
「AIは何もできない」という言葉の意味は?
「AI(人工知能)を使うことの意味が、ようやくわかってきた」─こう話すのは、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)執行役員CDO(最高データ責任者)兼デジタル戦略統括部長の江見盛人氏。
MUFGは現在、AIと人が共に働く社会の到来を見越して、従業員の誰もが当たり前にAIを使いこなす「AIネイティブ」な会社を目指している。AIが動きやすい環境を整える上で大事になるのが「データ」。AIはデータの上でしか動けないため、整理する必要がある。そのAIとデータ、両方を扱っているのが、江見氏が部長を務めるデジタル戦略統括部。
MUFGはAI活用にあたって「全方位」戦略を取っている。例えば、2026年度中に開業を目指している「デジタルバンク」ではOpenAI、個人向け総合金融サービス「エムット」ではグーグル、業務プロセス効率化ではレイヤーXという形。
その中でMUFGが「最も難しい」とされる分野で連携しているのが生成AI開発を手掛けるSakana AI。「日本から世界と肩を並べるようなAI企業を」という思いで、23年に日本で創業。MUFGのような日本の大企業の他、米グーグルや米エヌビディアといったテック企業からの出資を受け、時価総額が4000億円になるなど、世界的に注目されている企業。
江見氏は2年前、Sakana AIの創業者の1人で社長を務める伊藤錬氏と最初に会った時のことを鮮明に覚えている。
「伊藤さんはAI企業の方だから『AIはすごいでしょう』と言われるかと思っていたら、『AIって使えないでしょう。生成AIって何もできないですよね』と言われた」と江見氏は振り返る。
当時、江見氏らはメールの返信や、そのサマリーをAIでつくるといったことをしており、その能力に感心していたため伊藤氏の言葉は意外だった。
しかし「振り返ると、当時はちょっとした便利ツールだった。今で言うAIエージェントのような動きができるかというとそうではなく、会社を変えるには至っていなかった。今、伊藤さんの言葉の意味がわかった。それが一番の発見」と江見氏。
江見盛人・三菱UFJフィナンシャル・グループCDO
そうしてMUFGとSakana AIは、銀行業務の中で「一番難しいことをやろう」と議論を続けた。その中で〝中核業務〟である「融資」に使えるか、トライすることになった。そうして開発に取り組んだのが「AI融資エキスパート」。
それ以前にもAIで融資の稟議書を書くということに取り組む銀行はあった。MUFGでも試したところ、「それっぽいもの」はできるが実際の現場では使えないものしかできなかった。それが本当に使えるものにできるのかがスタートラインとなった。
人が持つ「暗黙知」を「形式知」にできるか
では、AI企業としてのSakana AIの側では何を考えていたのか?
Sakana AI社長の伊藤氏は「我々が創業してすぐの24年頃は『チャットボット』をつくる会社がほとんどだった。しかしチャットボットで世の中全ての問題が解決できるかというとできない。せっかくのAIの研究をチャットボットだけに使うのではなく、もっと個別性が高く、もっと難しい問題を解くことがAI企業である我々の役割だと考えた」と振り返る。
Sakana AIは「米国の巨大企業と同じことをしては勝てない。違うことをやらなければいけない」という考えで、まず技術開発の面で、大きいモデルではなく小さなモデル、事前学習ではなく事後学習といった形で別の道を模索した。次にその技術を実際に使う場面でも、誰もが使う汎用モデルではなく、MUFGのような個別企業の課題に最適化したソリューションの構築を選んだ。
「一番難しい問題、銀行の中核業務だという話を伺って、なんとしてでもやり切って見せたいと思った。大きい銀行さんが一番大事だとおっしゃっている業務で導入できてこそのAI企業だと、社内でも最高にまで士気が上がった」(伊藤氏)
伊藤錬・Sakana AI社長
ではなぜ、融資稟議でのAI活用が難しいかというと、伊藤氏によると「問題の定義の仕方」だという。プログラミングは、この枠内で計算しなければいけないということが100%決まっている。AIは枠が決まっているからこそ上手に動くことができるということ。
それに対して融資稟議は、どこが越えてはいけない壁で、どんなルールがあるのかが一見見えない。入行1年目の行員と、10年目の行員で巧拙が分かれるのは、マニュアルに加えて「暗黙知」があるから。そこで、この暗黙知をAIで収集し、形式知にすることが、AIが動くことができる「枠」づくりにつながると考えた。
ただ、この枠をつくるのが難しい作業だった。「暗黙知は言葉の通り、普段無意識に判断の拠り所にしている。そして形式知にできるものだけでなく、その状況に応じた判断や、その人の価値観などもあり、マニュアル化できていない。それを言葉として書き出すという大変なプロセスであると同時に、進化させ続ける仕組みをつくらないといけない」(江見氏)
Sakana AIが意識したのは「AIの性能をよくしていくために人間をどう巻き込んでいくか」だった。単にエンジニアを派遣していれば終わるという作業では当然ない。
この仕組みをつくる時に大事な人間の役割は2つ。1つはベテラン行員など「暗黙知の塊」のような人。この人たちの知見をAIに読み込ませ、さらに今後は暗黙知を管理する役割を担ってもらうこと。
もう1つは、融資の実行にあたっての経営判断をする人。そこには銀行としての個性や思いが出てくる。この2つの役割で人間が介在しながら、AIを改善していくというプロセスが重要となる。
ただ、MUFGとしても試行錯誤で「1年半前に同じ取材をされたら、おそらく『暗黙知が大事だ』ということは言えなかった。これはSakana AIさんとの取り組みを通じて発見できたこと」(江見氏)
「攻め」と「守り」のバランスをどう取るか?
