
「不可能を可能にする」─これが蒲島郁夫氏の人生観。熊本県知事を4期務めた蒲島氏はPRキャラクター「くまモン」で熊本の認知度を高め、台湾半導体大手・TSMCの誘致で産業振興を進めてきた。また、2016年に発生した熊本地震では「創造的復興」を掲げ、県民の生活再建など、10年間で目標をほぼ達成。後に続く人たちに「リスクを取ってチャレンジを」と話す蒲島氏が今思うことは─。
「くまモン」の経済効果は?
─ 前熊本県知事の蒲島郁夫さんは知事在任中に様々な改革に取り組んできましたが、世間に多く知られているのが熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」の成功です。どういった効果がありましたか。
蒲島 「くまモン」関連商品の売上高は、2011年からの累計で1兆7700億円となっています。この数字は、くまモンの「有名税」や、パッケージなどでの使用などの数字は含まれていませんから、実質的な経済効果はこれ以上だと思います。
これは、くまモンのキャラクター利用料を無料にし、簡易な審査で使えるようにしたからだと考えています。
一般的にライセンス料を取ると、企業等はその分しか仕事をしませんが、無料ならば利益が出たら自分たちのものですから、関連商品をつくる人たちが一生懸命に頑張るわけです。これは非常に大きいですね。
─ 利用料を取った方がいいのではという声は、県民から出ませんでしたか。
蒲島 そういう声をいただいたことはありました。しかし、例えばイタリアのローマでは広場が観光名所になっていますが、ローマ時代から貴族が教会を建て、周りに道路ができ、広場ができて、それを自由に使うことができたことで多くの人が行き来するようになりました。まさに「全ての道はローマに通ず」です。
本当の公共財というのは、そういうものではないかと思うんです。くまモンというキャラクターがあり、それを利用した方々が利益を得て、感謝の気持ちを持って接して下さる。そこから利用料をいただこうという考えはありませんでした。
ロゴデザインの話からくまモンへと発展
─ 蒲島さんやくまモンに関する著書もある、半導体文明推進研究会事務総長の永野芳宣さんは、くまモンの成功をどう見ていますか。
永野 元々の始まりは、11年にJR九州が九州新幹線を全面開業したことでした。九州新幹線では、熊本駅は終着駅ではありませんでしたから、単なる通過駅にならないための方策を必要としていたんです。
熊本県の新幹線元年事業アドバイザーは脚本家で天草市出身の小山薫堂さんが務めており、小山さんは熊本県民が日常にあるサプライズを見つけ、熊本の魅力をアピールする「くまもとサプライズ」運動を進めていました。
その中で、小山さんの友人のアートディレクター・水野学さんに、この「くまもとサプライズ」のロゴデザインを依頼しました。
─ 最初はキャラクターの話ではなかったと。
永野 水野さんから、もっとアピールする方法としてキャラクターを制作しては?との提案が小山さんにあり、それを蒲島さんの決断で受け入れたことで、くまモンが誕生したのです。
─ くまモンは自治体のキャラクターの中で最高に認知度の高いものになりましたね。
蒲島 そうですね。波及効果も大きい。くまモンの存在は、先程お話した関連商品の売り上げ以上に、県民の皆さんの「誇り」にもつながっています。
かつて、熊本県民の方々が東京などを訪れて、「どこから来られたんですか?」と聞かれた時、「熊本県です」とはあまり言わなかったそうですが、くまモンができてからは堂々と「熊本県からです」と言うようになり、相手も「あのくまモンの県ですね」と言って下さる。そういう誇りが大事だと思うんです。
私がハーバード大学で「くまモンの政治経済学」という講演をした際にくまモンを連れていったのですが、最初の段階では、くまモンは教室に入れないと言われました。ハーバード始まって以来、人類以外が教壇に立ったことがなかったからです。
─ 最終的にどうなったんですか。
蒲島 「くまモンと一緒の講演でなければ話にならない」という話をしたところ研究所長から許可が出ました。すると、最初は50~100人が入る教室での講演だったところ、くまモンが来ると聞いて200人の教室に変更になり、満員になりました(笑)。
半導体産業誘致で熊本県活性化
─ 蒲島さんは、熊本県に台湾の半導体大手・TSMCの工場を誘致するなど、半導体で熊本を活性化しようとしてきましたね。
蒲島 半導体工場をどこに建てるかという時、誰もが一番いいと思える場所に建てたいですから、場合によっては国と国、自治体と自治体、企業と企業の対立になることもあります。
1960年代から80年代にかけて、九州は「シリコンアイランド九州」と呼ばれて半導体関連産業が活況を呈していました。
今回は例えば「シリコンアイランドくまモン」にして、くまモンが決めた敷地に工場を建てるといった立て付けにして、くまモンを権利の主体としたようなシリコンアイランドをつくってはどうか?ということを考えました。
そしてよかったのは、くまモンも私も、東京大学先端科学技術研究センターに籍があることです。私がフェロー、くまモンが研究員ですが、くまモンの方が6年就任が早いんです(笑)。
東大では半導体の基金をつくっているのですが、その目的は「平和利用」です。半導体を平和利用の観点から研究するとともに、地下水などの環境負荷軽減や国際協力、人材育成を推進するものです。
今は世界では相手を征服するために半導体を使っている国もありますが、我々の考えはくまモンが、国境や政治といった対立的な要素をなくし、半導体の平和利用という形に持っていくというものです。
