龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第28回)ヤトロン社への想い

2002年6月24日に開催された株主総会の決議により、大きな経営革新の舵を切ることができました。

 当時の子会社のヤトロンは父が創業した国産初の体外診断薬メーカーです。その活躍の一端はサリン事件の時です。ヤトロン社の試薬が「サリン」の同定に大活躍したのは言うまでもありません。

 あの1週間後に、現場となった医療機関の検査室に伺ったところ、ちょうど横浜での異臭事件のテレビ中継がありました。一緒に見ていた検査部長の顔色が変わったと思ったら電話が鳴りっぱなしになったのです。

 当時の売り上げは70億円ほどですが、利益率が高いので、株主である当社にも大いに貢献していました。しかし将来性はどうでしょうか。当時から臨床検査は医療費高騰の影響を受け、検査点数が下げられる一方、検査数も減らされていったのです。

 この技術を一般用の検査薬に転用して龍角散と同じ薬局ルートで販売する方法も検討しましたが、肝心の体外診断用医薬品を一般用に転用するには大幅な法改正が必要です。現在でも一般用体外検査薬は、ごく一部に限定されています。

 実は生前、父と、この点について話したことがありました。病院の検査室や検査センターで高度な精度で分析するのと異なり、一般用の試薬は検査精度が大幅に低くなります。少なくとも当時のヤトロン社の技術では一般用に転用することは相当困難でした。

 近い将来を考えると、龍角散本体とヤトロン社の協力体制は現実的ではないという判断でした。残る手段は、ヤトロン社の優秀な人材と技術をいかにして残すかです。父は何としても業績不振の龍角散を救って欲しい。そのためなら自分が創業したヤトロン社は手放しても良いという考えでした。

 当時、ヤトロン社の提携先である三菱化成は、自動血液分析装置の開発と製造を、ヤトロン社は体外診断薬の開発と製造をと、両社の得意分野を合体させて合弁事業であるダイアヤトロン社が販売を担当していました。それまで手作業だった検査を自動化することで、検査数の拡大と工数減を実現したことになります。

 私は、ある証券会社にコンタクトし、ヤトロン社の将来性を算定した上で、三菱化成サイドと交渉しました。三菱化成サイドはヤトロン社を吸収すると、急激に時価総額が上がる試算を前提に、想定より低い株価を提示してきました。

 私は臨床検査薬製品はアイテム数も多く、典型的な多品種少量生産であるのでヤトロン社の人材を重視するよう主張、私は可能な限り株を持ち続け、株主総会などでヤトロン社社員が登用されているか、一定期間見極めたいと申し入れたのです。

 結果的に検査事業のヤトロン社は統合、更に合併を繰り返してLSIメディエンスと社名変更しました。

 

 現在、旧ヤトロン社の研究者、技術者をはじめとする社員が、日本の臨床検査薬市場の中枢で活躍していることは喜ばしい限りです。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第27回)6.24とは