5Gで注目された「低遅延」を実現する技術として、大きな期待が寄せられた「MEC(Multi-access Edge Computing)」。需要開拓が進まず利用が広がらなかったMECですが、AIの急速な進化によってMECに類する技術が再び注目を集めています。一体なぜでしょうか。→「ネットワーク進化論 - モバイルとブロードバンドでビジネス変革」の過去回はこちらを参照。
5Gで脚光を浴びたMECはなぜ低迷したのか
日本では2020年商用サービスを開始した通信規格「5G」。2026年時点ではすでに、日本では多くの人が5Gを利用できるスマートフォンを保有しており、5Gの本領を発揮できるスタンドアローン(SA)運用への移行が進むなど、広く利用されるようになっています。
しかし、その5Gがサービスを開始した当初は、スマートフォンを高速にする以外にも多くの用途に活用されることが期待されていました。中でも注目されていたのが、車の自動運転やロボットの遠隔操作などで、その実現に欠かせない技術として高い関心が寄せられていたのがMECです。
ネットワークを通じて自動運転や遠隔操作などをする際には、人の操作と実際に操作する車などの動きにずれが生じないよう、遅延が少ないことが求められます。そして5Gはその遅延が非常に小さいことが特徴の1つでもあったことから、自動運転など新たな需要開拓につながるとして期待されていました。
遅延を小さくする技術として注目されたのがMECです。現在は端末と巨大なクラウドをネットワークで接続し、負荷のかかる処理を巨大なクラウドでこなして端末側でその結果を得る「クラウドコンピューティング」が広く利用されていますが、クラウドのベースとなるデータセンターは日本、あるいは世界中のあらゆる場所に配置されています。
そして、どれだけ通信速度が高速であっても、端末とクラウドとの距離が離れていれば、必然的にデータをやり取りするのに時間がかかってしまいます。それがネットワーク遅延を生じさせる主な原因の1つなのです。
そこで携帯電話の基地局などネットワークの中にある設備にサーバを置き、クラウドが担う処理の一部を負担させる訳です。端末と基地局であればクラウドより距離が近く、遅延を大幅に抑えられることから、クラウド経由の処理を減らして遅延を少なくするというのがMECの考え方になります。
5Gの中でも低遅延の実現は、とりわけ企業向けの新しいビジネス開拓に大きくつながると期待されていたことから、サービス開始当初、MECには非常に大きな注目が集まっていました。しかし、蓋を開けてみると、5Gの低遅延を必要とするユースケースがほとんど開拓できなかったことから、MECの活用も限定的なものにとどまっているというのが現状です。
「フィジカルAI」で急台頭する低遅延のニーズ
ただし、ここ数年のうちに状況が大きく変わり始めており、その理由はAIにあります。AIの急速な台頭は通信の世界にも大きな影響を与え、今後AIによって通信のニーズやトラフィックの傾向が劇的に変化すると予測する向きが増えています。
背景にあるのが、人の代わりにAIが自律的に必要な作業して目的をこなす「AIエージェント」、そしてAIをロボットなどの機器に搭載して自律的に行動する「フィジカルAI」の台頭です。これらの利用が広がることで、1つにAIがクラウドで推論させるための情報をアップロードする機会が増え、アップロードの通信が大幅に増えるとされています。
そしてもう1つ、とりわけフィジカルAIの台頭によって、AIが要求する操作と、クラウドで推論処理してその結果を機器に反映し、実際に動かすタイミングのずれを最小限に抑える必要が出てきているのです。そのためにはネットワークで生じる遅延をより小さくすることが求められ、遅延を抑えるためのMECに類する技術に対する関心が、再び高まっているのです。
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2026年8月26日にノキアソリューションズ&ネットワークスが実施した「Amplify Japan 2026」より。フィジカルAIが台頭する今後は、ネットワーク全体で従来以上の低遅延が求められるという
実際、エリクソンやノキアといった大手通信機器ベンダーはここ最近、推論などAI関連の処理をクラウドだけでなく、携帯電話基地局などネットワークのデバイスにより近い場所でこなすことで、低遅延を実現するとともにクラウドの負荷低減につなげられることをアピールする機会が増えています。
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2026年9月28日に実施された「エリクソン・フォーラム2026」より。低遅延が実現のためにもクラウドより端末に近いネットワークでAIの推論処理をこなす必要があるとし、それが通信事業者の成長機会にもつながるとしていた
またソフトバンクや米エヌビディアらが主導して進めている、携帯電話の基地局など無線制御装置とAIサーバ機能を同一基盤上で実現する「AI-RAN」でも、対応する基地局をエッジAIサーバとしても活用し、低遅延が求められる推論処理などをそちらで処理して低遅延を実現する取り組みが進められています。
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ソフトバンクは「AI-RAN」によるネットワーク基盤「AITRAS」を開発しており、2024年にはその試験環境を用いたデモも披露。基地局の設備をAIサーバとしても活用し、エッジでの推論処理に用いて低遅延を実現する様子などが披露されていた
そしてネットワーク上でAI関連の処理をこなすことができれば、ネットワークがデータを運ぶ“土管”だけではない役割を持ち、通信事業者の収益機会拡大にもつながります。それだけに、AIというキラーアプリの登場で低遅延のニーズが大きく高まろうとしているのを機として、通信関連事業者がMECに近い発想の技術やサービスの開拓に力を入れている訳です。
もちろんそのためにはフィジカルAIの需要開拓が進む必要があるため、実現にはまだ時間がかかるでしょう。ですがスマートフォン以上の需要開拓が進まず、通信事業者の収益機会にもつながらなかった5Gが、AIによってようやくポテンシャルを発揮できる可能性が高まってきたことは、業界全体で見ても大きなメリットといえるのではないでしょうか。

