辻 哲夫 医療経済研究・社会保険福祉協会理事長(元厚生労働事務次官)の【これからは高齢者が社会を支える時代】

「フレイルまでの状態であれば、高齢者は元に戻れる可能性が高くなる」─。こう強調するのは元厚生労働事務次官の辻哲夫氏だ。超高齢社会を迎えた日本はフレイル(加齢に伴う虚弱)を遅らせることができれば、社会は劇的に変わり得る。そのためには何が必要なのか。辻氏は「フレイル予防は日本のあるべき国づくりへの1つの試金石」と訴える。その戦略の構造とは?

 日本は未知の世界を迎える

 ─ 日本の人口の6人に1人が75歳以上の後期高齢者となっています。現状をどのように捉えていますか。

 辻 日本は世界に先駆けて高齢化率で世界一となり、今、人生100年時代を迎えつつあります。その結果、今後、85歳以上の人口が急増するという世界で初めての現象を迎えることになります。まさに日本は未知の世界に向かっているということなのです。

 日本の人口ピラミッドは少子化の影響もあり、逆ピラミッドの形になってきており、高齢者が最大の人口集団となります。現時点で85歳以上人口の要介護認定率はほぼ6割となっているため、何も手を打たずに、このまま進行すれば、介護保険制度や医療保険制度の厳しい見直しが繰り返されることが予想されます。

 日本の国家財政も厳しくなる一方ですから、国民が必要なサービスを受けられないといった大変厳しい社会を迎えることになりかねません。

 

 経済発展と共に高齢化と少子化が進むのは、多くの国共通の課題と言えます。だからこそ、日本がどのような対応をするかを世界が見ているわけです。では、実際にどうすべきなのか。

 一つはっきり言えることは、最大の人口集団である高齢者集団を、地域社会を様々な形で支える集団に変えていくということです。

 

 ─ 社会構造を変えていく努力が求められますね。

 辻 そうです。これは国づくりの問題であり、実現可能なのです。そのきっかけとなるのが「フレイル予防」になります。「フレイル」とは健常と要介護の中間の状態を指します。誰もが年を取れば心身が弱くなって要介護の状態になり得るのですが、要介護になってしまうと通常、元に戻ることは難しい。

 しかし、フレイルまでの状態であれば、元に戻れる可能性が高く、しかもこのフレイルになる手前の「プレフレイル」と「健常」の段階で予防を行えば、さらにその効果は高くなり、結果として要介護給付費や医療費が減ることが分かってきました。

 フレイルは私たちが一定レベルでの「栄養」「身体活動」「社会参加」の3つの柱の生活の改善に取り組めば、予防が可能となるのです。このことは、近年の学術研究によって明らかになっています。

 ですから、フレイル予防は未知の超高齢社会を迎える日本のあるべき国づくりへの1つの試金石だと言えるのです。日本でこれに成功すれば、世界各国へのモデルを示すことができます。

 ─ すると、政府や自治体のみならず、我々国民も当事者意識を持たねばなりませんね。

 辻 その通りです。フレイル予防は私たち自身の生活の改善が基本であり、地域住民の行動変容が問われるという意味で、我々国民が主役です。

 失われるコミュニティの復活

 

 ─ 新しいコミュニティづくりにもなっていきますね?

 辻 近年コミュニティの機能が弱る中で、最大人口集団の高齢者が地域に住みづらくなり、地域から抜けていけば、その地域は空き家だらけになります。

 一方において、フレイルは多くの場合、社会とのかかわりが少なくなることが、その入り口であることが分かってきました。地域の高齢者が以上のようなフレイルの概念を学び、社会とのかかわりを深め始めると、高齢者を含めてコミュニティ全体が活性化するということです。

 コミュニティ回復の手段ともなるのがフレイル予防なのです。このように、国のファンダメンタルスを根本から変えていくような動きが今、高齢者集団から始まっているのです。

 ─ フレイル予防が地域を再生していくと。

 辻 そうです。令和6年度のある調査での推計では全国の65歳以上の人口約3624万人中、要介護認定を受けていない人数は約2900万人、そのうち健常者は2461万人、プレフレイルは1289万人、フレイルは250万人です。

 つまり、健常者とプレフレイルの大きな人口層にフレイル予防を広げていけば日本は必ず元気になります。しかし、その役割を担う自治体行政の対応は、まだこれからという段階です。なぜなら、フレイル予防についての認識が不十分だからです。

 ─ それが分かれば行政も変わっていくかもしれません。

 辻 つい最近の最前線の研究で、フレイル予防により、健常とプレフレイルにとどめるか、さらに改善するかができれば、介護給付費は格段に減るということを示唆するデータが出ているのです。さらには、これにとどまらず、医療費も減るということを示唆するデータも出ています。

 健常と言っても、年を追うごとに弱くなってプレフレイルになっていきますので、健常者やプレフレイルの集団に着目して地域を丸ごと変えていくことに取り組めば、日本が元気な国になるということがエビデンスに基づき分かってきたのです。

 しかし、自治体の職員にはそういったエビデンスが、まだよく伝わっていません。そこで、フレイル段階の高齢者の改善効果の方が見えやすいので、これを対象にして個々の人たちへの専門職による栄養指導やリハビリを行うという「ハイリスクアプローチ」の手法が、どうしても優先されてしまうのです。

 

 集団全体に働きかけて

 

