青森県弘前市は地域公共交通の利便性向上や利用促進、冬季の交通渋滞緩和、家族による送迎負担の軽減、CO2排出量削減といった課題の解決、そして持続可能な交通体系を確立するため、令和6年度(2024年度)より地域交通とデジタル技術を融合した新たな移動サービス「ひろさきMaaS」の実証を開始した。
「ひろさきMaaS」は、弘前市内を中心に運行する弘南バス、弘南鉄道、乗合タクシーなど、複数の公共交通を連携させた定額乗り放題サービス。令和6年度に引き続き、令和7年度も11月1日から令和8年2月28日まで実証を継続しており、令和9年度の本格実装を目指している。
「ひろさきMaaS」の本格実装に向けて、NTT東日本がMaaS(Mobility as a Service)システム全体の統括およびデータ分析などをサポートしている。そこで、弘前市とNTT東日本がタッグを組んで実証を進める「ひろさきMaaS」について、その概要や目的、今後の展開について、弘前市およびNTT東日本の担当者に話を伺った。
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左より、弘前市 都市整備部 地域交通課 交通政策係 主幹兼係長 成田孝行氏、弘前市 都市整備部 地域交通課 課長 羽賀克順氏、NTT東日本 青森支店 ビジネスイノベーション部 まちづくりコーディネート担当 担当課長 鎌田猛義氏、弘前市 都市整備部 地域交通課 交通政策係 主事 倉光諒心氏
「渋滞問題」と「公共交通の利用者減少」が課題
自家用車での移動が多く、特に雪の多い冬季は渋滞に悩まされるという弘前市。その原因は高校などへの送迎と通勤時間が重なってしまうことで、「弘前市を含めた、青森県全体の問題です」と、弘前市 都市整備部 地域交通課 課長の羽賀克順氏は指摘した。特に「軽自動車の保有台数の増加」が大きな原因となっているという。
しかしその一方で、地域の交通基盤を支えるバスや鉄道などの公共交通は、人口減少の影響による利用者の減少が深刻な問題になっている。学生や高齢者など、自動車の運転ができない市民にとって、公共交通は必要不可欠な存在。自家用車での移動の増加と公共交通の利用減少について、「移動の多様化という面では、強制することができません」と羽賀氏は語るが、公共交通の維持は、市民に欠かせないインフラとして、目をそらすことができない重要な課題となっている。
公共交通の利用増加は、自家用車での移動を減らすこと、すなわち渋滞の減少につながる。そこで、まずは公共交通の利用者増加を目指した弘前市は運賃の値下げやインセンティブの付与などの取り組みを検討。しかし、「公共交通での移動はどうしても区間や範囲に縛られてしまう」と、その限界を痛感した羽賀氏は、「これまでの区間ごとの乗り物という考え方から、エリア全体での乗り物といった考え方に変えていくこと、すなわち新しい価値観を生み出すことこそが地域課題の解決につながると考えました」と語る。
始まりはフィンランドのMaaS「Whim(ウィム)」
そんな羽賀氏が出会ったのが、フィンランドの「Whim(ウィム)」と呼ばれるMaaSだ。「Whim」は簡単に言うと、定額で公共交通を利用できるスマホアプリで、その斬新さに興味を惹かれた羽賀氏は、「これこそが地域活性の一つのきっかけになる」と考え、弘前市での導入の検討を始めた。そして、青森県からの助成を得てプロポーザルを行い、NTT東日本とタッグを組むことで、「ひろさきMaaS」の開発をスタートすることとなった。
「当時、自分の調べた限りでは、『Whim』のような仕組みを導入している自治体は日本にありませんでした」と羽賀氏が振り返る通り、日本では前例のない取り組みだ。
最初に「ひろさきMaaS」の話を聞いた際、「実態がよくわからなかったので、悩みました」と、NTT東日本 青森支店 ビジネスイノベーション部 まちづくりコーディネート担当 担当課長の鎌田猛義氏は素直に打ち明ける。フィンランドの「Whim」はアプリに頼ったサービスだったことから、アプリの開発が必須の案件だったが、「限られた県の予算、限られた時間で、アプリを開発し、実証にまでつなげられるかが大きな課題でした」と鎌田氏は振り返る。
「弘前だけの問題ではないと思いますが、羽賀課長から伺った弘前市の現状、そしてその解決にMaaSを活用するという考え自体は非常に腑に落ちるもの」だったと語る鎌田氏。まずはやってみようという気持ちから、羽賀氏が考える壮大なテーマに対して、ニーズを満たし需要のあるものができるかどうかを一緒に見ていきたいとの思いから、事業への参画を決断したという。
