偽物は中世の昔から

読者の皆さんは「聖遺物」という言葉をお聞きになったことがおありだろうか?

先日、私が受けた大学の中世ヨーロッパの歴史の授業でこの話が出てきた。「聖遺物」とはカトリック教会においてイエス・キリスト、聖母マリア、あるいは殉教して聖人となった人たちの遺骸や遺品のことを言う。これらの「聖遺物」は特に中世のキリスト教のヨーロッパでの布教活動に非常に貢献した。

というのも、カトリック教会で重要な祭儀である「聖餐」を執り行う祭壇の下には「聖遺物」が保管されていて、カトリック教会の権威を表現する重要なアイテムとして扱われていたからだ。

ずいぶんと昔になるがイタリアのどこかで磔刑直後のイエス・キリストの血まみれの遺骸を包んだとされる聖布が発見され、X線調査によってイエスの顔の輪郭が浮かび上がったというニュースを見たことがあるが、その真贋は別としてこれなどは「聖遺物」の極め付きであるといえる。

しかし、中世ヨーロッパでは「聖遺物」について常に真贋の議論がなされたことも確かである。イエス、マリア、そして聖人たちの数はかなり限られているが、教会に置かれているおびただしい「聖遺物」の数を比較した研究によると、かなりの偽物が出回っていたことは確実だという。特に、中世ヨーロッパでの都市の発展過程においては、人を呼び込むために各都市が競って「ご利益の高い聖遺物」の存在を宣伝した記録もたくさん残っている。本物のある所には必ず偽物があるというのは人の世の常である。

というわけで、今回は偽物半導体とそれが流通するグレーマーケットについての私の経験を基にしてコラムを書くことにした。

編集部からもらった秋葉原の珍品

先日、よく秋葉原のジャンク屋などに行くことがあるマイナビニュースの編集者から大変に面白いCPUをもらった(下の実物写真をご参照)。電気的にはもちろん死んでいるので普通の人にはただの屑パーツであるが、よく見ると「AMD Athlon 64」とマーキングがある。CPU収集家の私としてはこれは捨ててはおけないと思って、ありがたく頂戴したが一目見た瞬間に直感的に"これは何となく偽物臭いな"という印象を持った。私はAMD時代に実にたくさんのチップを目にしたが、Athlon64でこの形状のものは見たことがない。

  • 秋葉原のジャンク屋で発見されたAthlon64

    秋葉原のジャンク屋で発見されたAthlon64 (著者所蔵写真)

それでマーキングの詳細についてよく確認することにした(マーキングの拡大写真をご参照)。すると非常に興味深いことが確認された。そこには下記の2つのマーキングがあった。

  1. DIFUUSED IN SINGAPORE
  2. (C) 2005 AMD MADE IN MALAYSIA
  • チップの上部に印刷されているマーキング

    チップの上部に印刷されているマーキング (著者所蔵写真)

「1」の"Diffused"というのは英語で"拡散"という意味であるが、半導体のプロセスで不純物原子をシリコン結晶内に拡散させてトランジスタのもとを作る前工程で最も重要な工程の1つである。ということはこのAthlon64の前工程はシンガポールで行われたことを示している。

「2」の"Made in Malaysia"というのは、アセンブリ、つまり出荷試験などの半導体の後工程がマレーシアで行われたことを示している。"(C) 2005"というのは、このCPUのマスクの著作権が2005年に取得されたことを示している。

ちなみに、私が所蔵しているかなり初期の本物のAthlon64の写真を下記に掲載する(表面はヒートシンクを兼ねた金属で覆われている)。Athlon64は初代のシリコンから何度も改良がなされ、いろいろなバージョンが出荷されたので一様には比較できないが、"珍品Athlon64"のピン数などはかなり少ない。下部のマーキングには"Assembled In Malaysia"とのレーザーマークがある。

  • 本物のAthlon64

    著者所蔵の本物のAthlon64

  • "Assembled In Malaysia"のマーキング

    パッケージ下部にある"Assembled In Malaysia"のマーキング

半導体の世界では超清浄度が要求されるクリーンルーム内で行われるパターン形成、酸化、拡散、エッチングなどの前工程と、ダイシング、パッケージング、出荷検査などの後工程を行う工場は分かれているのが普通であるのは皆様がよくご存じのことであると思う。

しかし国際貿易の取り決めで"原産地とは最終出荷地"と決められていることは時々誤解を生む問題である。非常に複雑な工程である前工程が行われる、言い換えればその半導体製品の付加価値の大半を決める工程ではなく、どちらかと労働集約的な後工程が行われる場所がその半導体製品の原産地となる場合が多い。この問題は特に最近の米中の貿易摩擦で大変に複雑な事情を起こすことが予想される。

さて、秋葉原のジャンク屋から私のもとに届いたこのAthlon64であるが、マーキングから推測するに、Athlon64出荷当時のAMDはマレーシアのペナンに後工程の工場を持っていたので、「2」の表示は問題ないが、私が非常に興味を持ったのは「1」の前工程の表示である。下記の疑問がわいた。

  1. 原産地は最終出荷地なので、半導体製品のマーキングで前工程の場所をわざわざ刻印するのはあまり聞いたことがない。
  2. Athlon64は2003年に出荷開始された。当時Fabを自前で持っていたAMDのCPU製品の前工程はすべて独ドレスデンであった。派生製品も含めてAthlon64の製品名で出荷されていたのは私の記憶では2008年くらいまでで、これらの製品の前工程はシンガポールのはずがない。
  3. それでは前工程の場所をことさら"Diffused in Singapore"と表示した理由は何か?

以上の考察からこのAthlon64はどうも偽物である可能性が高い。シリアル番号、ダイサイズ、ピン数などからより正確な考察を行うことは可能だが、ここではやめておく。

それより、この使い物にならなくなった物言わぬAthlon64がどんな過程で製造され、どのような経路をたどって秋葉原のジャンク屋にたどり着たのかについて思いをはせるのもなかなか一興であると思った。

後半となる次回では海賊版半導体がどのようにして作られ、そのような経路をたどって市場に出回るのかという問題について私の経験上知りえたことに基づいて書いてみたいと思う。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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