 ─ そこをどう変えていけばいいと考えますか。

 辻 特定の高リスク者だけでなく、住民などの集団全体に一定の働きかけを行って生活習慣を変えることで、集団全体の状態の改善を目指す「ポピュレーションアプローチ」が必要になります。

 ─これまでの取り組み方とは、どう違うのですか。

 辻 ハイリスクアプローチは対象者が限定され、お金もかかりますし、一時的に戻っても、またフレイルが進行してしまうケースが多いのです。しかし、ポピュレーションアプローチは地域全体に働きかけるので、その効果はハイリスクアプローチに対して、かなり大きいと期待できます。

 ─では具体的に何をすれば良いのでしょうか。

 辻 フレイルは病気ではありません。病気であれば薬により大きな治療の効果を得ることができますが、フレイルは誰にでもやってくる加齢に伴う状態で、これに対する薬はありません。

 高齢者たち自らが、先に述べたような3つの柱の生活改善を実践すれば、フレイルを遅らせることができます。そのことはエビデンスによって明らかになってきています。つまり、各地域の、特に高齢者の気づきと行動変容が基本なのです。

 

 ─ 行政だけが頑張れば良いという話でもないと。

 

 辻 そういうことです。国が旗を振って頑張れ、頑張れと強く言えば言うほど、国には最後の解決は住民の自己責任の問題に持っていくのかという批判が起こり、かえってあるべき動きを冷やしてしまうことになりかねません。したがって住民に身近な自治体の役割が重要です。

 一方、地域の住民同士がフレイルについて学びつつ自らのフレイル度を測定し、自分事化していくという新しい方法を採り入れることで、地域全体の行動変容が起こるということが地域の実践から分かってきました。これは自助の領域の話であるということになりますが、地域住民の力だけでは限界があります。

 ─ 互助・共助ですね。

 辻 はい。弱り始めた高齢者だけに自助を求めることは難しい。互助・共助が一体となって可能となるのです。そこで住民の自助の取り組みを支援する取り組みが重要になります。

 行政が住民に教えるという手法ではなく、住民同士がフレイルを学び、地域の助け合いが動き始める鍵となるボランティアの育成を、一定の予算措置を講じて行うという自治体行政の側面支援が必要です。

 

 また、日々の私たちの暮らしを支える企業は地域住民の自助を支援するパートナーであると言えます。

 要するに、住民生活に身近な存在である自治体行政と産業界が連携し、上から下に下ろすという手法ではなく、地域住民を主役に置いて、高齢者をはじめとする地域住民の行動変容を支援するという手法を広げていくという国づくりをしなければならないのです。これがフレイル予防戦略の基本になります。

 「5カ年活動計画」を策定

 

 ─ 国もこの重要性は理解しているわけですね。

 辻 もちろんです。国は3つの柱の重要性を前提とした上で、栄養の柱に関し、「食べて元気にフレイル予防」というパンフレットをつくって全国に訴えていますし、2020年から「高齢者の保健事業と介護予防の一体的な実施」という施策を進めており、そこでは「フレイル予防のポピュレーションアプローチ」の重要性が取り上げられています。

 しかし、その重要な担い手である自治体の介護予防の担当部署は、とても多忙な中でなかなか火がついていない。

 ─ どう火を付けますか。

 辻 自治体職員が納得して行動するには、エビデンスに裏付けられた戦略が必要ですので、そこをきちんと整理しました。

 具体的には、22年12月に学術界の権威からなる「フレイル予防啓発に関する有識者委員会」が学術的なエビデンスを基に「フレイル予防のポピュレーションアプローチに関する声明と提言」を取りまとめ、併せてこれに基づく取り組みを推進するための「フレイル予防推進会議」の設置を提言しました。

フレイル

2024年に立ち上がった「フレイル予防推進会議」。会長は神奈川県の黒岩祐治知事が務め、辻氏は事務局長を務めている

 それを受けて、実際にフレイル予防のポピュレーションアプローチに取り組む志を持った自治体と産業界が中心となった自発的な組織である「フレイル予防推進会議」が24年に立ち上げられ、フレイル予防のポピュレーションアプローチに関するパンフレットや、その分かりやすい説明問答集もつくり、戦略的な地域実践が始まっています。

 そして同会議は、その次の活動として「フレイル予防5か年活動計画」を今年の4月1日に公表し、各自治体の実践を全国に発信して全国に仲間を広げて横展開しようとしています。

 その要点は、高齢者が中心となって住民同士でフレイルを測定することを軸足にして、まち全体を元気にするフレイル予防のまちづくりを推進することです。

 

 この場合、いわゆる無関心層をはじめ、行政の手の届かない住民への対応が重要な課題ですが、民間企業の活動の場で行うフレイル測定の結果を見ると、行政の場で行うフレイル測定に比べてフレイル度の高い人がはるかに多いということが分かってきていることは注目すべきことです。

 

 ─ 民間の役割は大きいと言えますね。

 

 辻 はい。民間企業は、このような重要な役割を担い、しかも地域の高齢者が元気になれば、顧客を増やすことにもつながるのです。これまで学術研究と自治体行政と産業界の実践が積み重ねられてきた結果、このような大きな流れが見えてきたのです。

 超高齢人口減少社会の日本が、元気で心豊かな国であるためには、産業界を含めた社会全体がフレイルの概念を学び、フレイル予防を通したまちづくりに取り組むことが必要なのです。このことは、超高齢社会を目の当たりにした時代の要請でもあると強く感じています。(次回に続く)

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