
時代を切り拓く
新しい時代を自分たちの手で切り拓く─―。
セブン&アイ・ホールディングス元会長(名誉顧問)の鈴木敏文さんが大事にした経営理念であり、変化の時代をしっかり生き抜く信条でもあった。
経団連常務理事・岩崎一雄の【わたしの一冊】『イノベーションの科学 創造する人・破壊される人』
鈴木さんの最大の功績は何と言っても、コンビニ(コンビニエンスストア)を一大産業に仕立てられたことであろう。
1974年(昭和49年)5月、東京・豊洲にコンビニ『セブン‐イレブン』一号店を開店した時、周囲や流通業関係者からは「今や大型店の時代。小さな店は流行らない」と冷ややかな反応が多かった。
その中を鈴木さんは、「近くて便利」な店をウリに同一地区で集中出店する、いわゆるドミナント戦略を展開。消費者サイドからすれば、いつでも欲しいものが身近なところで買えるという便利さが受け、たちまちコンビニ人気は浸透した。
鈴木さんのすごさは小売業を科学的に運営することにあった。近代的なシステム化にあたっては、富士通やNECといった大企業ではなく、30歳前後の若い技術者集団を採用。その代表がフューチャー創業者の金丸恭文さん(1954年生まれ)だ。
「本部が1日6500の品を仕入れるのですが、狭い店舗では3500品目しか並べられない。制約がある中で売れ筋、死に筋を見極める。しかも、棚に並ぶ品を切れさせず、次にやってくるお客様が必ず買える状態にするにはどうしたらいいかという重いテーマでした」と金丸さん。
こうした難問を解決し、金丸さんは今の上場企業をつくるきっかけになったと振り返る。
流通革新を主導した鈴木さんには名語録が多い。
例えば、「過去の成功体験で物事を考えてはいけない」、「リーダーとは時代の先が読めるかどうかが大事」など、前向きな言葉が多い。
「これが常識ですから」、「今、世間ではこれが流行っているんです」という言い方をする人に対しては、容赦なく激怒した。
例えば、PB(プライベートブランド=自主企画)商品の開発。鈴木さんが注力したPBの開発に際しては、NB(ナショナルブランド)に対抗する安売り商品でなければならない─―というのが従来の常識。
「わたしがよく担当者に怒ったのは、目先の売上を確保しようとしてすぐに安売りに走るなと。安易に安売りに走っていてはいずれ値段をゼロにしなければならない」と話し、鈴木さんは過去の成功体験で物事を考えるなと繰り返し説いた。
時代が大きく変化する中で
その鈴木さんも2016年、トップ人事を巡って、当時の取締役陣と折り合いがつかず、退任を決意。自らの経営者人生に終止符を打った。
筆者は時折、東京・紀尾井町のホテルニューオータニにオフィスを構える鈴木さんを訪ねたが、名誉顧問となってからも、事業に対する思い入れ、志はいつもと変わらなかった。
本人の人生を振り返れば、1932年(昭和7年)長野県生まれ。56年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現トーハン)に入社。ここでも鈴木さんは異才を発揮。
各出版社から毎月出される小説や出版物の紹介をしながら、時の有力作家にインタビューする『新刊ニュース』の編集者をつとめた。いろいろな作家に直接コンタクトを取ってお願いすると、「ほとんどの人がインタビューを受けてくれました」と話す時の笑顔が良かった。
物事の本質を見極めるべく、発信元に直接飛び込むという姿勢は生涯変わらなかった。
7年後の63年に鈴木さんはイトーヨーカ堂に入社。総合スーパーの経営やコンビニの立ち上げにかかわる。コンビニ設立時は40代はじめ。鈴木さんは本誌で「うまくいかなかったら責任を取って辞めるという気持ちでした」と語っている。
その後、同社はカナダの流通大手から買収提案を受けるなど、試練を経て今日に至る。
ともあれ、時代は常に変化する。「時代の変化に対応せよ」、「お客様のニーズをつかんで新商品の開発を」と、鈴木さんは言い続けてきた。
人口減、少子化・高齢化という流れの中で、国内需要は縮小するという見方が強い。こうした中で、鈴木さんは「人口が減ると言いますが、世帯数は増える。そして、一世帯当たりの人が少なくなる。そうすると消費のパターンも変わる。変化をきちんと見ていけば、新しい消費が生まれていることに気づく」
需要を掘り起こせ─―という鈴木哲学は今も生きている。