスチックは世界で年間2200万トン(東京ドーム18個分)ほど生産され、その多くは左右性がない安価な汎用プラスチックである。しかし今回、ケイ素系プラスチックの分子量を3万から10万程度(長さ30~100nm)にそろえ、年間生産量10万トンのリモネン(画像2)を溶媒として混ぜるだけという驚くほど簡単な操作で、誰にでも光学活性高分子ができる可能性がでてきた。

画像2。左右性がまったくない高分子に、左右性を与える鏡像関係のリモネン分子

汎用プラスチックに今回の手法を適用すれば、液晶フィルム、高純度医薬品の製造、反射防止光学フィルタ、医療用器具など、高付加価値で高機能・高性能の光学活性高分子を低コストで得られることになる。

また、使用したリモネンは再回収して何度でも利用できるため、国際競争力ある製品作りに向けた設計指針となることも期待できるというわけだ。さらに、ポリシランは紫外部で強くらせん状の偏光を強く吸収し50%以上の効率で発光するため、紫外光源の新素材としても有望である。

そして今回の発見は、鎖のように長く繋がった生命体の高分子(DNA、タンパク)がなぜ左右非対称なのかというパスツールの時代から150年以上も続く科学上の謎を解き明かすカギとなるかも知れないという。

地球上に生息する生命体は、すべて右利きあるいは左利きの分子からできている。例えば、タンパク質の素材であるアミノ酸は左利き、DNAの素材である糖はすべて右利きだ。

一方、フラスコ中の化学反応では左利きと右利きの分子(鏡像異性体)がそれぞれ等量できるにも関わらず、生命体は左右分子のどちらかしか利用していない。生命分子にはなぜ利き手があるのかは、科学者の間では「生命ホモキラリティーの謎」と呼ばれ、1860年にルイ・パスツールが問題提起してから150年以上も続く未解決の問題となっている。

1953年にF.C.フランクはその起源を説明するために、不斉(ふせい)の発生と増幅機構を示す理論(引用回数は400回を超える有名なモデル)を提案した。このモデルでは、左右を決定する因子は含まれていないが、何らかの外的要因によって左右分子に微小な不均衡が生じると左右差が無限に増幅し、最後には系全体が左右どちらか一方に偏るという内容である。

そのような実験例が、結晶・分子・高分子の世界でも自発的対称性の破れと不斉増幅・不斉増殖現象としていくつか報告されてきた。これらは左右どちらかの不斉の発生と左(あるいは右)が増幅増殖するという現象だが、不斉が反転しそれも複数回反転することは理論的にも実験的にもこれまでまったく知られていなかったのである。

今回、オレンジやレモンの皮、ミントの葉から採取される精油の主成分であるリモネンオイルを体積分率で2%から60%溶媒として使用すると、無触媒ながら常温常圧10秒ほどで、光学不活性高分子から光学活性が自然に出現し、光学活性が1回から3回も反転する現象が見出されたのである。

実験では、工業的に大量に使用されている左右性がない汎用高分子のモデルとして、「紫外分光法」と「円二色分光法」という検査法によりらせんの発生の有無が簡単に検出できるポリシランと呼ばれる3種類のケイ素骨格高分子が用いられた(画像3)。

画像3。化学の常識では左右性がまったくないとされている汎用プラスチックのモデルとして、今回実験に使用された3種類のケイ素骨格プラスチック(マゼンダ色がケイ素、灰色が炭化水素基)

この高分子は、(1)不斉炭素をまったく持たず、鏡像ができないとされていた高分子、(2)不斉炭素をまったく持たないが、1に比べ炭素数が1個だけ長くやはり鏡像ができないとされていた高分子、(3)(1)、(2)と違って不斉炭素があるもののが左右半分ずつ混じった、鏡像ができないとされていたラセミ側鎖の高分子だ。

パスツールの問題提起に対し、今回の発見から以下の4点の知見が得られた。

  1. 鏡像ができないとされていた光学不活性高分子であっても、ラセミ側鎖の光学不活性高分子であっても、リモネンを溶媒とすれば左右どちらかの光学活性高分子が簡単に発生する可能性があること。
  2. 光学活性が固定されることなく、その光学活性が簡単に反転する可能性があること。
  3. 分子量を3万から10万程度、鎖を作るケイ素の数(重合度)にして150個から500個に精密制御すると光学活性が非常に効果的に出現すること。
  4. 従来のモデルでは説明できないため、新しい理論の構築が必要なこと。

後述するが、リモネンは産業においてすでに活用されている有用ではあるが当たり前の物質であり、こうしたまさかの機能を有しているとは、誰もが思っていなかったところなのである。

