
目指すのは、『共助成長社会』─。経済同友会・代表幹事の山口明夫氏(1964年8月生まれ)は「共助と成長で、日本を動かすことに貢献したい」という考えを示す。AI(人工知能)などのテクノロジーの急速な進展で、産業構造や人の生き方・働き方が根底から変わろうとする今、経済人、特に経済リーダーの使命と役割とは何か。経団連(日本経済団体連合会)、日本商工会議所と並んで、経済三団体の一角を占める経済同友会が今年、設立80周年を迎えた。終戦間もない1946年(昭和21年)4月、経済人の有志が立ち上げた経済同友会は、設立趣意書で、「われわれは経済人として、新生日本の構築に全力を捧げたい」と謳った。それから80年が経つ今、山口氏は、経済人の使命は変わらないとして、「一人ひとりが幸せを感じる社会、そして居場所を感じられる社会をつくることに貢献したい」という抱負を語る。日本アイ・ビー・エム(日本IBM)では、長年、テクノロジーの現場に身を置き、米IBMコーポレーション(米国IBM)の経営にも参画。地球全体を視野に入れる経営を経験し、国と国のつながり、人と人のつながりを模索。氏が追求する『共助成長社会』の中核なるものは─。
設立80周年を迎えた今「共助の精神」で成長を
山口明夫氏(1964年8月生まれ、日本アイ・ビー・エム会長、就任当時は社長)が経済同友会の代表幹事に就任したのは今年1月1日。それから9カ月が経つ。この間にも日本内外ではさまざまな出来事が起きているが、どのような感想を持っているのか─。
「代表幹事に就任して分かったことは、社会から多くの期待をお寄せいただいている組織であり、志を同じくする経営者の皆様に支えられていることです。政府の方々をはじめ、官僚や海外の経済団体トップなど、お会いできないような皆さんとお目にかかることができます。
改めてこのネットワークの強さ、広がりを感じました。今まで自分が接してきた世界とは違う、途方もない世界に突入したような感覚を覚えました」
経済同友会が設立されたのは1946年4月。先の大戦で敗戦国となった日本は、まさに焦土と化した悲惨な状況から国の復興を図ろうとしていた。
設立趣旨書では、「日本はいま焦土にひとしい荒廃の中から立ち上ろうとしている。新しき祖国は人類の厚生と世界文化に寄与するに足る真に民主々義的な平和国家でなければならない」と謳う。
そして、「われわれは経済人として新生日本の構築に全力を挙げなければならない」と互いに啓発し合いながら、「我が国経済の再建に総力を傾注すべき」と経済人の結集を呼びかけている。今年、その設立から80年を迎えた。
同友会設立時と今とでは、日本を取り巻く環境は大きく変わった。国際情勢も当時とは違い、産業構造も人口動態も変わっているが、混沌・混迷の中をどう生き抜くか─という点は同じ。それを踏まえて、山口氏が語る。
「現在、経済同友会には1800名を超えるメンバーがいます。企業の経営者だけでなく、大学の学長、NPO代表などもいる。
また年齢で見ても、若い方から長く経験を積まれた方まで幅広い世代がメンバーになっており、皆さんが個人の立場から、経済成長や共助の精神に基づいた活動を通じて、日本社会をより良くしていこうと本気で考えてくれています。そういう人たちが集まっているのです」
山口氏は、「同じ志を持って、皆で議論することがこんなにも楽しいものなのだという感覚は共有されています」という心情を明かし、次のように続ける。
「皆が手弁当で、志ひとつをよりどころに集まっている。それを率いる代表幹事は非常に大きな役割であり、重責を担っているのだと気を引き締めているところです」
胆を据えて発信する人物との評価
山口氏が代表幹事に選出されるまでの約3カ月の間、経済同友会は混乱の中にあった。
前代表幹事の新浪剛史氏(当時、サントリーホールディングス会長)が、自身のサプリメント購入を巡って警察の捜査を受け、代表幹事を辞任。副代表幹事の岩井睦雄氏(当時、日本たばこ産業会長)が代表幹事代行を務めたが、なかなか後継の代表幹事を決められずにいた。
暮れも押し迫った昨年12月末、浮上したのが山口氏の名前であった。
山口氏は当時、日本アイ・ビー・エム社長で、2022年から副代表幹事を務めていた。10数人いる副代表幹事の中から、最終的に山口氏に白羽の矢が立ったのは、「グローバルな視点があり、性格も明るく、胆を据えて発信している」(岩井氏)という人物評があったからだ。
