龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第23回)私の社葬に出たい?

ある女性社員が結婚することになりました。しかし人事部からは、彼女が退職するのか聞くように言われて私は困惑しました。そこで飲み会の席でそっと聞いてみたのです。「〇〇さん、ご結婚おめでとう。ところで仕事は続けてくれるの?」。

 すると彼女は「ええ。私、社長の社葬に出るまでは勤める覚悟です」「何それ?」「私、仕事で会長の社葬に出られなかったのです。次はどうしても出たいので、それまで大変でしょうけど社長も頑張ってくださいね」。父の社葬では涙一つ出なかったのに、この時は泣けました。

 青山斎場で執り行われた父の社葬には大変多くの方々に参列いただき、参拝者の列が青山通りに長く続いていました。66年の生涯にしては大変な影響力だったと思います。

 私も新米社長として皆様をお迎えしたのですが、ろくな挨拶もできなかったのは、悲しいとか寂しいより、一体この沈みかかった泥舟のような会社をどうすれば良いのか、そればかり考えていたからです。

 社葬の会葬御礼も終わった頃、ある役員が私のところに来て、これ以上勝手なことをするのであれば役員会で罷免してやる、と言ってきたのです。

 私が現業の立て直しに奮闘している間に、役員を7名に増やしていたのは多数派工作だったのです。手薄でした。確かに当時私がやってきたことは、まだ経営改善には結び付かず、新米社長に下手に暴れられると自分たちの退職金が減るとでも思ったのでしょう。実際、幹部社員の何人かは自主的に早期退職していきました。

 役員たちの主張は、「社長にはしておくが、一切経営には関与するな。会社は私たちで立て直す」というものでした。事実上の解任です。さすがに40億円の借入があり、相続が発生するので、代表権だけは奪えなかったのでしょう。

 しかし、そこまで覚悟があるのなら、なぜ今までやらなかったのかと問いただすと、今までは会長がいて自由にできなかった。今度はやってみせるというのです。

 私は既に営業本部長として膨大な流通在庫を整理したり、実ユーザーの調査により主力製品の生き残り策を策定していましたが、彼らはそれに代わる具体策も持っていないようでした。これでは行き詰まるのは明白です。

 実はこの時、業界団体の一環として、中小メーカーによる企業間連携を進めてきており、物流効率化のために経済産業省の補助金が採択された時だったのです。さすがに役員たちも、国の補助金事業を邪魔することはできません。

 役員会以外は出社するなというので時間もできることだし、この機会に企業間連携を徹底的に研究してみるには絶好のチャンスだと思ったのです。この時の時間は後年、家庭薬業界の共同化事業を大きく前進させることになりました。しかし個人的には大変辛いことが待ち構えていたのです。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第22回)父の想い