「ドン・キホーテ」をはじめとするディスカウント事業や、「アピタ」「ピアゴ」といった総合スーパーを展開するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(以下、PPIH)。同社の自社アプリ「majica(マジカ)」は2000万人以上の会員を抱え、年間約3億件もの購買履歴データが蓄積されている。しかし、実はドン・キホーテ顧客の8割は、来店が月1回未満にとどまるライトユーザーだという。
この巨大な顧客基盤をどう動かし、来店頻度を引き上げるのか。切り札となるのが、AIを活用した「ハイパーパーソナライゼーションCRM」の構築と、あえてネガティブな評価も全公開して商品開発に直結させる「顧客の声(マジボイス)」への泥臭い向き合い方だ。
6月15日~17日に開催されたオンラインセミナー「TECH+データ×AIアクセラレーションDays 2026 Jun. データ×AIの本番運用を極める──組織・プロセス・技術がつながる実践知」にて、PPIH マーケティング戦略本部 カスタマーインサイト分析部 部長の小林真美氏が登壇。AIアルゴリズムによる販促戦略と、社内で火花を散らしながら顧客起点を貫く生々しい取り組みの全貌を語った。
「売り手起点」から「顧客起点」へ、AIを活用したハイパーパーソナライゼーションCRM
小林氏は、長期経営計画における既存店戦略のなかで、「ドン・キホーテを認知していても行く理由がない『消極的忌避層』へのアプローチと、既存顧客のウォレットシェア拡大が不可欠」と語る。前述のとおり、ドン・キホーテ顧客の大半はライトユーザーであり、来店頻度を上げてLTV(顧客生涯価値)を向上させるためには、顧客一人ひとりに合わせた商品やコミュニケーションを提供するパーソナライゼーションが鍵となる。
しかし、従来のクーポン配信は、店舗が売りたい商品や在庫を消化したい商品を選んで配信する売り手起点のものになりがちであった。2000万人に対して手動で個別のコミュニケーションを行うことは不可能なため、同社はAIを活用したハイパーパーソナライゼーションCRMの構築に着手し、2026年8月からの本格稼働を目指している。
このCRMの根幹には、GNN(グラフニューラルネットワーク)というアルゴリズムが採用されている。ドン・キホーテは膨大なSKU(商品数)を抱えているが、AIが本人の購買履歴と、類似した購買推移をたどる他の顧客のデータを学習し、次に買いそうな商品を予測する。これにより、購買履歴が少ないライト層に対しても有効なレコメンドが可能となる。
本格稼働に向けて、同社はこれまでに3回のPoCを実施した。1万人を対象とした第1回PoCでは、AIが予測した顧客の嗜好に合う商品に対し、一律30%引きのクーポンを配信。その結果、通常クーポンと比較して利用率が59倍となり、購買金額や来店頻度の向上という明確な効果が得られた。ライト層が初めて異なるカテゴリの商品を購入するきっかけづくりにも成功したという。
一方で、一律の大幅値引きでは粗利を圧迫するという課題が浮き彫りになった。そこで、第2回では値引き率を最適化し、第3回ではそのうえで離反しかけた層にも配信を拡大。「店舗から自宅までの距離」「その商品をいつも買っているか」など約50の要素を組み合わせ、「どの顧客・どの商品に対して、どのくらい値引きすれば反応率が良く、かつ過剰な値引きにならないか」をAIで算出した。
結果として、クーポン利用率は通常比5倍程度に落ち着きつつも、ROIを大幅に改善することに成功。離反しかけている顧客層への効果も確認でき、本番環境への実装へとつながった。
顧客の声を商品改善に直結させる「マジボイス」
データによるアプローチに加えて、PPIHが注力しているのが顧客の声の収集と活用だ。同社では、企業原理である「顧客最優先主義」を実現するため、顧客が商品に対する忖度のない意見を投稿できる機能「マジボイス」をアプリ内で展開している。
