【金融国際派の独り言】長門正貢・元日本郵政社長『忘れ得ぬ人生の達人たち その2 鳥海巖さん』

1987年、ニューヨーク転勤に際し一橋大学OB会・如水会に入会した。

 バブル崩壊前夜、会員が150名もいた。支部長は昭和31年卒・三菱化成(現三菱ケミカルグループ)の小野早苗氏。幹事長は不肖私が拝命。支部長の同期生が2人おられた。新日鉄(現日本製鉄)・秋月程賢氏と丸紅・鳥海巖氏。全員ボート部・米国法人社長・本社常務の3人だった。

 昭和31年卒トリオがおられた故、高原須美子氏(経済企画庁長官)や尾身幸次氏(衆議院議員)等、同期生が多くニューヨークに来られた。石原慎太郎氏も来た。

 1989年5月のことだ。50名が集った歓迎一次会の後、支部長以下トリオ3名と私の4名で石原氏を二次会で囲んだ。酒も入った和食屋個室で慎太郎氏は喋りっ放し。『参議院で議長を河野健三にしたのは俺の工作。

 大勢が集まったように見せるため、空のお銚子をテーブルの上に転がしたり、あんな工作、こんな工作……』

 慎太郎節・絶好調のさなか、鳥海氏が喋り始めた。『学生時代、石原とは付き合いがなかったけど、今晩は会えて嬉しいよ。いろいろ聞いていて、石原が政治の世界でも頑張っているのが分かったよ』。話を続ける。

 『だけど石原~、お前、作家なのに政界に入ったんだろ。何をチョロチョロ細かい政治屋やってんだ! お前、大将になる気があるのか!』。最後は怒鳴っていた。慎太郎節はピタッと止まった。静かな二次会になった。

 この発言を石原氏が「同期生からの心こもる忠告」と聞いたに違いない。その年以降、石原氏は毎年同時期New Yorkにやって来て、同メンバーで必ず鳥海社長邸で会食したのだ。石原氏とこのトリオたち、帰国後も夫妻旅行等で更に親交を深めた由だ。

 友好OB会でも小さな事件はしばしば起こる。それらの対応をOB間で議論をしていた際だ。OBが言う。「下手に動くとリスクがあるよなあ」。直ちに鳥海氏曰く「こんなもん、リスクじゃない。正しく収めるだけだ。やるぞ」。些細な小事に対しても迷わず真正面から動く姿勢が鮮やかなサムライだった。

 慎太郎氏への忠告発言を聞いた際、『鳥海さんご自身、大将を目指しておられる』と感じた記憶がある。私の勘は当たっていた。鳥海氏、あっという間に日本本社社長に就任された。

 4月の新人入社式での各社社長発言が毎年いくつか報道で紹介される。鳥海社長挨拶も紹介されていた。『君たちは三菱商事、三井物産がライバルと思っているかもしれない。違う。本当のライバルは君たちの周りで音を立てて流れている今という時代だ!』。私自身は新人ではなく他社の次長でしたが、痺れましたね。