フレアス社長CEO・澤登 拓の【視覚障がいの社員も大活躍】障がい者雇用数で日本一、鍼灸マッサージ師が誇りを持って働ける場を全国に広げていきたい

2000年に鍼灸マッサージ治療院を創業し、2019年にグロース市場に上場させたフレアス社長CEOの澤登拓氏。もともと幼少期は体が弱くいじめにもあった澤登氏は、中国にも行き漢方を学び、鍼灸マッサージ師の道に入った。同社は現在全国に1500人の鍼灸マッサージ師を抱えるまでに成長。そこまで規模を拡大してきた澤登氏の活力は何だったのか─。

 中国留学で漢方に人生を救われ針灸の道に…

 ─ 澤登さんはご自身も鍼灸マッサージ師で、今は鍼灸マッサージ治療院を全国展開しているそうですね。現在店舗数はどのくらいですか。

 澤登 47都道府県に出店していて、直営店、フランチャイズ店、合わせて438店舗です。2000年に創業して2019年に東証グロース市場に上場しました。今期売上は77億円で営業利益は2・9億円くらいの規模です。

 ─ 鍼灸で創業したきっかけは何だったんですか。

 澤登 わたしは山梨県に生まれ育ったのですが、子供の頃、小学校5年生で十二指腸潰瘍を患いました。当時早期発見できず、2年間は「痛い痛い」と唸っていました。

 その2年後には胃に穴があき、病院からは手遅れと言われ開腹手術をしましてね。痛みは止まったものの、食べては吐くという生活で、中学校ではいじめに遭い不登校になってしまいました。高校もあまり行けずに、卒業してもニートで進学も就職もできない状態でした。

 しかし、1年後にある先生が、「何とかしてやる」と石川県の金沢の大学に押し込んでくれたのです。

 地方で初めての一人暮らしを始めたのですが、友達もできずに過食症のようになって、心身のバランスを崩してしまいました。大学は中国語学科でした。学校の短期留学で中国に1カ月間行きましたら、それが非常に楽しくて、休学して中国に本格的に留学することにしました。

 ─ 中国の大学ですか?

 澤登 北京師範大学というところです。勉強しながら、やはり自分の体が不調だったので治したいなと。それで中国の漢方を受けてみたら、みるみる元気になっていきました。

 極めつけは、その漢方の先生がやってくれた気功です。嘘みたいな話ですが、お臍からピンク色の水が出てきたんですよ。今でも信じられないんですけども(笑)。

 「先生、何をしたんですか?」と言ったら、「今、君の体から悪い水を出したから」と言うのです。胃腸が悪いと消化不良になって、水が溜まってしまうそうなんですよね。その日から本当に元気になったんですよ。

 当時北京は真冬で寒く、わたしも冷え性だったのが、翌日から手足がポカポカ火照るように熱いんです。先生は「これが19歳のあなたの本来の体調だ」と。

 ─ 腕の良い医者だったんですね。

 澤登 はい。漢方や鍼灸、気功などいろいろな治療をする中国の名医100名に入る有名な先生でした。わたしは将来働けないと思うぐらい体が弱かったので、自分の体を救ってくれた漢方を勉強しようと、北京中医薬大学に入り直しました。

 ただ、中国の免許は日本では使えませんので、その大学は卒業せずに日本に帰って鍼灸マッサージの免許を取りました。

 ─ 国家試験で鍼灸マッサージの資格を取ったんですか。

 澤登 はい。日本の学校に3年間通って国家試験を受け、免許が取得できたのは30歳の頃(1999年)です。  その後、山梨県の接骨院に入社したのですが、理想と現実の乖離に愕然としました。現場は徒弟制で給料も低く、手が腫れるほどマッサージをして、貰った給料が10万円だったのです。

 ─ その頃、周囲の人はどのぐらいもらっていたんですか。

 澤登 20万円ぐらいはもらっていましたね。おまけに社会保障も残業代も無いと。仕事も教えてくれないので、初日に患者さんに鍼を打ったのですが、緊張のあまり鍼を抜き忘れてしまったのです(笑)。