マジボイスの最大の特徴は、高評価だけでなく、「ビミョー」といったネガティブな評価も包み隠さず公開している点だ。この正直なレビューを基に、マーケティング部門とMD(商品開発)部門が激しい議論を交わす「マジボイス実現委員会」が毎月開催されている。
小林氏は一例として、5枚刃の高機能ヒゲ剃りの事例を挙げた。同商品は他社製品と同等のスペックを持ちながら1万円を切る価格設定で、MD部門が並々ならぬ努力で開発したものだった。しかし、マジボイスでの評価は「ビミョー」が82%を占めていた。
これに対し、MD・品質保証担当者は「ヒゲには個人差がある」「安さを優先したため、メンテナンスキットを付属していない」と説明したという。しかし、マーケティング責任者からは「ヒゲ剃りは毎月買うものではない。1回使って『剃れない』と思われたら、二度と買ってもらえない。お客さま一人ひとりの満足にきちんとフォーカスできているのか」と厳しい指摘が飛んだ。
小林氏は「MDは当然プライドと熱意を持って開発しているが、だからこそ売上や価格競争力といった企業側の論理に傾きがちになる。我々マーケティング部門の役割は、データと顧客の生の声をもって、全員の目線を『顧客起点』に引き戻すこと」だと強調する。実際に、この活動を通じて改善された商品は、顧客への感謝のメッセージとともに店舗で紹介されている。
データ分析で「マジ価格」を最適化し、店舗の裁量と収益を両立
マジボイスを活用したもう1つの取り組みが、販促活動である「マジ価格」だ。これは、店舗が売りたい商品ではなく、マジボイスで高評価(「いいよ!」率が高いなど)を獲得した人気商品を、赤字覚悟の特別価格で提供する施策である。人気商品を目玉にして来店を促し、店舗内を買い回ってもらうことでバスケット全体の粗利を上げる「損して得取る」戦略だ。
マジ価格の対象商品は一部を本部が選定し、残りは店舗が裁量で追加・値引き設定できるようになっている。しかし、実態を調査すると、赤字を恐れて対象商品を増やさない店舗や、逆に赤字幅を絞ったまま商品数だけを増やす店舗など、本来のコンセプトから外れた運用が散見された。
そこでマーケティング部門のカスタマーインサイト分析部は、過去のデータを分析し、店舗向けに「虎の巻」となる運用指針を策定した。分析の結果、客数や粗利を最大化させるための以下の最適な条件が導き出された。
- マジ価格対象の最適アイテム数は80点程度(それ以上は客数押し上げ効果が頭打ちになる)
- 頻度品をきちんと赤字販売する(ただし値引き率は25%を上限の目処とする)
- ドリンク、日配、菓子など購入頻度の高い部門のアイテム数を拡大する
- 15〜24部門と、多様なカテゴリにまたがって設定するほうが効果は大きい
このデータドリブンな指針に基づき、店舗は自店のマジ価格アイテムを選定するようになった。これにより、顧客の声に基づく商品選定と、データ分析に基づく最適な販促設計というハイブリッドな取り組みへと進化を遂げたのである。
96%の声なき声を拾い上げる、次なる挑戦
講演の最後に、小林氏は今後の展望として、「声なき声の収集と活用」を挙げた。
一般的に、商品やサービスに不満があった際、店舗やスタッフに直接伝えてくれる顧客はわずか4%だと言われている。残りの96%は、何も言わずに二度と来店しなくなるか、あるいはSNSや知人にネガティブな口コミを広めてしまう。
「わざわざ教えてくれない声なき声や、お客さま自身も気付いていない潜在的なニーズをいかに収集・分析するかが、今後の改善に向けた大きなドライバーになります」(小林氏)
具体的なアプローチとして、同社は生成AIを活用してSNSの投稿や検索ワードから世の中のトレンド・ニーズの芽を収集することや、インカムデータ、AIカメラの映像分析を通じて店舗での顧客の行動・課題を把握することなどを視野に入れている。
AIによる徹底的なパーソナライゼーションと、顧客の正直な声に向き合う実直な姿勢。PPIHの「顧客最優先主義」は、テクノロジーとデータを両輪とすることで、これまでにない解像度の高さへと進化を続けている。小林氏は「お客さまにとって『最も都合のいいお店』であり続けるために、これからも活動を続けていきたい」と語り、講演を締めくくった。


