歯科医師が患者宅を訪問し歯科治療や口腔ケアを提供する在宅歯科診療は、高齢化社会を迎えた日本において強いニーズがあるにもかかわらず、従事する歯科医師は圧倒的に不足しているのが今日の状況だ。ある調査によれば、要介護者に占める歯科治療の必要な人の割合は約90%、そのうち実際に歯科受診したのは約27%にとどまるという(出典:河野正司ほか(2002))。

東京・国分寺で歯科医院を開く歯科医師、横山雄士氏は早くから在宅歯科診療に取り組む数少ない担い手の一人だ。歯科医院で行う日中・夜間の通常診療と並行して週3~4日は日中に患者宅を訪問して診療に当たっている。かなりのハードワークとなるため、書類作成の業務負荷の軽減や患者の医療・介護に携わる関係者との情報共有にiPadを活用しているという。

その概要は、以下の動画のようなものだ。


各種の報告書作成やレセプトコンピュータとの連携で歯科医師の業務負荷を軽減

横山医師が使っているのは、在宅歯科医療のために開発されたiPad専用アプリケーション「Sunny-CARE」だ。iPadのタッチパネル式インタフェースを利用して簡単な操作で患者に対して実施した診療記録などを入力できるのが特徴で、さらに入力した情報を基に患者の主治医や介護担当者などへ提出する報告書を自動生成してくれる。

寝たきりの患者宅を訪問し治療を行う横山医師(左)。診療記録はその場でiPadから入力すると、医院のパソコンにデータが送信される(右)

横山歯科医院 歯科医師 横山雄士氏

「以前は診療記録に基づいた報告書を1カ月分(約100件)まとめて作成するために3~4時間を要していましたが、Sunny-CAREを使うようになって患者宅での2~3分の診療記録を入力しておけば報告書は自動的に作成されるので、後日に報告書を作成する手間は不要になりました。また、iPadで撮影した写真をそのままアプリケーションに取り込んで報告書に転載できるのも便利です。以前は、デジタルカメラで撮影した写真をパソコンに取り込んでプリントアウトして資料に貼り込むという面倒な作業が必要でしたから」と横山医師はiPadを使うメリットを語る。

iPad専用アプリケーションとして開発されたSunny-CARE

Sunny-CAREの操作画面。診療記録の内容に沿って項目選択やフリーワード入力欄が表示される(左)、フリーハンドでメモなどを書き込むことも可能だ(右)

 

レセプトコンピュータとの無線による通信機能も備えたソリューション

Sunny-CAREの開発・販売元であるサンシステムは歯科医院向けのレセプトコンピュータ「Sunny-LOSA」という製品もリリースしており、ネットワーク経由でSunny-CAREとデータ連携する機能も実装している。あらかじめ訪問先の患者データを医院のパソコンからSunny-LOSAに入力しておけば、訪問先のiPadからSunny-CAREを立ち上げてSunny-LOSAにネットワーク接続して患者の治療記録などをその場で確認できる。もちろん、患者宅で入力した診療記録はSunny-LOSAに送信できる。

「このソリューションを利用してから、患者宅を訪問する際に持ち出す書類は大幅に減りました。iPadに各種の情報が集約されるので利便性も上がっています。iPadのパスコードや遠隔ロック機能により端末の盗難・紛失時に患者の個人情報漏えいを防ぐ仕組みも用意されていますから、紙の書類を持ち出すよりもセキュリティ面は強化されています」(横山医師)

このSunny-CAREというアプリケーションは、当連載第168回「在宅医療を支える薬剤師がiPadで医師や看護師、介護スタッフとSNS連携」で取り上げた在宅医療支援アプリ「ランシステム」を基に、歯科版として開発されたものだ。開発経緯についてサンシステムの三井 康行社長は次のように語る。

サンシステム 代表取締役社長 三井康行氏

「医療関係のICTメーカーである当社は診療報酬明細書の作成を支援するレセプトコンピュータを主事業として、特に歯科向けのレセプトコンピュータを創業当初から自社開発・販売してきました。2012年に地域の保健医療・介護福祉環境の向上と発展を目的として、学術経験者、医療コンサルタント、ITソリューションベンダー、関連企業が共同して設立した『eヘルスコネクト コンソーシアム』に参加して各界のメンバーと交流している中、これからの医療は在宅を重視するべきという認識を共有しました。このコンソーシアムを通じて『ランシステム』を開発されたリンク様と知り合い、訪問歯科診療に従事する医師の不足している現状に対し、少しでも歯科医師の業務負荷を軽減できればと思ったのが開発に踏み切ったきっかけです。iOSアプリの開発に長けたリンク様と当社で共同開発し、iPadの提供元であるソフトバンクとの3社で『歯科訪問診療支援ソリューション』として2014年10月にリリースしたのが『Sunny-CARE』と『Sunny-LOSA』の連携システムです」(三井氏)

iPadはコミュニケーションツールとしても非常に便利

在宅歯科診療の難しさは、患者を取り巻く医療・介護に関わるメンバーとのコミュニケーションにあると横山医師は指摘する。

「医院に通院できない患者ですから、介護を必要とする何らかの疾患を抱えているわけです。健康な患者ならばその人にぴったり合う入れ歯を作ってあげれば歯科医の治療は終わりですが、要介護の患者は自身で入れ歯の手入れをできないケースもあります。介護に当たる家族やヘルパーが入れ歯を扱ったことがなければ、入れ歯の手入れ方法を指導しなければなりません。歯の状態に合わせた食事の指導も必要です。病状によっては食べ物を飲み込む能力が低下している患者もいます。歯を治療して終わりではなく、食べ物をしっかり噛んで飲み込むまでの全般を見ていく必要があり、そのためには主治医、訪問看護師、ケアマネージャ、ヘルパー、家族といった方々との綿密なコミュニケーションは欠かせません」

例えば入れ歯の手入れ方法は、文章でマニュアルを作成するよりもiPadで写真や動画を撮影して共有すれば理解が早い。訪問時に気付いた患者の健康状態を主治医や訪問看護師などに申し送る場合でも、その場でiPadからメールにより関係者全員に情報共有すれば効率的だ。iPadを活用した訪問歯科診療は、単に歯科医師の事務処理作業を軽減するツールにとどまらず、患者を取り巻く医師・介護スタッフ・家族との多職種連携を促進することで患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)を向上させる可能性も秘めている。

「医科の領域では担当医や介護スタッフ、薬剤師などの多職種連携は進んでいますが、歯科についてはまだ発展途上の状況です。口腔内の清掃や咀嚼(そしゃく)、嚥下(えんげ)を改善するために歯科医と栄養チームの連携を図るなどのコミュニケーションは今後さらに重要となっていきます。『メディカルケアステーション』などのSNSサービスについても、環境が整い次第『Sunny-CARE』に取り込んでいきたいと思っています」と三井氏は、在宅医療における歯科の重要性を指摘する。高齢化社会の進行に備え、ICTを活用した医療支援はますます重要になってくるだろう。