「SaaS is Dead」という言葉が話題になっていましたね。SHIFTさんのキャッチコピー「Bug is Over」に合わせて、筆者たちのような古い人間では「SaaS is Over」(昔、ラヴ・イズ・オーヴァーという曲がはやった)といったほうがいいかもしれません。ただ、最近では鎮静化しています。

SaaSはソフトウェアの形態であり、提供形態やソフトウェアが死ぬわけではありません。本来、ビジネスの成否はモデルの名称に関わらず「死ぬものは死ぬし、成長するものは成長する」という原理原則に従うものです。ですから、"SaaS"を主語にするのは、少し解像度が低い議論だと思いました。

日本のベンチャーが抱える「Local × Casual」の罠

SaaS is Deadで考えるべきこともあります。講演で聞いたのですが、経営戦略の楠木建教授は、日本と海外のベンチャーの違いを鮮やかに整理されています。

海外のベンチャー:「Global × Serious」
世界市場をターゲットにし、地球温暖化、難病治療、貧困問題といった、社会のシリアスな課題に対する解決策を提供している。

日本のベンチャー:「Local × Casual」
国内市場に特化し、既存業務のちょっとしたカジュアルな課題に対するSaaSが圧倒的に多い。

なるほど!と思いますよね。この「Local × Casual」な領域こそが、生成AIの進化によって、今最も危機に瀕しています。特にAI SaaSです。それは、5フォース分析で脅威を見てみると明らかです。

  • エンタープライズIT新潮流75-1

どの脅威も高く、あくまでも平均ですが、期待される企業パフォーマンスは低くなってしまいます。

脅威の本質は生成AIではなくグローバルベンダー

筆者がマイクロソフト時代に痛感したのは、本当の脅威は技術そのものよりも、グローバルベンダーによるプラットフォームの席巻だということです。

かつて日本にあったワープロ専用機が良い(?)例です。ワープロとは、ワードプロセッサの略で、文書生成を意味します。若い人には「なんじゃそれ」かもですね。

筆者は富士通の出身ですので、親指シフトキーボードのOASYSを愛用していました。ところが、OASYSを含めて、ワープロ専用機は一気に姿を消しました。原因はインターネットの普及と、Microsoft Officeの標準化です。ネットを介したファイル交換においてWord形式が世界標準になりました。それでネットワーク効果が働きました。

さらにPCが国際互換になったことで、専用機はDeadしたのです。ワープロという機能が劣っていたわけではありません。ワープロというアプリケーションは今でもMicrosoft WordやGoogle Documentとして存在しますので、世界標準に取って代わられたのです。

あるAI SaaSのCEOの話です。そのCEOは今後の戒めのために、古いワープロ専用機を購入されました。ワープロ専用機のようにツールでは淘汰されるので、これからはAIエージェントだと。おしいな。原因を正しく理解されていない。それでは......

繰り返される歴史

これと同じ構造がさまざまな「Local x Casual」で起きています。以下が代表例です。

AI-OCR:今やGeminiなどのマルチモーダルAIを使えば、手書きや複雑なレイアウトのPDFも高い精度で構造理解できます。

議事録作成:生成AIで容易に代替またはアプリケーションが開発できるため、完全にレッドオーシャン化しています。

電話:IP電話市場では、Zoom Phoneが急速に普及しています。

RPA(Robotic Process Automation):Microsoftがデスクトップ版を無償化したことで、有償市場は影響を受けました。

これは日本のベンダーだけが影響を受けているわけではないです。「Global × Serious」に成り切れない世界のベンダーが影響を受けているのです。そして、どれも、業務の本丸ではなく、比較的狭い用事を済ますような製品だとお気付きだと思います。グローバルベンダーが"ついでに"標準機能で飲み込める領域です。