新浪氏の突然の辞任から空白の3カ月間、〝決められない同友会〟とも揶揄されたが、関係者の間では強い危機感があり、「融和を図る意味でも、山口氏が最適任」ということで代表幹事選びは決着した。
山口氏にとっては青天の霹靂で、一度は要請を断った。
「副代表幹事の範囲での仕事はやっていましたけれども、代表幹事はもう絶対やれないと。経済全体の動きをつかみながら、霞ヶ関の方々や永田町の方々にどんどん提言をしながら、仕事をしていかなくてはならない。そして、日本アイ・ビー・エムのトップの仕事とはまた違う。
もっと言うなら、外資であるし、年齢的にももっと重鎮の方々がやってこられたし、これはちょっと待てよという気持ちが正直ありました」最初に断った時の心情を山口氏はこう明かす。
「それはもう謙遜して言っているのではなくて、もう本音で、心の底から、これはまずいという気持ちです。それはありましたね」と山口氏はその時を振り返る。
エンジニア時代からの「愚直に」という生き方
愚直に、誠実に生きる─。山口氏は日本アイ・ビー・エム入社(1987年)以来、サービスエンジニア、システムエンジニアとして、金融関係のシステム構築に携わってきた。
顧客のために、愚直に仕事に取り組む。その姿勢を見てきた金融関係者は、今でも親しみを込めて、『山口っちゃん』と呼ぶ。顧客とコミュニケーション(対話)して、信頼関係を築き上げる─。
経済同友会でも変わらない姿勢でやっていたからこそ、「いま組織の融和が求められている時に、山口さんしかいない」という声があがってきたのであろう。
山口氏自身にも葛藤があり、家族の間にも「反対」の声があったが、同友会内で審議を重ね、「山口氏以外にない」という結論に達していた以上、山口氏に逃げ場はなかった。
また、自分が固辞し続けることは同友会という組織にとっても、マイナスになるという判断が山口氏にはあった。新年があけた1月6日には、毎年恒例の経済三団体の新年会が開かれる。三団体のトップが首相を迎えて、会場の経済人たちと共に日本再生に向かっていこうと、機運を高める恒例行事だ。
同友会だけがトップ不在というわけにはいかなかった。山口氏は決断する。「皆さんからお声がけいただいているし、断ったまま1月からのうのうと副代表幹事も務めていられないな」という気持ちになり、腹をくくった。
米IBM本社(IBMコーポレーション)に状況を報告すると、30分後には、「それはいい話だ」とOKの返事があった。米IBM本社も、「日本社会に役立つ組織の仕事なら」と判断したのであろう。
椎名武雄・元会長の言葉に
日本アイ・ビー・エムということでいえば、北城恪太郎氏(当時社長)が、小林陽太郎氏(当時、富士ゼロックス=現富士フイルムホールディングス=会長)の後を受けて、代表幹事を務めたことがある(2003年から2006年まで)。
北城氏は「社長業と代表幹事の兼任は相当きついよ」と言いながらも、日本社会のためになろうと、山口氏の背中を押してくれたという。外資系企業のトップが経済同友会の代表幹事を務めるのは、北城氏の時代は多少の驚きをもって受け止められたが、グローバル化が進んだ今は違う。
日本を代表する企業の多くが、海外市場で、つまりグローバルに活動して事業機会を得て、利益をあげている。例えば、いち早く海外に進出し、しょう油という日本を代表する調味料を世界に広げたキッコーマンは、今や売上の8割、利益の9割近くをグローバル市場であげている。
現在は、日本国内、海外という区分けをするのではなく、その国や地域に融け込み、柔軟に事業を構築するという時代。キッコーマンのグローバル化を推し進めた同社名誉会長の茂木友三郎氏(1935年生まれ)の信条は、『国と国、人と人をつなぐ』である。
一方の外資系企業は、これまでいかに日本市場に融け込むかに試行錯誤を繰り返してきた歴史がある。
日本アイ・ビー・エムの〝中興の祖〟とされる椎名武雄氏(1929―2023)は、日本での外資系企業の認知度を向上させ、産業界で市民権を獲得することに貢献した人物。
椎名氏の言葉に〝Sell IBM in Japan, Sell Japan in IBM〟(IBMを日本に売り込み、日本をIBMに売り込む)がある。当時、日本国内でもコンピュータの開発・販売競争が激しく、富士通や日立製作所などの国産勢とIBMなどの外資勢がツバ競り合いを繰り広げていた。
陽気で開放的な人柄の椎名氏は、先の言葉を発し、対話の重要性を訴えた。互いに正当な競争で、その国や地域の発展につながる企業活動を展開しようという考えであった。
常に相手と対話を重ねて共に成長できる道を!
