重要なポストの継続性を確保するために、後継者を計画的に育成する施策として「サクセッションプラン」に着目する企業が増えている。 だが、通常の人材育成との違いを把握しないままサクセッションプランを策定・実施しても、期待する成果を得ることは難しい。
今回、SmartHR 人事統括本部 人材・組織開発本部の六原恵氏に、サクセッションプランの在り方や策定にあたって注意すべき点などについて、同社での取り組み事例を交えながら解説していただいた。
サクセッションプランとは
サクセッションプランとは、企業が将来の幹部候補や経営上重要だと考えるポストに就く人材を、その人材が必要になるタイミングから逆算して計画的に育成・確保することを指す。SmartHRの場合、今後企業規模が拡大していくことを見越して、既存のポストだけでなく、将来的につくられる可能性がある新しいポストについての候補者も選定、育成しているという。
スピード感の変化で高まる後継者育成の重要性
サクセッションプランの概念自体は昔から後継者育成というかたちで存在していたが、「近年、その重要性が増している」と六原氏は語る。その背景にあるのが、2つの“スピード感の変化”だ。
1つは、人材流動および人材育成のスピード感である。従来の日本企業は新卒一律入社でじっくりと時間をかけて人材を育て、そのなかから後継者候補を選定するという流れが一般的だった。しかし現在は、せっかく育てても離職してしまうケースが増加する一方、中途入社などで新たな人材を獲得する機会も増えており、人材が流動するスピードが速まっている。これに伴い、社内の人材を棚卸しするサイクル、また人材育成のサイクルも速くなっているのだ。
もう1つは、事業の移り変わりのスピード感だ。VUCAの時代、と言われるように、世の中が目まぐるしく変化する現在は、企業の事業活動もどんどん進化していくことが求められている。これに応えるには、将来の幹部候補や経営上重要だと考えるポストに就く人材をスピード感を持って育成しつつ、重要ポストの要件や人材プールを事業活動に合わせて日々アップデートしなければならない。
SmartHRは2024年にサクセッションプランの策定を行い、現在取り組みを進めている。きっかけになったのは、同時期に事業戦略として「マルチプロダクト戦略」を掲げ、新領域への参入や大きな組織成長を改めて明示化したことだ。同社は事業の拡大にあわせて、組織の拡大も行ってきた。ちょうどこの頃、自社をスタートアップ企業と大企業の間の規模である「スケールアップ企業」と位置付けたのだという。
「スタートアップのときは未来よりもまず“目の前の事業成果”を重視していました。スケールアップ企業にフェーズが変わってきたタイミングで、より中長期的な目線で事業計画に沿うかたちでの後継者育成にアンテナを向け始めたのです。
また、この頃からマネジメントポジションの兼任が目立ち始めるなど、組織の拡大に人の成長が追い付かなくなっていると感じていました。その点でも、計画的な後継者の育成が必要だと判断し、サクセッションプランの策定に着手しました」(六原氏)
企業にとって重要な人材の可視化
サクセッションプランの最終目的は「候補者の計画的な輩出・登用」だが、プラン策定の過程においても企業にとってさまざまなメリットがある。その1つが社内タレントの可視化だ。そもそも今、自社にはどのような人材がいるのかを改めて可視化することになる。また、将来の組織計画やポストと比較することで、将来的なポストに必要な人材の不足も判明するはずだ。これが分かれば、ふさわしい人材を社内で育成するのか、外部から獲得すべきなのかといった議論を進めることも可能になる。
仮にこの可視化ができていない場合、いざポストの空白が生まれたときに初めて適任者を探すことになり、「本人の能力や組織からの期待値が擦り合っていないまま人を選んでしまうことになりかねない」と六原氏は指摘した。
サクセッションプランの立て方
サクセッションプランの策定にあたっては、事前に経営層レベルで事業計画に即した組織計画が立てられていることが前提だ。では、その前提はクリアしたとして、具体的にどのようなプロセスで策定していけばよいのだろうか。
重要ポストの特定
六原氏が「人事部門としてのファーストステップ」として挙げたのが、重要ポストの特定だ。つまり、サクセッションプランで育成すべきポストの範囲を決める。一般的には、経営幹部や事業責任者などのポストを選ぶ企業が多いというが、SmartHRの場合は今後の企業規模拡大を見据え、経営幹部クラスから、部長クラスのミドルマネジメント層までを重要ポストとして設定したそうだ。
必要なスキルや能力の定義
育成すべきポストが決まったら、次はそのポストに対して必要な人材要件を定義する。どのようなスキルがあり、どんな知識・経験・姿勢やマインドを持っている人が適任なのかを洗い出すプロセスだ。この要素は、学習意欲、変革体現といったカルチャーマッチや行動特性などから、ポジションによって、法務や情報セキュリティなど具体の専門性や資格が必須条件になる場合も考えられる。
候補者の人選
ポストの範囲と必要なスキル・能力の特定ができれば、いよいよ人選だ。これにはさまざまなやり方が考えられるが、SmartHRの場合はまず、人選を行うポストの上長と現職経営幹部が候補者をピックアップすることから始めるのだという。その後、通称「タレント会議」(サクセッションレビュー)の場でそのポストと横のつながりのある部署を統括する経営幹部らと人事が議論し、最終的な候補者を決定する流れだ。