一方で、日本固有の経理業務や人事業務をまるっとこなすようなSaaSには、影響を及ぼしていません。"ド"Localは影響を受けにくいのです。そんなことをするほどグローバルベンダーも暇とリソースはないのです。ただ、世界にビジネスを拡張できないので、株式市場では高い評価は得るのは厳しいです。

最先端を走るグローバルベンダーの開発力は、半端じゃないです。数年前のGoogleの翻訳機能を見れば分かります。日本語ではまったく使い物にならなかったですが、今では普通に使えます。今が弱いと言っても、油断大敵です。

グローバルベンダーが機能を標準装備し、生成AIがワークフローまで自動化する。この流れに飲み込まれるカジュアルなSaaSは死を待つほかありません。

Deadしないための対策

では対策はどうすべきでしょうか。それは戦略の再構築です。

まずは、グローバルベンダーが参入してくる市場がどこかを予想して、闘いを避けます。世界を目指さないのであれば、日本固有の業務で、しかも対象範囲が広い市場を狙います。グローバルベンダーの特許出願の分野などを確認できれば、ある程度、予測は立ちます。

また、急速に成長するベンダーもいるので、スタートアップやベンチャーの動きをよく観察します。成長しているスタートアップはTOP 100などで取り上げられるので、捕捉しやすいです。有名なベンチャーキャピタルの投資先を見てみるのも手です。

そして、SaaSという商品だけでなく、その他の要素も含めて、戦略を作り上げる必要があります。ここでは、ファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略やビジネスモデル・ナビゲーターが参考になります。

ファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略

ファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略の肝は、すべての項目で100点を目指してはいけないという点にあります。そんなリソースは企業にはないからです。市場で支配的な地位を築くために、次の5つの評価軸において自社のリソースを戦略的に配分することを説いています。

5つの評価軸
1.価格(Price):納得感のある価格設定
2.サービス(Service):顧客への対応、手厚いサポート、ホスピタリティ
3.アクセス(Access):買いやすさ、場所の利便性、入手しやすさ
4.商品(Experience / Product):製品の品質、独自性、選ぶ楽しさ
5.顧客との絆(Value Equity):顧客との信頼関係、ブランドへの愛着

5つの要素うち、1つの軸で市場支配(5点)、別の3つの軸で差別化(4点)、残り1つの実で業界水準(3点)を達成する。2点以下がある場合は、市場撤退だそうです。厳しい――。

ビジネスモデル・ナビゲーター

ビジネスモデル・ナビゲーターは、スイスのザンクトガレン大学のオリヴァー・ガスマン教授らによって開発された、ビジネスモデル構築のための強力なフレームワークです。

この手法は、世の中にある成功事例を55のパターンに分類し、それらを組み合わせて新しいビジネスモデルを作るためのレシピ本みたいなものです。過去50年ほどの成功したビジネスモデルを分析した結果、ビジネスモデルの90%は既存のパターンの組み合わせや応用であることを前提としています。

例えば、サブスクリプションは、昔から新聞や定期発行の書物で普通にありました。それをSaaSに応用したのです。

ビジネスモデル・ナビゲーターでは、ビジネスモデルを以下の4つの要素で定義します。これらすべてが整合性を持ってつながっていることが重要で、このうち競合のモデルから2つを変えることで新しいビジネスモデルが作れると述べています。

WHO(誰に):ターゲット顧客は誰か?
WHAT(何を):顧客にどのような価値(価値提案)を提供するのか?
HOW(どのように):その価値をどうやって作り出し、届けるのか?(サプライチェーンやプロセス)
VALUE(なぜ):どのように収益を上げるのか?(収益構造)

お分かりいただけると思いますが、ファイブ・ウェア・ポジショニング戦略とビジネスモデル・ナビゲーターの組み合わせはかなり強力です。

現代のビジネスシーンで語られる「SaaS is Dead」の本質は、ソフトウェアの形態の終焉ではなく、グローバル標準とAIによる包摂です。SaaSベンダーは、再度、戦略を点検されることをお勧めします。