
昭和7年生まれの3賢人
トヨタ自動車の社長、会長を務められた奥田碩さんが亡くなった。
社長に就任したのは1995年(平成7年)6月。まさに時代の変革期、日本はバブル崩壊後で〝失われた30年〟のトバ口に入ろうとしていた。また、この年は阪神淡路大震災、オウム事件も起き、社会も不安が増していた時期。トヨタも国内では販売不振が続いていた。「モノづくりの原点に立ち返っていく」――。その奥田さんの号令の下、同社はシェア40%を回復。
ズバリと本質を衝く発言で本誌でも発信してもらった。1999年に張富士夫さんに社長職を譲った。1998年には旧日経連(日本経営者団体連盟)会長に就任。そして、財界の総本山・旧経団連との合併を進めた。そして日本経済団体連合会(今の経団連)が2002年に誕生。その初代会長に就任するが、本人は当初固辞。皆に推されての会長就任。
規制改革にも取り組み、日本を元気にさせるため、経済財政諮問会議の一員として積極的に発言するなど、リーダーシップを発揮。
奥田さんは昭和7年生まれ。この昭和7年生まれでは、京セラ創業者の稲盛和夫さん(2022年逝去、90歳)やセブン&アイホールディングス社長・会長を務めた鈴木敏文さんがいる。鈴木さんは今年5月、93歳の人生を全うされた。
この『昭和7年』生まれのご三方に共通しているのは、逆境にあっても諦めず、自分の果たすべき仕事をやり抜くという信念の持ち主であったということ。
奥田さんはトヨタを世界一の自動車会社にする基礎をつくった。稲盛さんは清水焼などの焼き物文化を持つ京都の地で、セラミックという今のIT・AI時代にも不可欠な材料を創り上げた。
『自利利他』(自らをいかし、他者のために生きる)の精神を実践したのも稲盛さん。郷土・鹿児島の英雄、西郷隆盛の『敬天愛人』の信条を大事にされ、晩年は日本航空の再生にも打ち込まれた。
鈴木さんはコンビニを日本の社会インフラに高められ、流通革命を推し進めた。世のため、人のために邁進する3人のお姿に啓発される若き経済人も多い。合掌。