弘前市の人口は約15.7万人だが、「昼間人口でいえば、圏域で20万人近くのマーケットになります。その意味では、新たなMaaSの開発は、十分検討価値があるはず」と羽賀氏はいう。だからこそ、予算や時間的な制限は大きかったが、「この事業にはぜひともチャレンジしたかったし、NTT東日本さんの協力は非常にありがたいものでした」と同氏は振り返る。
令和6年度の「ひろさきMaaS」:利用者の評判は上々だった一方、課題も
時間的、そして予算的な制限を考えて、令和6年度の実証では、kintoneでMaaSアプリを内製。乗降情報については、利用者が入力する方法が採用された。アプリの利用方法は、以下のようにシンプルな仕組みが採用された。操作の簡易性から、利用者からの評判もよく、「来年度も続けてほしい」との声が多数届けられたという。
(1)乗車時:事前に事務局で登録を行ったサービスアカウントにアプリからアクセスし、会員情報画面を乗務員駅員に提示する
(2)乗車中:アプリに乗車駅・降車駅の情報を登録する
(3)降車時:乗車中に登録した必要情報を乗務員・駅員に提示する
しかしその反面、「サービスを利用するための料金(8,000円)を現金で支払う必要があった」ことを反省点として挙げる鎌田氏。「今どきキャッシュレス化されていないというのは大きな問題で、いつでも支払いができる環境を構築する必要がありました」(同氏)
さらに、「非常に簡単な方法ではありますが、やはり利用者の方に乗降車駅を入力していただくのは負担が大きかった」と鎌田氏は続ける。入力内容から算出される運賃情報は、交通事業者への分配の根拠となるが、「利用者任せの入力なので、分配の根拠としては弱い」ことから、自動入力ができる仕組みを取り入れることも次年度への大きな課題となった。
アプリを内製で作ると聞いた際、「本当に初めての取り組みで、ゼロベースからのスタートだったので、完璧ではないことは最初から理解していました」という羽賀氏。弘前市側としても、料金設定はある程度の理論武装がないと説明責任が果たせないとの思いから、チーム内でも何度も話し合いが行われたという。
また、日本では初めての取り組みだったことから「国にどのような手続きを行ってよいかもわからず、何度も相談を繰り返し、アドバイスをいただきながらも、何とか乗り切ることができた点も大きかった」と、鎌田氏は安堵の表情を浮かべていた。
「本当に、みんなの知恵で乗り切ったような初年度」と語る羽賀氏だが、「大きなトラブルもなく、浮かび上がった課題も次年度へのステップアップにつながるものだったので、一年目としては非常に良い取り組みができたのでは」との手応えを感じていた。最初は不安だった制度設計やシステム設計も、しっかりと軌道に乗せることができたので、このまま進めていけば、ビジネスモデルとして確立できると確信した初年度だったという。
令和7年度の「ひろさきMaaS」:キャッシュレスに挑戦
初年度の利用者からの評価も高く、「絶対に3年間はやってみよう」という羽賀氏の強い思いもあって、令和7年度も継続して実証を行うことが決定。さらに、令和7年度は国土交通省の日本版MaaS推進・支援事業の採択を受けたことで、予算も増え、より本格的な取り組みとして実施されることになった。
令和6年度の実証を踏まえて、キャッシュレス化、および利用者にできるだけストレスをかけることなく乗降データを自動で収集して決済行為につなげることが令和7年度にクリアすべき課題となった。しかし、日本では初めての取り組みとなるため、「ピタッとはまるソリューションがなかった」と語る鎌田氏。MaaSと相性のよいソリューションを探したところ、NTT東日本の別の圏域で取り組まれていた、決済アプリとMaaSアプリを連携させたソリューションに着目。決済用のアプリとして「ひろさきペイ」を導入して、同ソリューションと組み合わせることでキャッシュレス化を実現している。
乗降データの収集にはQRコードを採用。乗車時、降車時にスマートフォンでQRコードを読み込むことで、駅情報を入手する仕組みが取り入れられた。また、当時は料金三角表しかなかったデータを整理して、GTFS(General Transit Feed Specification)データを導入。GTFSデータとは、公共交通機関における時刻表や駅の位置情報を定義したオープンデータのことで、その整備も行われることとなった。
