AIが合理的なソリューションを瞬時に提示してくれる時代。データに基づく選択肢が増えたことで、かえって「自社としてどう判断すべきか」と意思決定に迷いを深めてはいないだろうか。
6月15日~17日に開催されたオンラインセミナー「TECH+データ×AIアクセラレーションDays 2026 Jun. データ×AIの本番運用を極める──組織・プロセス・技術がつながる実践知」の特別講演に、AIDAコンソーシアム 理事/元 住友商事 専務執行役員 CSOの住田孝之氏が登壇。AI時代において企業が自信を持って決断を下すための鍵となる「企業の知」「暗黙知」の重要性について語った。本稿では、アナウンサーの熊谷彩花氏がモデレーターを務めたセッションの模様をレポートする。
データとAIの進化がもたらす意思決定の迷い
住田氏は通商産業省(現・経済産業省)で産業政策や知財・イノベーション戦略などに携わり、企業が持つ“見えない知”に光を当ててきた人物だ。その後は住友商事でCSO(最高戦略責任者)として経営戦略の立案・実行を担い、現在は企業固有の知、とりわけ暗黙知の活用に強い関心を寄せる。
冒頭、熊谷氏が投げかけたのは「AIで意思決定することは難しくなっているのか」という問いだ。日々の業務のなかで、我々は数多くの意思決定を行っている。近年はあらゆる事象がデータ化され、AIがそれらを瞬時に分析して最適なソリューションを提案してくれるようになった。しかし住田氏は、この利便性の向上が、かえって人々の意思決定を難しくさせていると指摘する。
「ビジネスの現場ではデータが爆発的に増え、それに輪をかけてAIが、人間が考える以上の提案をしてくるため、ビジネスパーソンは圧倒されてしまっています。その結果、『自分がどうしたいか』『自社はどう在るべきか』といった主体的な考えよりも、『AIの提案のほうが合理的ではないか』『投資家などのステークホルダーはどう思うだろうか』と周囲の目を気にするようになり、自信を持って判断を下せなくなっているのです」(住田氏)
世界の変化が激しく、短い期間で把握すべき情報が膨大になっていることも、自信を喪失させる要因となっている。AIが導き出す提案は、ある特定の価値判断軸やロジックにおいては“合理的”かもしれない。しかし、それが必ずしも自社にとっての最適解であるとは限らない。部分的な合理性に引きずられ、自社らしさを失ってしまうことこそが、現在の企業が陥りがちな罠だという。
迷いを断ち切る「企業の知」「暗黙知」とは何か
では、AIが提示する無数の選択肢を前にして、企業は何を軸に意思決定を行えばよいのだろうか。
住田氏自身も、CSOとして経営戦略の立案・実行を担う立場で、「短期的な利益か、中長期的な価値か」というステークホルダーからの相反する要求の板挟みになり、迷うことは常にあったと振り返る。中長期的な価値は成果に結び付く確率が高いとは言えず、他者を説得するのは難しいためだ。
その迷いを断ち切る起点となるのが、企業自身が持つ経営理念や哲学、すなわち「価値観」である。
「この価値観のバランス感覚こそが、判断の最大の源になります。歴史に裏打ちされた価値観や企業文化がなくなってしまえば、誰が経営しても同じ会社になってしまいます」(住田氏)
住田氏は、これを「企業の知」と呼ぶ。財務情報には表れない、企業固有の無形の「暗黙知」のことだ。日本では製造現場における「すりあわせ」に代表される製品の細部へのこだわりが有名だが、これも長年蓄積された経験やノウハウといった知に基づいている。
企業の知を意識・活用できている企業は、環境変化のなかでも「自社ならこうする」という確固たる判断軸を持つことができるため、ステークホルダーを納得させ、競争優位を持続することができる。逆に、これを認識できていないと他社の二番煎じに終始してしまい、顧客に価値を提供できず、短期的にも中長期的にも企業の価値が毀損していくことになる。
企業の知を構成する3つの無形資産
企業の知について、住田氏はさらに具体的に解説した。企業の知は、大きく分けて以下の3つの資産から構成されるという。
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人的資産(Human Capital:HC):従業員や経営者が持つ「知」の資産。知識、スキル、経験、エンゲージメントなど
