Google Cloudは10月29日~30日、「Agentic AI Summit '26 Fall」を開催した。本稿では29日に行われたセッション「ベテランの暗黙知を生成AIで『判断の型』へ~トマト部長モデル~」の内容をお届けする。登壇は、MIXI 人事本部 副本部長の坂田信隆氏。

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    MIXI 人事本部 副本部長 坂田信隆氏

“AIは人並み”の労務部長がなぜ、モデル開発に着手したのか

坂田氏は講演の冒頭、「今回紹介するのは、自身の経験をAIに落とし込んで、社内で共有・活用している事例であり、技術的に高度なことではない。皆さんもすぐに試すことができる」と聴講者に呼びかけた。

同氏は人事に従事して20年以上であり、現在は人事本部 副本部長として主に労務ガバナンスに携わっている。MIXIは社を挙げて生成AI活用を推進しており、社内での利用率は「ほぼ100%」だというが、自身は「AIについては人並み」だと話す。

では、そんな坂田氏がなぜAIエージェントのモデル開発をすることになったのか。

きっかけは、今年3月まで身を置いていた労務部長の座を部下にバトンタッチすることが決まったことだった。人事の仕事は正解のない仕事が多い。引継書をどうつくろうかと悩むなかで、「事案のFAQをつくるよりも、自分の頭の中をいかに残すかが重要なのではと感じた」と同氏は振り返った。さらに「50歳を過ぎて、自分の経験を会社に資産として残したいという気持ちが強くなった」ことも、モデル開発を後押しした。

こうして出来上がったのが「トマト部長モデル」である。

労務部長に暗黙知が集まる理由とは

「トマト部長モデル」について坂田氏は「一言で言えば、生成AIと対話することで、労務部長の暗黙知を型にしたもの」だと説明する。暗黙知とは、人が無意識にやっている思考や動作を指す。

同氏は面談の日程設定を例に挙げた。面談には月曜日を選ぶか、金曜日を選ぶか。月曜日の場合、同じ週に再度接触する機会を持ちやすい。金曜日であれば、面談相手は週末に家族と相談する時間が持てる。あるいは、週末をはさむことで、気持ちをリセットする時間が持てるかもしれない。

「面談の日程に月曜日を選ぶか、金曜日を選ぶかで、初動が大きく変わるので、私はとても気にしていました。しかし、周りに聞くと『そこまで考えていない』という人もいました。これが(労務部長における)暗黙知です」(坂田氏)

坂田氏によると、労務部長という立場は暗黙知が蓄積しやすいという。例えば、コミュニケーションの齟齬やハラスメントの相談など、組織の複雑な問題を取り扱っていることが1つの要因である。また、人事には「100%の正論が通じない場もある」そうだ。さらに、相談相手との関係性によって、どのような対応をすべきか変わってくる場合も多い。加えて、これらの相談は他者に話すことはできず、「孤独な判断を求められるがゆえに、属人化しやすい」という理由がある。

いつか作成者が忘れられるのが理想

このような暗黙知をAIエージェントに学ばせるため、坂田氏は2つの作業を行った。

1つは、Geminiとの対話だ。自身の実務経験を入力し、なぜそう考え、行動したのかを深掘りして会話する。これを繰り返すと、言語化、構造化がしやすくなるのだ。このプロセスのなかで、AIは会話の共通項を取り出し、「型」にする。ここで重要なのは、AIに答えを求めるのではなく、自分がなぜこう判断し、行動したのかを問い直すことだと同氏は説明した。

加えてこのプロセスでは、自分自身の棚卸も行った。人格形成に影響を与えるものは何なのかを考えると、幼少期にたどり着く。坂田氏の場合は、小学校の時の体験から「目の前のことではなく、全体を見ることができるようになったのではないか」と振り返った。

「このプロセスにかかった時間は1週間です。いろいろな気付きのある楽しい時間でした」(坂田氏)

次に取りかかったのは、この「型」をいかに出力するかというチューニングだ。これには1カ月の時間を要した。

「このチューニングが大変でした。おおざっぱでは使えないし、細かすぎても、属人化しすぎて、私にしか対応できなくなってしまいます。チューニングの過程では、自分で自分の型に質問をしてみたり、ちょうど困りごとがあったマネージャーに試しに使ってもらったりしました」(坂田氏)

このようなプロセスを経て、AIは坂田氏の持つ判断パターンを5つに集約し、「トマト部長モデル」が生まれた。

現在、「トマト部長モデル」は、人事基本編や社員面談用などいくつかの暗黙知ドキュメントと、ラインケア資料、就業規則・規程をソースとし、基本型、ラインケア版、コンプリート版の3種のメニューが用意されている。プロンプトも初級、中級、上級があり、中級、上級になると、より再現性が高くなるつくりだ。

ここで坂田氏は「トマト部長モデル」の名前の由来を話した。例えば、「労務部長モデル」や「坂田モデル」だとどうだろうか。少し堅苦しい感じがするかもしれない。また同氏は「もしかすると、坂田のことが苦手という人もいるかもしれない」と話す。そこで白羽の矢が立ったのが、社内ですでに知名度のあるキャラクターの「トマト」だった。キャラクターの親しみやすさに加え、坂田氏にはこんな狙いもあった。

「キャラクターであれば、モデルの作成者がいなくなっても組織に残りやすいと考えました。また、擬人化することで、最終的には“私がつくった”ということが分からなくなるのが理想だと思っています」(坂田氏)

小さく始め、口コミで広げる

ここから坂田氏は、「トマト部長モデル」の社内展開に話を移した。

展開はスモールスタートで、まずは人事部門に共有したという。次に管理職へも対象を広げた。このころから社内で「トマト部長モデル」に対する口コミが広がり始め、さまざまなフィードバックが集まるようになる。そこでSlackにコミュニティチャンネルを立ち上げ、さらなる浸透を図ったそうだ。寄せられたフィードバックは、モデルの改善にも利用された。

このような口コミによる浸透を経て、「トマト部長モデル」はグループ会社でのマネジメント研修にも使われるようになる。参加者同士のディスカッションが行き詰った段階で、トマト部長が議論に参加。これにより、第三者の視点が入り、新たな気付きを得やすくなるそうだ。この研修の様子を振り返った同氏は「自分の分身が各テーブルにいるような感覚になる」と笑った。

研修後のアンケートでは「研修後にすぐに活用できる」「状況に応じて活用できる」と回答した人が100%だったという。「24時間、ベテランの労務部長に相談できるのが素晴らしい」「もっと早くほしかった」といった声も寄せられた。

「研修で重要なのは行動変容に結び付いているかどうかです。AIエージェントであれば、いつでも使うことができます。そうして反復利用することで、(労務部長の暗黙知が)自然に身についていくのです」(坂田氏)

トマト部長の仲間づくりは続く

最後に坂田氏は、今後の展開にも言及した。

トマト部長は「仲間を増やしていける」。例えば、営業の暗黙知を型にした「ポテト本部長」、開発には「キャベツ課長」、労務・管理には「アボカド室長」……。ベテランの頭の中を公開し、次世代がそれを使う。さらに新たな知見や利用ログを取り込み、モデルを育てる。「トマト部長モデル」は再現可能な取り組みへの第一歩なのだ。

「残したかったのは答えではなく、ベテランの思考プロセスです。AIを使えば、これを残すことができます。世の中も会社も変わっていきますが、ベテランの思考プロセスは比較的普遍的なものではないかと思っています。そして普遍的ではなくなってきたら、後輩がこれをメンテナンスすることで、会社の資産としてずっと使っていけるものになるのです」(坂田氏)