令和7年度の「ひろさきMaaS」の利用方法は、以下の通りだ。
(1)「ひろさきペイ」に登録しMaaS乗り放題券を購入、「ひろさきペイ」と「ひろさきMaaS」を連携させる。
(2)乗車時は、改札または乗務員が提示するQRコードをスマートフォンのカメラで読み取り乗車。
(3)降車時もQRコードをスマートフォンのカメラで読み取ることで、乗降車の位置情報や料金が自動で計算され、データを取得する。
地産地消としても相乗効果が出せる「ひろさきペイ」
なお、「ひろさきペイ」はデジタル地域通貨のプラットフォームを採用しており、乗車券のチケットを購入させる機能に加えて、加盟店での買い物に利用することが可能。「ひろさきMaaS」の利用料金9,000円の内、1,000円分はデジタル地域通貨ポイントとして付与される点も大きな特徴となっている。また、「ひろさきMaaS」を使った公共交通乗車回数が1カ月で50回を超えると、インセンティブとして500円分のデジタル地域通貨ポイントが翌月付与される点も利用者に歓迎されているという。
「ひろさきペイ」の導入について、「自家用車での移動を否定するわけではありませんが、市内の公共交通を使っていただくことは、まちの経済活性にも大きな効果があります」と話す羽賀氏。その際、公共交通を利用してもらうだけでなく、『ひろさきペイ』を使って買い物をしてもらうことは、まちにお金を落とすことになるため、地産地消としても相乗効果が出せることがメリットとして捉えられている。
そのため、羽賀氏は「ひろさきペイ」を「非常に面白い取り組み」と高く評価する一方で、最初にNTT東日本からの提案を聞いたときは、そのハードルの高さに危惧を覚えたそうだ。
「誰が加盟店を集めるのかなど、ネガティブな要素はもちろんですが、そもそも地域交通課の枠を超えた取り組みではないかと、新たな悩みを抱えることになりました」(羽賀氏)
しかし、「役所というのはやはり縦割りなので、管轄の問題などもあったのですが、提案自体は面白いし、我々が目指すべき姿に近づいていることが感じられた」ことから、「ひろさきペイ」の採用を決断。「ひろさきMaaS」は新たなる進化を遂げることとなった。
令和7年度は、QRコードを採用することによって、正確な乗降データを獲得できることになり、公共交通事業者に対しても、正確な分配が可能になった。利用者の満足度も令和6年度に続いて高かったが、その反面、「ひろさきMaaS」と「ひろさきペイ」といった2種類のアプリを使うことになったため、連携など初期設定の複雑さに対する不満も少なくなかったという。「決して難しい作業ではなく、マニュアルや動画で詳しく紹介しているのですが、多くの問い合わせをいただくことになりました」と羽賀氏は語る。
さらに、QRコードの読み込みについても、利用者の端末に依存するところがあり、機種によっては読み取り速度に少し課題があったことが指摘されており、設定に関する問い合わせの軽減、QRコードの読み取りをスムーズにすることが、令和7年度における大きな課題となっている。「そのあたりの改善は急務」という羽賀氏だが、利用者の満足度、さらに期待の大きさを見て、方向性としては間違っていないとの手応えを感じているという。
利用者増に向けてプロモーションに注力
令和6年度の評価の高さ、さらに令和7年度の改善状況から、「爆発的に応募が殺到する」と感じた羽賀氏は、募集定員を前年度の100名(令和6年度定員)から200名に増加。「これで足りなければ抽選をするしかない」と考えていたという。
しかし募集を開始したところ、枠が埋まらず、募集期間を延長することになった。その最大の理由は「PR不足」だ。「どんなに優れたシステムでも、知らない人に買ってもらうことはできません。システムの改善はもちろんですが、プロモーションの強化も大きな課題として、次年度以降に備えたい」と、羽賀氏は課題解決に向けて意気込みを示した。
「利用者が思っている以上に伸びないのは、やはりプロモーション不足」と、弘前市 都市整備部 地域交通課 交通政策係 主幹兼係長の成田孝行氏も同意する。加えて、公共交通の利用に対して、自分の中で線引きを行っている若者や大人が多いとの見解から、「そうした人々をいかに公共交通の利用へと引っ張ってこられるかが次の課題です」と同氏は語った。
