
グローバルワン・ 全員経営で
「われわれは『グローバルワン・全員経営』と言っています。全員が経営者のつもりで協力するということです」
ファーストリテイリング会長兼社長・柳井正氏は1949年(昭和24年)2月生まれの77歳。早稲田大学卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社したが、間もなく退職。故郷・山口県で父親が営む衣料品店の『小郡商事』に入社。『小郡商事』はその後、ファーストリテイリングに社名を変更し、柳井氏は1984年に35歳で社長に就任した。
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以来、カジュアル衣料品で「世界一の座につく」という目標を掲げてきた。繊維の世界は競争が激しく、柳井氏も40数年の経営者人生の中で、幾つもの試練に遭遇した。
現在、カジュアル衣料品のグローバル市場で世界一は『ZARA』ブランドを展開するインディテックス(スペイン)、2位は『H&M』のヘネス&マウリッツ(スウェーデン)となっているが、ファーストリテイリングが肉迫。世界一の座を狙う戦略も現実味を帯びてきた。
ファーストリテイリングが4月上旬に公表した2026年8月期の連結純利益(国際会計基準)は前期比10.9%増の4800億円の見通し。これは今期2度目の上方修正で、今年1月に発表した予想よりも、300億円の上乗せ。売上高(売上収益)は3兆9000億円で、こちらも1000億円の上振れとなった。
今は、米中対立の時代と言われるが、『ユニクロ』は米国、中国の両国で事業を展開し、日本国内、欧州、アジアなど、世界中に店舗を持つ(関係子会社のジーユーなども入れて、店舗数は約3500にのぼる)。
世界2位の座に肉迫する同社だが、目標に掲げてきた世界一の座はいつ頃達成できそうか─という質問に、柳井氏は「おそらく、順調にいけば10年経ったら1位になれるんじゃないかと思うんです」と答える。
冒頭に記した『グローバルワン・全員経営』について、柳井氏は次のように語る。
「全員が経営者のつもりで働き、協力するという態勢がようやくできてきた。それとブランドが全世界で認知され始めたのではないかと思うんですよね。(好業績も)その結果だと思います。ただ、そうは言っても簡単にはできなかったんですけどね(笑)」
『グローバルワン・全員経営』の骨子が、「社内的にも社外的にも認知され初めて、特にヨーロッパと米国でようやく認知され始めた」と氏は語る。
『ユニクロ』ブランドは、まず創業の地・日本で認知され、東アジアの中国、韓国に浸透。それから東南アジア、ヨーロッパ、米国の順で浸透していった。
「もうグローバルで国境はないんですよ、本当は。企業は国境があると思ってやってはいけないんです」
世界のマーケットは一つ─―。こう考えると、「早く成長することができ、すごいチャンスになった」と柳井氏は述懐。
「(日本の)1億人のマーケットが(世界の)80億人に広がったということでしょ。チャンスが80倍に広がる。世界のマーケットは一つです。われわれはそこで日々、商売をしているということです」
氏は、こう持論を示しながら、「ただし、日本でナンバーワンでないと、世界でナンバーワンになれない。だから、日本でも事業をやるし、世界でもやっているから、好業績になったのではないですかね」と語る。
事業には、常に危機感が伴う
世界を相手に事業を展開している柳井氏だが、その経営者人生がこれまですべて順調であったということではない。
「商売って、常に危機感ですよ。圧倒的に成長するとかいって、何か勘違いする向きもあるんですが、そんな成長は有り得ないですよ」
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柳井氏自身、家業の『小郡商事』を引き継いで、辛い経験もした。社員7人でスタートした頃のことである。夢を描いて朝から晩まで懸命に働いたが、気がつけば、男性社員1人を除いて皆、会社を去っていた。
その時残っていたのは、その後も柳井氏と苦楽を共にし、最後はファーストリテイリングの監査役を務めた人物。
当時、柳井氏は会社の経理から営業、商品の仕入れ、店の清掃まで一人でこなした。仕入れ先の大阪までは夜汽車で出かけ、早朝に山口に帰るという強行軍であった。こうした試練を経て、今日のファーストリテイリングの経営がある。
〝究極の普段着〟をつくるという思想は最初からあったが、「事業は一人ではできないので、世界中で水平分業をしながら、世界中で信頼できるパートナーと一緒に仕事をやってきた」と、氏は自分の道のりを述懐する。