 翌日その患者さんが「あんたこれ忘れたでしょ」とハンドバッグから、わたしが打った長い鍼を3本取り出したときには、顔が青ざめました。免許取り消しになるのではと非常に落ち込みましたが、その患者さんは良い方で許していただけました。

 ─ 2000年と言うと、日本で介護保険制度が正式にスタートした年ですね。

 澤登 はい。寝たきりの人に健康保険を使って鍼灸マッサージをする仕事がどんどん拡がっていったのですが、山梨ではまだ誰もやっていなくブルーオーシャンでした。自己資金が無かったので、最初は実家の応接間でスタートしていきました。

 実家の応接間から全国展開へ

 ─ そこで起業家の道に入っていったわけですね。ご両親は賛成してくれましたか。

 澤登 わたしは昔不登校だったので、両親は教員で堅い職業でしたが、「お前が元気だったら何でもいいよ」と言ってくれました(笑)。3人兄弟の長男で、2つ下の弟を無理やり会社に入れ、自宅は登記だけで訪問型で始めていきました。

 当時、寝たきりでも家まで来てくれて、マッサージしてくれるという健康保険の制度を誰も知らなくて、患者さんには本当に喜ばれました。

 歩ければ治療院にも行けますが、寝たきりになると本人も家族ももう諦めるしかなく、痛くて夜も寝られず苦しいのです。そういう人のところに、われわれプロが行って治療すると、痛みが取れてぐっすり眠れるようになりますから、ご家族みんなに喜んでいただけるのです。

 ─ 非常に感謝されると。

 澤登 はい。例えば、寝返りを打てず床ずれを起こしてしまう90歳のおじいさんを、80歳のおばあさんがケアしていて、家では喧嘩ばかりという家庭がありました。

 話を聞くと、奥様が、「おじいさんと喧嘩の毎日なので、こんなことを思ってはいけないけど早く死んでくれないかなと思う」と疲れ果てた顔で言うんですよ。おじいさんからも話を聞いてみると、「俺も言いたくないけど、話をする相手はあいつしかいないんだ」と。

 でもわたしたちの鍼灸マッサージで痛みが取れてリハビリしたら、おじいさんは寝返りが打てるようになって、お2人とも喧嘩もなくなりとても喜ばれました。

 そして、次は座ることを目標にリハビリして、今までおむつだったのが、ベッドサイドのポータブルトイレで排せつを自分でできるようになった時には、涙を流して喜んでくれたのです。

 ─ 患者さんの生活を大きく変えることができると、こちらも励みになりますね。

 澤登 ええ。わたしは幼少期の頃から世の中の役に立たない人間だと思っていたので、目の前で患者さんが涙を流して喜ばれたときに、わたし自身が救われたんです。

 健康保険ですから本人負担は400円程度ですが、こちらは4千円いただけるんですね。接骨院時代と比べて経営も安定し、こんなに喜ばれるので、自分の天職だと思いまして。

 そうして山梨県内に5店舗増やして、2年くらいですぐに予約は満席に埋まってしまうくらいになりました。

 しかしある時、脳梗塞になってから痛くてしびれがあってお前のマッサージを受けて楽になったけど、このサービスを知るまで5年かかったと。もっと早くこのサービスに出会いたかったということを言われるのです。

 この方以外にも同じことをたくさんの方から言われたんですね。

「努力が足りなくてすみません。そういうことはないように頑張りますから」と言って、そこから応接間に帰り、社員に向かって「ここから全国展開を始めるぞ」と宣言しました(笑)。

 ─ 起業してまもなく全国展開になったんですね。

 澤登 ええ。1年半ぐらいで県外に進出することになりました。団塊の世代が全て介護対象になるという2025年までに、全国展開をして患者さんとの約束を果たそうという目標を立て、上場もして拡大してきたということです。

 全盲の鍼灸マッサージ師の活躍の場に

 ─ フレアスには全盲の社員の方も多いそうですね。

 澤登 はい。今社員数は1500人おりまして、そのうち視覚障害の方が500人います。

 たまたま、わたしの祖父が山梨盲学校の校長先生をやっていた関係で、わたしもよく盲学校には出入りしていたので、ご縁がありました。

 最初は、視覚障がいの方は運転ができないので、当社の訪問型はなかなか難しいかもしれないと思っていたのですが、弟に運転させて連れていき施術をしてもらったら、手の感覚が非常に良くて、患者さんからは評判が良かったのです。