「一番大切なのはオープンな対話です。そのためには自分も考えを持たなければいけないし、それを相手にぶつけて、お互いに合意できるところ、意見の異なるところを明確にし、新たな視点を見出す。こうした建設的な議論が重要です」と山口氏。
IBMグループは、〝THINK(考えよ)〟という言葉を大切にする。「コミュニケーションは大事だし、その前には相手のことを考えなければいけない。その意味でのTHINKNKなんですね」
山口氏は続けて、「これは企業間もそうだし、もっと言えば、友人や家族の間でもそうです。相手のことを思うということが大切で、自分のことだけを優先していたら、やはりおかしくなるわけですね。国と国の関係も同じで、自分の国だけのことを考えていたらいけません」
皆、お互いにつながっているということ。山口氏が社長時代に発信したメッセージの肝も、この〝お互いにつながっている〟というものであった。
「自分のことだけを、自分の事業部のことだけを、自分の会社のことだけを考えるリーダーは考えが狭くなり、内向きになり、やがて世の中から必要とされない存在になっていくと」
常に、己の枠を越えて、周囲のことを考え、共に成長できる道を探り続ける。もっと言えば、「敵は自分の中にいる」という山口氏の人生観・生き方。
『共助成長社会』という考え方も、これまで氏が歩んできた足跡、そして日本アイ・ビー・エムのトップとして積み重ねてきた経験を踏まえて生み出された考えであろう。
日本には古くから、〝自助・共助・公助〟という考えがある。
経済の仕組みの基本はもちろん自助である。『天は自ら助くる者を助く』という言葉にも示されている通り、自らの努力・工夫で自らの生計の道を確保する。そうした自立・自助の人たちで社会は構成されているが、時には諸事情で助け合う場面も出てくる。
自助・共助・公助の考えを踏まえた上で、山口氏は〝共助成長社会〟という考えを打ち出す。
日本はこのままで、いいのかという危機感
山口氏は今年4月の経済同友会通常総会で、「日本は、このままでいいのか、わたしたちはどのような社会を目指すのか」という問題意識を表明。 本稿冒頭で触れた80年前の経済同友会設立の際、先人たちは、「われわれは経済人として新生日本の構築に全力を捧げたい」と設立趣旨書の中で訴えた。
これを引き合いに、山口氏は、「80年の時を経た今、経済人として日本社会に貢献するという使命は何ら変わっていません。歴代代表幹事が築いてこられたレガシーを受け継ぎながら、自身の言葉で、この問いに答えて行きたいと」と語る。
経済三団体のうち、経団連は各産業別団体や、1300社以上の大企業が参加し、〝財界総本山〟とも称される。日本商工会議所(会頭は、東京商工会議所会頭の小林健氏=三菱商事元社長・会長、現相談役)は、全国の中堅・中小企業を会員にした組織。産業のスソ野を支える中堅・中小企業の支援を行う。
このように、経団連、商工会議所は共に日本の産業の発展に貢献してきているわけだが、経済同友会は個人参加を原則とし、自由な立場で議論し、社会課題解決に向けて提言をしてきた。
その歴史を振り返ってみると、1946年(昭和21年)の設立時、経済同友会は諸井貫一(秩父セメント=現太平洋セメント常務、後に社長)、帆足計、郷司浩平(後の日本生産性本部会長)、の3氏が代表幹事に就任してスタート。当時は複数代表幹事制をとっていた。
その次に務めたのが大塚萬丈(日本特殊鋼管社長)、永野重雄氏(後の新日本製鉄=現日本製鉄会長、日商会頭)。大塚氏は修正資本主義論を打ち出し、当時話題を呼んだ。
さらに、藤山愛一郎氏(後に日商会頭、外務大臣も務めた)や中山素平氏(後に日本興業銀行=現みずほフィナンシャルグループ頭取、会長を歴任)らが代表幹事となり、同友会の存在感を際立たせた。
特に、中山氏は高度成長期、旧八幡製鉄と旧富士製鉄の合併を演出するなど、産業再編で活躍。その後も、〝財界の良心〟とされた木川田一隆氏(当時、東京電力社長)や水上達三氏(当時、三井物産社長)らも産業界の声を代表するリーダーとして活躍。
そして1990年代初めにバブル経済がはじけて、日本が〝失われた30年〟と呼ばれる低迷期に入ると、有力な論客が登場。牛尾治朗氏(1931―2023)や小林陽太郎氏(1933―2015)らである。