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組織資産(Organizational Capital:OC):組織に共有されている「知」の資産。経営理念、企業文化、業務プロセス、知的財産、ガバナンスなど
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関係性資産(Relational Capital:RC):他者との関係性に関する資産。顧客、サプライヤー、取引先、パートナー企業、地域社会や行政などとの信頼関係やネットワーク
これらは独立して存在するのではなく、複雑に絡み合いながらその企業固有の強みを形成している。
「どれが一番大事かという決まりはありません。企業ごとに強みとなる特徴は異なります。自社の特徴的な資産が何なのかを認識し、それらを他社には真似できないかたちでいかに組み合わせ、独自の価値を生み出していくかが鍵になります」(住田氏)
パーパスの策定や中長期計画の立案時においても、世の中の流行りに乗るのではなく「自社とは何か」「他社と何が違うのか」を問い続ける姿勢が求められる。
AIに「自社らしさ」を学習させ、質の高い問いを投げる
企業文化や独自のノウハウは社内では当たり前の空気となっており、言語化が難しい。これらをAI時代にどう生かしていくべきか。
住田氏はまず、暗黙知を言葉にして形式知化するプロセスの重要性を説く。
「『これがうちの企業文化だ』で終わらせるのではなく、『なぜ我々はこのやり方を大事にしているのか』を文字にしてみる。社内では陳腐に見えても、他社と比べるとまったく異なる価値観であることに気付くはずです」(住田氏)
一方で、文字にすると言葉が独り歩きし、多義的な解釈が生まれて対応がバラバラになるリスクもある。そこでAIを活用する。企業がこれまで発信してきたメッセージや事業計画などの独自のデータをAIに読み込ませるのだ。これにより、AIは“その会社のクセ”を把握できるようになる。「今の状況で、うちらしい解決策は何か」と問えば、自社の暗黙知を反映したソリューションを提案してくれる可能性があるという。
ここで重要になるのが、人間側の問いの質である。
「何も考えずに質問するのではなく、自分たちが何を実現したいのかという課題意識を持ち、自社の暗黙知の認識をベースにしてAIに問いを投げる。提案に対して『こういう観点からはどうか』とやり取りを重ねることで、自分たちのやり方に最もマッチした解に近付いていくのです」(住田氏)
最後の判断軸は「真善美」──日本企業の競争優位
AIとデータを駆使したとしても、最後に何を選ぶかを決めるのは人間である。人間が担うべき意思決定の役割について、住田氏は「真善美」の感覚を挙げる。
「ビジネスにおいて、何をもって良しとするかの美意識や生き様は、AIには分かりません。目先の利益にこだわらず顧客のために尽くすのか、引き際を潔くするのか。そうした企業ごとの真善美の判断軸に照らしてAIの提案を評価し、最終的な意思決定を下すことが重要です」(住田氏)
さらに住田氏は、この美意識において日本企業は圧倒的なポテンシャルを秘めていると語る。
「日本人は、四季折々の自然の移ろいに対する繊細なセンスや、万物への深いリスペクトを持っています。自然から多くを吸収し、それをコンテンツに昇華する力はずば抜けています。アニメやファッションのように、日本ならではの美意識に基づく価値が、時間をかけて世界で評価されていく好例は少なくありません」(住田氏)
誰もが同じツールから似た解を得られる時代に、こうした日本特有の美意識は他社には真似できない強力な競争優位性となるのだ。
自社の特徴にこだわり、競争優位を持続する
講演の最後、住田氏は聴講者に向けて次のように力強いメッセージを送った。
「自社のなかにいると当たり前だと思っていることが、実は大きな強みであるという発見は常にあります。社外の人と対話し、『よそとは違う』という違いを見つけてください。なぜ違うのか、その違いがどんな意味を持つのかを徹底的に考え抜くことが、新しい価値を生む近道になります。日本の美意識は素晴らしいものです。自信を持ち、自社の特徴にこだわり、それがなぜすごいのかを言語化して外部に伝えていってください」(住田氏)
AIによって選択肢が無数に提示される時代。意思決定とは、正解を選ぶことではなく、何を拠りどころに選ぶかを決める行為である──講演はそう締めくくられた。