─ 熊本にTSMCを誘致できた要因をどう考えますか。
蒲島 日本はかつて半導体で世界を席巻しましたが、日米貿易摩擦を経て、台湾や韓国など安くつくれる国に生産が移り、日本から半導体関連企業が撤退していってしまいました。
ただ、熊本にはその中でも撤退しなかったソニーグループや東京エレクトロンの拠点があったことが呼び水となりました。そこで働いていた人や技術が残っていたこと、そして半導体製造に欠かせない水や電気が豊富にあることも決め手となったのです。
26年2月には高市早苗首相とTSMCの魏哲家会長が首相官邸で会談し、TSMCは3ナノの最先端半導体を熊本で作ると言ってくれました。
また、私が全国知事会長を務めていた時に言ったのが「今、熊本がシリコンアイランドと言われていますが、そういう小さいことは思っていません。私の望みはシリコンアイランド九州です」と話したところ、全九州の知事から賛同が得られました。
私が今、永野さんと一緒に取り組んでいる半導体文明推進研究会の拠点が福岡県にあるのは、その表れです。
─ 永野さんは、蒲島さんと一緒に半導体の平和利用に関する活動をしているわけですね。
永野 ええ。蒲島さんは学者ですが行動の方です。その実践の場が半導体文明推進研究会です。25年1月に蒲島さんと私の2人で作った研究会を元にNPO(特定非営利活動法人)として認可を得ました。蒲島さんが理事長、私が副理事長で事務総長を兼務しています。
今は半導体、AI(人工知能)がなければ成り立たない世の中です。ただ、国、行政、企業はそれぞれ組織があって、なかなか動くのが難しい。それを動かす「人」がいないといけないということで、この研究会で活動しているんです。
震災からの復興も「不可能を可能にする」
─ ところで26年は16年に発生した「熊本地震」から10年という節目の年でもありましたね。
蒲島 私は17年3月に「創造的復興に向けた重点10項目」を掲げましたが、ほぼ終えることができました。当初は「できないのではないか」という声もありましたが、私は人生も政治も「不可能を可能にする」という思いでやってきました。
私は震災後すぐに「被災された方の痛みを最小化する」、「単に元あった姿に戻すだけでなく、創造的な復興を目指す」、「復旧・復興を熊本の更なる発展につなげる」という「復旧・復興の3原則」を示しました。
10項目の中で「すまいの再建」も、この3原則に則って進めてきました。住宅は仮設ではなく、熊本県産材を使った立派なものにし、長年住めるようにするなど、被災して家にダメージを受けた4万7800人の方々の生活再建に努めてきたのです。
「すまいの再建」の前提条件となる災害廃棄物の処理についても、何とか迅速な処理をと事業者の皆様にお願いしたところ、2年で終えて下さいました。
─ 蒲島さんが掲げた方針に、関係者が応えてくれたと。
蒲島 そうです。そのおかげで阿蘇へのアクセスルート、被災企業、被災農家の再建も進み、阿蘇くまもと空港は民間の資金とノウハウを活用する「コンセッション方式」により空港のポテンシャルの最大化を進めました。
この度、イギリスの航空サービス調査会社が発表した空港ランキングで、阿蘇くまもと空港は「世界最高の新空港ターミナル部門」で世界1位を受賞しました。官民連携による国際クルーズ拠点に指定された八代港も整備を進めてきました。
最初は大学の先生に知事が務まるのか?と多くの県民の方々は思われたと思いますが、私は苦労して大学を出て「逆境の中にこそ夢がある」をモットーにして生きて来ましたから、先程お伝えした「不可能を可能にする」のが自分の仕事だと考えてきました。
村一番の貧しい家から農協職員になり、アメリカに行き、東大教授にまでなるという、その意味では不可能を可能にしてきた人間だからできることがあるだろうという思いでした。
─ 24年4月には熊本県知事を退任しました。どういう思いでしたか。
蒲島 ちょうどいい時期に世代交代ができたと思っています。よい流れをさらに強く、大きくする人に世代交代することで、熊本と九州がさらによくなっていくと考えたからです。
現熊本県知事の木村敬さんは、私が東大に行った時の最初の教え子で、最初のゼミ長でもあります。木村さんに任せることで、熊本は本当の意味での創造的復興ができると思っています。
─ 蒲島さんの「不可能を可能にする」は、今の日本の再生に必要な発想だと思います。次代を担う若者に伝えたいメッセージは?
蒲島 「皿を割れ」です。これは韓国長城郡の奇跡を成し遂げた、金興植郡守(長官)の言葉です。「たくさん皿を洗う人は、たくさん皿を割る。つまり、失敗を恐れずに挑戦をすることが大切」という意味です。
先ほどお話したように、私の家は村で一番貧しかったですし、熊本県立鹿本高校では勉強の成績はビリでした。それでもアメリカに渡ってハーバード大学で博士号を取得できましたし、高校でビリだった私が東大法学部の教授になることもできました。
自分自身の人生を振り返り、今回の震災からの復興も、不可能を可能に、逆境の中にこそ夢があるという形で対応してきたところ、10年間で私が計画していた創造的復興を達成することができました。
ですから、若い人たちには、逆境の中にこそ夢がある、不可能を可能にするという人生が可能だということを知って欲しいと思っています。 そして、熊本県庁の職員の皆さんには、私と一緒になって「皿を割れ」の精神で取り組んできてくれたことに感謝しています。
リスクを恐れずに、熊本県民の幸福のためにできることをする。これは今後も続けていって欲しいと思っています。そして今は、永野さんとやっている半導体文明推進の仕事で、頭が一杯です。