共同で新たな挑戦を始めた両社だが、日本最大の金融機関と23年創業のスタートアップだけに、規模も企業文化も違う。試行錯誤をする中で、苦労はなかったのか。
「保守的、官僚的な大企業と、スピーディでアジャイルなスタートアップのカルチャーの違いというのは、常にあるギャップ。しかしデジタル戦略統括部はAI、デジタル、データを推進するためにスタートアップ、テック業界など様々な外部の人にも来ていただいている。その意味ではカルチャー的な部分でのギャップは生じなかった」(江見氏)
一方、MUFGは金融、特に銀行は社会のインフラであり、情報セキュリティやコンプライアンスで非常に厳しいルールがある。同時に銀行グループとして長年大事にしている価値観もあり、これらをSakana AI側に理解してもらえるかという懸念を持っていたが、「ご理解いただいて、寄り添っていただけた」と江見氏。
Sakana AIの側も「カルチャーについては相当身構えた」(伊藤氏)が、デジタル戦略統括部は、銀行をわかっている人とスタートアップがわかっている人とどちらもいることで、対話はスムーズだった。「『銀行を変えなければいけない』という思いが行員の方々に深く浸透していることは嬉しい誤算だった」と伊藤氏。
同時にSakana AIに集まっているエンジニアは「面白いことをやろう」という「攻め」の志向の人が多い。それだけに銀行のデータマネジメントといった絶対に失敗できない領域の「守り」とのバランスをどう考えるかが課題だった。
そこで伊藤氏は、MUFGの社内データを整理する作業も、「攻めに使える形で整理しよう」という形でSakana AIのエンジニアたちに呼びかけた。これによって「社内のモチベーションが非常に上がり、私が何も言わなくても必死で頑張ってくれた」と伊藤氏。
しかも、Sakana AIのエンジニアは三菱UFJ銀行の支店という現場に飛び込んで、地道な作業を進めた。「本部の企画担当者たちがデータだけを使ってつくってもAIは動かない。営業の現場に来ていただいて、辛抱強くお付き合いいただけたことは本当にありがたかった。そして行員も前向きにやってくれたことは、成功のために必要な要件だった」(江見氏)
Sakana AIとしては大手の汎用モデルができないことをやろうとすると「どこまでも泥臭くやる」というのが1つの経営方針。それだけに「現場に行って、どれだけコミットするかが勝負。そして、研究室でなく、現場が好きなエンジニアを厳選して採用していることも大きかった」(伊藤氏)
結果、Sakana AIのプロジェクトのリーダー格のエンジニアは「なぜ新卒でメガバンクを選ばなかったんだろう」というほど銀行の仕事に惚れ込んだ。こうした「人」の力がAIの高度化には必須だということ。
このプロジェクトを通じて、江見氏が確信したことがある。それは「汎用AIで、人の仕事が簡単にひっくり返ることはない」ということ。人が持つ知見、暗黙知を掘り起こすのは大変な作業であることに加え、その人の暗黙知は進化し続ける。それを業務ごとに丁寧に見て、AIを組み合わせる仕組みをつくらないといけない。「AIはすごいが、逆にすごくないとも思った」(江見氏)
伊藤氏も声を揃える。「人の力がなければAIを入れても動かない。MUFGが長年培ってきたノウハウは目に見えないけれども宝物。この宝物がなければAIは動かないし、その宝物を収集する仕組みが必要」と話す。
両社が次に変革する業務は何か?
MUFGは「AIネイティブ」な会社の実現、そしてSakana AIは「AI×各産業」を掲げ、日本の産業力強化に貢献することを目指している。今回の提携で、この目標に近づくことができているのか。
「AIネイティブという言葉が意味することは何だろうと自問自答しながら取り組んできたが、AIの価値を最大限発揮しながら、人の価値もより際立たせて両者が高め合っていく組織に変革していくことがAIネイティブだということに気づくことができた」(江見氏)
「我々は金融で事業を始めて、次は防衛分野も手掛け始めているが、まずはMUFGさんをどれだけ強くするかに大きな関心がある。現場まで入り込んだこの顧客をとことんまで強くしたいという気持ちが私にも、エンジニアチームにも強い。私のキーワードは『実感』。行員の方々にも、AIによる変化を実感していただくことを大事にしたい」(伊藤氏)
両社の連携で、今後検討していくのが戦略策定など「企画部門」の仕事をAIで変えることができないか?ということ。ある意味で、この分野は最も「枠」がない仕事だけに、AIが動くための定義ができるかが大きな課題となる。また、MUFGは日本の金融機関の中でもグローバル事業に特徴を持つ。それだけに「両社の連携で海外でもプレゼンスを出せたら素晴らしいと思っている」と江見氏。
また、Sakana AIの社員の半分は海外人材。その特徴を活かし海外の銀行との関係も深い。そこで得られた最先端の情報を伊藤氏が持ち帰り、江見氏らに共有する関係も築いている。
日本を代表する大企業とスタートアップの連携で、AIの可能性が大きく切り開かれようとしている。それは同時に銀行業務そのもの、人の可能性を見つめ直す機会にもなっている。