成田氏は応募者が定員に満たないことがわかった際、「市の公式LINEで何度も募集をかけたので、枠を使いすぎだといって怒られました」というエピソードを明かしつつ、「それくらいやっても定員が埋められないということは、市民の方々に響かせるためにはもっと時間をかけなければならない」と、さらなるプロモーションの必要性を口にした。
また、弘前市 都市整備部 地域交通課 交通政策係 主事 倉光諒心氏は「当選された方の中でも、使っていただけない方がいる」と別の課題を指摘する。利用しない理由について聞いてみたところ、「何かちょっと使いづらそうだと思った」と言われたという。使用する前から“使いづらそう”と言われたことに少しショックを受けたという倉光氏だが、「やはり周知不足が大きな原因」と結論づける。
「『ひろさきMaaS』は優れたシステムだと思いますが、その良さが伝わりきっていない」ことを実感。『ひろさきMaaS』そのものの周知はもちろんですが、使い方などもあわせてお伝えしていきたい」と、倉光氏は次年度に向けての意欲を見せていた。
「ひろさきMaaS」の実証において、NTT東日本は、アプリから取得されたデータを利用したデータ分析にも取り組んでいる。令和6年度はデータ取得にとどまっているが、令和7年度はダッシュボードを作ることによって見える化を実現。人流分析にも着手しているという。
「利用者の方が、どこの拠点を移動しているかも一目でわかるようになっています」と話す鎌田氏。さらに、「ひろさきMaaS」で取得したデータを基に、公共交通の利用度を上げるためのワークショップも開催される。「『ひろさきMaaS』のデータを見ながら、どうすれば公共交通を利用してもらえるかについてディスカッションを行います。『ひろさきMaaS』のデータは一つの例にすぎませんが、ここから解決手段が導き出されていくことを願います」と、同氏は大きな期待を寄せる。
令和9年度の実用化に向けてさらなる飛躍を
令和9年度の実用化を目指す「ひろさきMaaS」だが、その前段階として、令和8年度の実証も検討されている。令和7年度の実証を踏まえて、「システム自体は、もうガラッと変える必要はない」という羽賀氏。「あとはもう枠組みをいかに広げるかに尽きる」と、より多くの市民に利用してもらうことを目指す。そのためにはプロモーションの強化はもちろんだが、「通勤・通学で弘前市を利用する弘前市周辺の住民の方も対象に加えてよいのではないか」と、同氏は新たな試みを語った。
「ひろさきMaaS」の利用料金は月額9,000円(デジタル地域通貨ポイント1,000円分を含む)となっているが、乗車料金を計算すると、1人平均約11,000円程度になっているという。定額乗り放題サービスということで、一般の平均よりも乗車回数は多くなっていると思われるが、「自分の移動範囲を考えて、最低でも9,000円以上は公共交通を利用するという方でなければ、少し手が出しづらいかもしれません」と羽賀氏はいう。その意味では、移動範囲にあわせたオプションも用意する必要があるかもしれないと、同氏はさらなる展開の必要性を指摘した。
さらに、通勤・通学の場合、月~金の平日利用がメインとなるため、観光消費という点では、「土・日に限定した、ワンデイパスやツーデイパスといったオプションを用意することで、観光でいらした方も対象にできる」との考えを明かした。羽賀氏は「観光客を対象とするのであれば、『ひろさきペイ』も加盟店をもっと増やす必要がありますし、移動手段として、レンタサイクルや一般のメータータクシーに乗れるといった、移動手段の拡大も必要かもしれない」と、「ひろさきMaaS」のさらなる可能性に言及した。
一方、「アプリに関しては、利用者目線でさらなる改善を加えていきたい」という鎌田氏。アプリ開発には予算の問題もあるが、「システムで解決できる点だけでなく、創意工夫で改善できる部分もあると思いますので、できるだけベストを追求していきたい」との意気込みを明かす。
また、鎌田氏は「公共交通に乗るだけでなく、健康アプリや環境アプリと連携することによって、さまざまな行動や活動をポイント化して、『ひろさきペイ』に流すことができれば、弘前市全体を循環させることができるシステムが作れるかもしれません」と、さらなる活用法を提言。「ポータルのように、弘前市のさまざまなサービスを利用するための入り口になる。最終的には、そんな形で発展できることが理想だと思っています」と締めくくった。