なお、同社では採用していないが、企業によっては立候補制を採り入れたり、客観的なアセスメントを入れたりすることも考えられる。特に大企業では社内の人材全てを把握するのが難しいケースも少なくない。そうした場合は、外部アセスメントによりまず条件に合う人材をピックアップし、その後に関係者で調整をするかたちを採用してもよいだろう。
では、人選の際、どのくらいの人数を選ぶべきなのか。
「基本的には人材プールに何人いるのかという点と、その人材が何年以内にそのポストに就く可能性があるのかという時間軸で考えるべきでしょう。時間軸の点で言うと、1年以内にそのポストに就ける能力を持つ人材を少なくとも1名は確保できている状態が、会社としては安心だと思います」(六原氏)
育成計画の策定と実施
候補者の選定後はいよいよ、育成計画の策定と実施だ。また、SmartHRにおいて育成計画の主体となるのは、後継者を選抜した現職の経営幹部だ。
「経営幹部や重要ポストに就く人材の育成は、人事側から学ぶべき内容を提案し、実施してもらえばうまくいくものではありませんし、研修を受けてスキルを取得すればよいというものでもありません。基本的には、今、そのポストについている上長に、育成責任を持ってテーラーメードで育てていただくのが1つの方法だと考えています」(六原氏)
とはいえ、現職の経営幹部は忙しいはずだ。通常業務に加え、どうやって後継者を育成するのかを1人で考え、実行するのは難しいだろう。同社では人事からの部署横断的な選抜研修や、直属のレポートライン以外の経営層からのメンタリングなどのサポートを行っている。
また、中長期的な計画においては「選択と集中をすることも必要」だと六原氏は話す。
「今期、誰に対して集中的に育成をするかは経営幹部と人事で相談のうえ、決定しています。タイミングが来たらすぐにでもそのポストに就いてほしい“レディ(Ready)”な人材と、数年後を見据えて選定した人材では手のかけ方も異なります。そのため、全員一律の育成計画は立てていません」(六原氏)
サクセッションプランの成功は何を基準に判断すべきか
何らかの施策を進めていく以上、うまくいっているか否かを測る判断基準が必要だ。中長期を見据えて進めるサクセッションプランならなおさらだろう。六原氏は成否の目安として、「サクセッションプランで特定したポストが空白になったときに、すぐにそのポストに適した人材を充てられるか。急拡大中の企業なら、1年以内にそのポストに就ける人材を1人程度用意できているか」を挙げる。ただしSmartHRの場合、現時点では明確な成功判断基準を設定していないという。
「サクセッションプラン導入当初は、何かしらの数字を設定することも考えました。とはいえ、まずは複数回実施をしてみないと、実際にどんな話がその場ででてくるのか、どこを課題と捉え、どのような数字を置くべきなのか分からないのではないかと考え、サクセッションプランが成功したかどうかの判断基準はつくっていません。
導入から1年が経った今、今後具体的な基準を考えていこうというタイミングを迎えています。後継者育成の仕組みをつくるのは人事の仕事ですが、選定された人材に対して適切な機会やチャレンジを与えられているのか、実際に成長につながっているのかどうかは経営幹部たちと共同で責任を持ち、話し合っていけるといいなと考えています」(六原氏)
通常の人材獲得・育成との違い
六原氏は、通常の人材獲得・育成とサクセッションプランに基づく獲得・育成の違いについて、「期間と対象」だと言う。通常の人材獲得や育成の場合は、「今、人手が足りない」といった短期的な要請に応じて実施されるケースが多い。一方で、サクセッションプランに基づく場合は、中長期的な目線での育成のため、ある程度以上の期間を見据える必要がある。
育成の対象も、通常の人材育成の場合は全従業員が対象となるが、サクセッションプランに基づく場合は、特定の重要ポストに対するポテンシャルがあると見なされ、選定された人材が対象となる。
サクセッションプラン導入で気を付けるべき点
約1年間、サクセッションプランに基づく育成をしてきたSmartHR。この間にも人材プールの入れ替え、サクセッションプランにおける育成対象者の入れ替えがあった。
「前回は対象者ではなかったものの、今回から対象者になった人材もいる一方、対象から外れた人材もいます。育成を通じて、マネージャーよりもプレーヤーに強みがあることが分かったり、本人の意思が変化したりということもありました」(六原氏)
サクセッションプランは中長期で進めていくため、こうした変化はあり得ることだ。そのなかで留意すべき点として六原氏が挙げたのが、情報の機密性である。人事に関する情報、特に後継者候補に関する情報はセンシティブなものだ。
「どこまで機密にするかは会社のカルチャーによっても違うと考えています。どちらにしても重要なのは、後継者が育つために不要な摩擦はつくらないこと。SmartHRでは、パイプラインや人材プールは全社に公開していませんが、上長からの候補者本人への期待値のお伝えは推奨しています」(六原氏)
課題ベースのスモールスタートを推奨
六原氏は、これからサクセッションプランの導入に取り組む企業担当者に向け、「最初から完璧な計画を立て、仰々しく始めるよりも、自社の2~3年後の組織的・人材的な課題を見つけ、課題ベースで小さく始めてみることが大切」だとアドバイスする。
「最初から完璧にしようと考えると、プランの策定で止まってしまい、実行に移せません。弊社の場合、『まずは選んでみようか』という気持ちでやり始めました。その結果、『選んだのであれば育成しよう』という意識が経営幹部のなかで醸成され、人材への気のかけ方、手のかけ方も変化してきています。
また、人事側でも回を重ねるごとに、見えてくるものがたくさんあると感じています。何よりもまず、始めてみることが大切なのです」(六原氏)

