2019年のHot Chipsで話題をさらったWafer Scale IntegrationのCerebras Systems社がIPO申請を発表した。実現すれば2015年の創立以来、10年弱でのIPOという快挙となる。シリコンバレーで働く者にとってIPOはまさに大きな夢である。
Wafer Scale Integration(WSI)という壮大なアイディア
Cerebras社が開発した「Wafer Scale Engine(WSE)」は、300mmウェハを1チップとして活用し、AIプロセッサを実現しようという壮大な技術である。
私はその発表を見た時には多分発表だけに終わってしまうキワモノ泡沫技術であろうという印象を持ったが、その後も着々と実績を積んで、IPOの段階に来たというのは驚きである。しかも、その製品領域が現在最も注目されているAI半導体分野であることには、シリコンバレーでひと旗揚げようという技術陣の熱い情熱を感じる。
215mm×215mmのシリコンウェハに1.2兆個のトランジスタを集積するという2019年の発表時から3世代の進化を続けて、最新の製品は4兆個のトランジスタを集積するというから、まさにお化けチップである。90万個のAIコアに44GBオンチップ・メモリを搭載したAIサーバーをシリコン上で直接クラスタ接続することでレイテンシを極端に縮め、機械学習のプログラミング効率を飛躍的に高めるという。この製品を使用したスパコンはすでに稼働していて、創薬研究などの活用例も紹介されている。
以前にもご紹介したように、WSEのようにウェハスケールのチップへの機能統合(Wafer Scale Integration:WSI)というアイディアはかなり昔からあって、多くのベンチャーが挑戦したが実際の製品化には至らなかった。その中で記録に残っているものでは、IBM互換機で一世を風靡したAmdahl社を退いた天才技術者兼CEOのジーン・アムダ―ル(1922-2015年)が立ち上げたTrilogy Systems社がある。「汎用コンピュータでIBMに挑戦し続けた男」として知られるアムダールは富士通の出資を受けてAmdahl社を設立し、IBMの互換機で対抗したが、その後IBMの安値攻勢で事業がたちいかなくなり退社した。しかし、アムダールの技術者魂はこれで終わらなかった。ワンチップ・コンピュータ実現という夢を1980年、Trilogy Systems社の立ち上げで実現した。Trilogy Systemsの製品は2.5インチウェハ上にメインフレームを造り込むという大胆なアイディアで製品化にこぎつけたが、歩留り、信頼性、実性能で目標に達せず、結局商用には至らず、5年後に姿を消すことになった。
Cerebras社のホームページなどで窺えるのは、WSEでの基本的な考え方は「冗長構造による不良の最小化」で、アムダールがTrilogy社で目指した目標と同じである。そのとんでもない技術を300mmウェハで製品化したCerebras社の設計技術陣と生産を請け負ったTSMCの力量には頭が下がる思いである。Cerebrasの創立がジーン・アムダールが92歳で没した2015年だったというのも、何かの符号を感じる。
夢を追い求めたSeaMicro社の懲りない連中
そんなことを考えながら、Cerebrasのホームページで経営メンバーを眺めていたら、興味深い事に気が付いた。
アンドリュー・フェルドマン(CEO)、ショーン・ライ(CTO)、マイケル・ジェームズ(主任アーキテクト)といった創業メンバーの殆んどが2007年に高密度サーバー製品にフォーカスして創立されたSeaMicro社出身のエンジニア達であることだ。
クラウドビジネスが拡大し始めた当時、低消費電力・高性能・高密度のサーバーには多くの注目が集まり、SeaMicro社は2012年にAMDによって買収された。当時、AMDはOpetronでの実績をばねにサーバー市場への進出に躍起になっていた。
Intelが牛耳るサーバーCPU市場に打って出るには、Opteronの成功を引き継ぐ特色のある製品を開発しようと模索していた時期で、SeaMicroが持っていた高密度サーバーのシステム設計技術は当時AMDが開発していたARMベースCPUのプラットフォームにはもってこいだった。SeaMicro社の経営陣にとってもAMDが開発する低消費電力のCPUは大変に魅力的だったに違いない。こうした背景で成立したAMDによるSeaMicro社買収であったが、2015年協業プロジェクトは突然打ち切られた。AMDはハイパフォーマンスのZenアーキテクチャーに注力するために、ARMベースでCPU開発を進めていたK12プロジェクトをキャンセルしたことが原因らしい。私自身はすでにAMDを退社していたので、これらの背景については全く承知していないが、Cerebras社はこの年に創立された。多分SeaMicro社出身のエンジニア達は揃ってAMDを退社し、新しいアイディアの実現のためにCerebras社を立ち上げたのだと察する。
AI市場で勝負を仕掛けるCerebras社
時代は変わって、サーバー市場はNVIDIAのAIプロセッサが牛耳る現状である。
WSE技術という斬新なアイディアで市場に切り込むCerebras社の今年上半期の売り上げは200億円程度で、まだ赤字が続くが、赤字幅は減少している。その事業規模は巨人NVIDIAとは比べるべくもないが、2015年の創業以来、技術改良を継続しデータフロー型の超並列マシンをワンチップで実現するという斬新な技術を商用化した技術陣の情熱には脱帽である。Cerebras社を財務的に支えるのがUAE、アブダビのG42という技術支援グループであるのも興味深い。他の出資者としてOpen AIのCEO、サム・アルトマン、以前Sun Microsystems社(現在はOracle社傘下)のCTOであったアンディー・ベクトルシャイム、以前AMDのCTOだったフレッド・ウェバー、最近Intelの取締役を退任したリ・ブ・タンなどの有名人が名を連ねる。
今後のCerebras社の動きは注意深く見ていく必要がありそうだ。