
タモリさんを招いて…
本号(10月8日号)では、『高校時代の思い出を今一度』で福岡県立筑紫丘高校のOBたちに集まってもらった。同校は、様々な領域で活躍する人材を輩出している学校として知られる。
今回の座談会に登場していただいたのは、タレントのタモリさん(本名・森田一義)、太平洋セメント社長の田浦良文さん、東急社長の堀江正博さん、東京センチュリー社長の藤原弘治さん(みずほ銀行元頭取)の4人の方々。
タモリさんは終戦の年の1945年(昭和20年)の生まれ。タモリさんと田浦さんたち経営者の方々とはひと回り以上の年齢差があるが、座談会は冒頭から和気藹々と話が進んだ。
筑紫丘高校は質実剛健の気風の中にも、先輩・後輩のつながりが深い学校と聞く。東京での同窓の集まりでも、800人から1000人近くの参加者があるそうで、それだけ母校愛が強いということ。
座談会の中でも話が出たが、校歌作曲は著名な作曲家・信時潔氏によるもので、作詞は万葉集研究の高木市之助氏が手がけた。
歌詞は全文が漢文調表記で、『日本守護、日本開拓、日本創造』という一節もある。全文が漢文調の校歌は全国でも同校のみだという。
若人の志を高める歌詞で、司会を務めた筆者も清々しい気持ちになった。
逞しさと創造力
とにかく、皆さん一人ひとりが逞しい。タモリさんは高校3年生の時、いろいろな音楽を聴いて、最後にジャズにはまったという。 早稲田大学に入学してすぐ、モダンジャズ研究会に入部。だが、「周りが上手な人ばかりで、先輩にお前のトランペットは笑っている」と言われ、司会として喋る役にまわったというエピソードも披露してもらった。
早稲田は、その後、「授業料未納で抹籍になった」とユーモアたっぷりに語っておられたが、自分の力で努力され、いろいろな事を経験されて、ここまで来られたのだと思う。
何事にもチャレンジする気風が同校OB、OGにはある。太平洋セメントの田浦さんは九州大学を卒業後、「海外に出て仕事をしたい」と前身の小野田セメントに入社。アジアやパプアニューギニアなどの新興国での仕事も経験。これも、「うちの学校は海外に出て活躍する人間を育てる」という先生の励ましがあったからだという。
東急の堀江さんは、「校歌の最後にある日本創造という言葉がとても心に刺さりました」と振り返る。どんな環境下でも、物事を創り出していくぞという気概。クリエイティビティを大事にする堀江さんは陸上部で活躍。慶應義塾大学時代も陸上で心身を鍛えられた。
また、藤原さんは進路を決める際、父親に「銀行だけは止めてくれ」と言われた。
理由を聞くと、「慇懃無礼な態度で民間に金を貸し、雨が降ったら傘を取りあげるからだ」という。しかし、藤原さんが銀行に勤めるOBを訪ねたら、「素晴らしいロマンを持った人たちばかり」というので、早稲田を卒業後、旧第一勧銀に入行。
その後の銀行再編で、同行はみずほフィナンシャルグループとなり、藤原さんはみずほ銀行頭取まで務めた。そして現在はリース大手の東京センチュリー社長を務めておられる。
人生に修羅場は付き物だが、皆さん共に明るく、誠実一路。とにかく楽しく明るい座談会だった。
青春座談会は読者の人たちも前向きにさせてくれる。