牛尾氏は中曽根康弘政権時代の行政改革にも参加し、三公社民営化(旧国鉄、電電公社、専売公社)にも貢献。同友会の代表幹事時代(1995―1999)時代には、『市場主義宣言』を打ち出し、民間活力を活かした経済の創出に尽力した。
牛尾氏の後、代表幹事を務めた小林陽太郎氏は、牛尾氏と共に〝財界の論客〟と評されたが、『市場主義宣言を超えて』と謳い、注目された。市場主義だけでは解決できない社会問題、例えば格差問題などもあるとして、小林氏はさらに踏み込んで社会課題の解決にあたった。
タブーのない、自由闊達な議論や対話の中から、解決策を見出していこうという、同友会らしい2人の活動であった。経済団体の存在意義が問われる今、こうした歴史と伝統をふまえ、同友会らしい活発な議論と、課題解決に向けた提言をしてほしいという意見も高まる。
AIの時代を迎えて
今、日本の成長のために取り組むべき課題の1つにAI(人工知能)がある。山口氏も、今年4月の同友会通常総会での代表幹事所見で、このAIについて触れている。
「テクノロジーは、使い方次第で、人を豊かにも、不幸にもします。問われているのは技術そのものではなく、それをどう社会に根付かせるか、誰のために使うかという、わたしたちの意志そのものです」
AI開発は急スピードで進む。自立するAIが〝暴走〟し、人が指示していないにも関わらず、実在する企業のネットワークに入り込むなど、想定外の事象も発生。これらに対する危機意識から、AI開発のスピードを抑制すべきとするAI開発企業も出始めた。
改めて、人とAIとの関係はどうあるべきなのか?
「AIは人間が生み出した技術ですから、これからも進化していくでしょう。その進化を止める必要はないと思います。例えば、世の中に初めて車が登場し、その性能がぐんぐん向上し、スピードもどんどん出るようになってきたとしましょう。
しかし、交通ルールや信号といった車を安全に利用するための社会的な仕組みが全く整備されていない状態だったら人間社会はどうなるでしょうか。様々な事故が起きてしまう。
AIも同じです。そのようなことが起きないように、アクセルとブレーキの両方が必要だということです。進化を止める必要はありません」
人はどう振る舞うべきか?
「やはり共助成長社会の考えが必要だと思います」と山口氏は語り、次のように続ける。 「自分たちだけの事業とか、自分の国だけという考え方はやはり良くない。日本だけではなく、地球株式会社という全体の視点が求められます。
地球のために、世界の将来のために、どう活用するかという視点ですね。全体を優先して考えられるリーダーが世界各国にも、企業にも求められていると思います」
今、世界の動きを見ると、米GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック=現メタ、アマゾン、マイクロソフト)や、オープンAI、アンソロピックなどのスタートアップ企業が激しいAI開発競争を繰り広げる。こうした動きをどう見るか?
「日本には、材料づくり、モノづくりに強みがあります。その強みを活かしていく。(GAFAMのような)大きなAI企業に関して言うと、多分、淘汰も始まると思います。同じような企業はたくさん要らないと予想されるからです。
一方、例えばAIはいろいろな領域でもっと必要になる。各国専用のAI、企業専用のAI、さらには病院向けのAI、工場だけで使われるAIなどです。そうしたAIの組み合わせで、いろいろな仕事ができるようになる。
そうすると、データも世界で共有していいデータと、各々の国だけのデータ、さらには自分の企業だけのデータという具合に整備できるようになります」要は、AIをどう管理・制御し、活用していくかが重要で、「そうした体系を日本としても、しっかりつくり上げていくことが大事」と山口氏は語る。
「AIだけではなく、量子コンピュータなど、いろいろ新しいものがさらに展開されていくわけですが、その辺りになると、1つの国の国力だけでは対応できないものもあります」
例えばジェネシスミッション(genesis mission、太陽系ができた頃の材料の組成を調べる米NASAの事業)のように、日本が米国と組んで、同盟国として、AI領域でどう共に成長していくか、どう社会に活用していくかを考えることである。
国と国をつなぎ、人と人をつないで、『共助』と『成長』を追求する時代が到来しているという山口氏の『共助成長社会』論である。