昆虫は既に知られている種だけでも約100万種あり、未発見の種を含めると数百万種に及ぶとする推定もある。陸上や淡水環境のあらゆる場所に進出している昆虫だが、海洋への進出例は極めて少ない。
ただし、海水が完全に苦手なわけではなく、海面や波打ち際などで暮らす種も存在し、ガガンボにもそうした仲間が含まれる。しかし、海岸で暮らすガガンボはこれまで十分な調査が進んでおらず、未解明の部分が多く残されていた。
そうした中、名古屋大学は伊豆半島・八幡野の潮間帯から、ヒメガガンボ科ナミヒメガガンボ(Dicranomyia)属Idioglochina亜属の新種を発見。学名を「Dicranomyia (Idioglochina) nagisa」、標準和名として「ナギサガガンボ」と命名したことを、10月1日に発表した。
あわせて、これまで設定されていなかった同亜属の標準和名として「イソガガンボ亜属」が新たに提唱された。
同成果は、名大大学院 理学研究科 附属臨海実験所の自見直人講師、同・下岡敏士大学院生の研究チームによるもの。詳細は、日本動物分類学会が刊行する、動物の分類・系統・進化・生物地理などを扱う英文オープンアクセスジャーナル「Species Diversity」に掲載された。
海辺に棲む“未知の昆虫”
ガガンボはハエ目(双翅目)に属し、細長い体と長い脚が特徴の昆虫だ。多くの種は幼虫期を淡水の水辺や湿った土壌で過ごし、成虫の寿命は数週間から数か月程度と短い。
一方、イソガガンボ(Idioglochina)亜属は知られている全種が海岸環境に関連しており、インド洋・太平洋沿岸から約30種が報告されていた。潮の干満や波しぶきの影響を受け、高塩分、乾燥、強い波、周期的な水没という厳しい条件が揃う海辺に暮らす珍しいグループで、昆虫の海洋進出メカニズムを解明する手掛かりになるとされている。
日本からこれまで同亜属は5種が記録されていたが、成虫の出現時期が限られることや、海岸の潮間帯は昆虫調査の対象になりにくかったことから、その生態などは不明な点が多く残されていた。そこで研究チームは今回、三重県の菅島・二見および静岡県伊豆半島の八幡野の海岸で調査を実施することにした。
今回の研究成果
調査では、波をかぶるぎりぎりの岩場にある乾いた海藻や岩の上を歩く個体を探す手採りと、夜間の灯りに集まる昆虫を調べるライトトラップが併用された(ただし、ナギサガガンボはライトトラップには1個体も集まらなかったとした)。
採取された標本の翅脈(脈の配置)、触角、雄の交尾器形態などを既知種と比較し、DNA解析も実施。その結果、八幡野で採集された3個体(雄2・雌1)は、体長は約6〜7mmで翅に模様がないこと、翅脈の一部が退化して特定の翅室(ししつ)が開いていること、雄の交尾器の形状などから、イソガガンボ亜属の新種であることが判明した。学名の種小名「nagisa」は、日本語の「渚」に由来し、標準和名は「ナギサガガンボ」と命名された。現時点では、伊豆の八幡野(タイプ産地)からしか発見されていない。
さらに今回の調査では、「ヒトエグサガガンボ」(Dicranomyia monostromia)の新鮮な標本が採取された。同種は1930年に紀伊半島で記載されて以降、別亜属に分類されていたが、1953年には触角形態や海岸性の生態からイソガガンボ亜属への分類可能性が指摘されていた。今回、触角節の腹側がのこぎり歯状に張り出す特徴が確認されたに加え、潮間帯の環境に強く結びついて生活することから、正式にイソガガンボ亜属へ移されることとなった。
ヒトエグサガガンボは、菅島ではライトトラップに多数飛来し、交尾する個体も観察された。また、雌は、和名の由来である緑藻「ヒトエグサ」だけでなく、褐藻の隙間や、ゴカイ類が作る石灰質の棲管の隙間でも産卵場所を探す行動を見せ、産卵に利用する微小環境がヒトエグサだけに限られない可能性が示された。なお、同じ八幡野の海岸でも、ヒトエグサガガンボはナギサガガンボよりもやや高い位置で発見されており、2種の間で生息環境や行動特性が異なる可能性があるという。
続いて、ナギサガガンボ1個体とヒトエグサガガンボ2個体から、生物の種類を見分けるための目印となる遺伝子(COI領域遺伝子と16S rRNA領域遺伝子)の塩基配列の解析が行われ、国際塩基配列データベースに登録された。これにより、形態識別が難しい海岸性ガガンボの同定や幼虫・成虫の対応付け、地域間比較、将来の系統解析に利用できる基盤情報が整ったとした。
今回の発見により、日本の身近な海岸にも、未知の昆虫が存在することが示された。ナギサガガンボは、現時点では限られた狭い環境からしか発見されておらず、海岸整備や踏みつけなどによる生息地の破壊が懸念されるという。今後、未知である幼虫・蛹の生態を探ることで、昆虫が厳しい海洋環境へどのように適応・進化を遂げたのかという大きな謎の解明が期待されるとしている。