 苦手な移動や記録をサポートすれば彼らは十分働けるとわかったので、二輪三脚で1人に1人ドライバーを付ける体制にしたところ、非常に好評だったんです。多少利益率は落ちるものの、彼らは離職しないということで安定していきました。

 ─ 盲学校に通う生徒はどのくらいいるんですか。

 澤登 生徒は数人というところが増えています。盲学校では鍼灸マッサージの資格が取れるのですが、それを選択せずに普通の大学に行く傾向が高くなっています。

 都市部では企業内でマッサージをする仕事がありますが、大企業でも1人~2人採用で数は多くありません。地方は盲学校を出て資格を取っても収入は高くなく、障害者年金を頼りに生活している人が少なからずいるのが現状です。

 しかし、当社であれば視覚障がいの方でも主役になれます。成績トップ10に入る社員の半数以上は視覚障がい者なんです。

 当社にとって障がい者は、離職率も低く優秀で成果が高いのでどんどん採ろうということをやっていたら、結果的に障がい者雇用数が日本一になりました。初任給も300万円ぐらい出しますし、平均年収400万円ぐらいですので、待遇も安定しています。

 ─ フレアスで働くということが希望にもなっていると。

 澤登 そうだと思います。そういう方たちが会社に入ると、「結婚しました」とか「家を買いました」といった嬉しい報告があります。今までは障害者年金で暮らしていたところ、納税者側になるのです。

 今年新卒の新入社員が印象的なことを言ってくれました。二十歳の彼は、「今までの僕は、全盲で人にやってもらわなければ生きていけなかったので、ありがとうと言う人生だった。でも、これから僕は高齢者にマッサージを届けて、ありがとうと言われる人生を送りたい」と。

 半年経ってその社員に「どうだ?」と聞いたら、「社長の言う通り、『ありがとう』という声をたくさんもらいます。帰る時には車の中がジュースとかお菓子がいっぱいになるぐらいもらいます」と嬉しそうに報告してくれました。

 ─ 社員の平均年齢は何歳ぐらいですか。

 澤登 40歳です。最高年齢の方で80歳の方もいます。体力がなくなるので、たくさん訪問できないということを除いて年齢はデメリットになりません。逆に患者さんと年が近いので、すごく仲良くなるんですよ(笑)。

 冒頭に申し上げた通り、この業界の盲点は、国家資格なのに医者や看護師のような研修制度が無いことです。ペーパー試験だけで技術が担保されていません。そこをわれわれは仕組みでもって、初年度500時間以上教えるということが強みです。

 鍼灸マッサージの治療院は世の中に本当に多い中、われわれが唯一の上場企業です。業界として品質や再現性の面を担保している企業体は多くありません。

 ─ どうやって担保しているのですか。

 澤登 教育を全部体系化し、25年間かけて自社のeーラーニングを作りました。今1000タイトル以上ありまして、レベルに応じていつでもどこでも見ることができ、テストが付いています。

 また手技を細かく150の動作に分けて正確に指導する仕組みを構築しました。鍼灸マッサージは江戸時代には制度として確立されていましたが、技術指導を現代的に体系化し直したと自負しています。

 これにより技術の標準化ができるようになりました。わたしの修行時代は誰も教えてくれなくて「見て覚えろ!」という徒弟制度でしたが、そうではなくどんどん教えて成長してもらう。社員が早期に現場へ出ることが可能になり、生産性を高めてきました。

 特徴的なのが、1500人の中で3年連続成績1位の社員は、高知県の40代・全盲の男性です。「僕はドライバーを付けてもらっていますから、目が見える人の2倍働いて当たり前です」と彼は言うのですが、障がいに甘えない自立心の強い方も多いです。

 ─ 澤登さんは教員一家に生まれて、普通にいけば学校の教員になっていたかもしれませんね。

 澤登 両家とも教員が多かったのできっとそうなっていたでしょうね(笑)。病気や不登校などいろいろなことがありましたが、自分の人生を粘り強く諦めずに取り組んできたことで、起業家の道につながったと思っています。