生命体は、左右のどちらかだけを使ってDNA(D(右)-糖)、タンパク(L(左)-アミノ酸)ができていることは前述した通りだが、医薬品にも分子の左右性によって効能や毒性が大きく異なることは知られた事実だ。

そのため医薬品の多くは分子中の左右性を厳密に制御し、高純度品として製造しないとならない。それが高コスト化の要因の1つとなって国際競争力を下げてしまっている。従来、らせん高分子を製造するのに、例えば「シトロネロール」は400万円/Kgもの出発原料から数段階かけて合成し、特殊な触媒や精密な分子設計を必要としていた。

また、熱可塑性高分子であるプラスチックは世界中で年間2200万トンも生産されていることも前述した通りだが、化石資源である原油生産高の5~6%程度が、プラスチックを生産する炭素源として使用され、大半は燃料として消費され、そしてCO2ガスとして排出されている。

プラスチックの多くは「ポリエチレン(PE)」、「ポリプロピレン(PP)」、「ポリエチレンテレフタレート(PET)」に代表される包装容器材料、発泡スチロール(PS)に代表される梱包材料、塩化ビニル樹脂(PVC)に代表されるパイプや構造材などに使用されてきた。

合成高分子は本来、DNAやタンパクのように鎖状に100から1万個長く繋がった分子であり、DNAやタンパクのようにらせん構造を取り、本来ならば、触媒作用や分子認識など生命活動に類似した非常に高度な機能を発現する可能性を持っていると考えられている。しかしながら従来は、精密設計した原料や触媒を使用し、重合条件の最適化を行い、汎用的な合成法とはいえなかったのである。

今回の発見は、天然資源に乏しい日本あっては農産物加工の際に副産物として採れる植物資源を有効活用し、年間2200万トンも生産されているプラスチックを、高付加価値を持った光学活性な機能性高分子に変える可能性を秘めているということだ。

つまり、工業的には極めて安価に得られるラセミ体や非キラル体を高分子製造の原料に利用できる可能性を持っているということである。側鎖の炭素数の調節だけで光学活性の制御もできるのだ。

このように、ヒトに対して安全で回収可能な安価なリモネンオイルのみで種々の汎用高分子が高付加価値を持つ光学活性高分子になる可能性を秘めているため、膜法やカラム法による医薬品(片方の光学異性体が有効成分)の製造、特殊な光学フィルム、食品包装容器、医用材料などの新しい用途への展開も考えられ、科学技術イノベーションに繋がる国際競争力(低コスト化、高付加価値)ある製品作りへの基本的な設計指針となることが期待できるという。

藤木教授らは、低環境負荷・資源循環型社会システムの構築や低炭素化イノベーションの実現に向けて、1つの可能性を示すものだとしている。

なお、リモネンについても補足しておく。自然界では炭素が5個つながった構造を1つの単位「イソプレン則」として生命活動を司る情報分子群が形成されている。例をあげると、コレステロール類、性ホルモン、葉緑素尻尾部分、天然ゴム、炭素が10個つながったモノテルペンと総称される分子群(リモネンはその中の1つ)、昆虫フェロモンなど多岐にわたる具合だ。

中でもリモネンは、PRTR法に該当せず毒物及び劇物法の指定がなく、アロマテラピーとしても利用される安価で回収可能な生物由来の光学異性体がある不斉資源である。

そして、オレンジの皮やレモンの皮は産業廃棄物として処理されているが、そこから採れるリモネンは右手構造で4000円/Kgと安価。ミント葉から採れるリモネンは左手構造であり、15000円/Kgとやや高価だが蒸留して再利用でき、従来の不斉化学原料の400万円/Kgから比べると2~3桁以上安価だ。

リモネンは、工業用として印刷前に行われる脱脂時の溶媒、電子および印刷工業での洗浄、塗料の溶媒として使われている。また食品香料や芳香性の食品添加物、家庭用の洗浄剤、香料、ドライクリーニング、育毛剤にも使われており、そのほか、東京都ではプラスチックトレイ(発泡スチロール)の体積を減らし、運搬を容易にするための回収溶剤として採用されており、決して今回の発見で初めてその有用さがわかったわけではなく、すでに社会に必要なものとして大いに活用されている状況だ。

d-リモネンを含むモノテルペンは森林中に自然に存在しており、生物由来の放出量は年間1億5000万トンから8億3000万トンにも達するという。一般には柑橘類のジュースを絞ったあとの皮を廃棄する前に、有用成分(d-リモネン)を抽出する方法で製造されている。世界のd-リモネンの生産量は年間10万トンだ。ヒトに対する発癌性、遺伝毒性、臓器毒性は認められないとされており、有用な高分子といえよう(出典:UNEP/ILO/WHO国際簡潔評価文書 No.5 limonene 1998)。