《米で偏頭痛経鼻薬承認取得第1号》新日本科学会長兼社長・永田良一に聞く「米国とどう付き合いますか?」

米で片頭痛経鼻薬の承認第1号

 ─ 米トランプ政権の発足に伴って、米国との距離感に悩む企業が増えています。

 永田 そうですね。その中で当社は5月1日、米国の子会社がFDAから急性期片頭痛治療薬「Atzumi(アヅミ)」の販売承認を取得しました。本薬は自社で独自に開発した粉体型の経鼻投与基盤技術を用いた経鼻薬の承認第1号で、この他にパーキンソン病の治療薬など、次のパイプライン(開発品)が続きます。

 ─ こういった成果を出せたのも永田さんが永年、米国で研究を重ねてきたからですか。

 永田 アヅミには28年間という年月をかけました。それだけの期間と資金を開発に投じてきましたので、今回の承認を受けてホッとしたというのが正直なところです。子会社が市場から得た資金を含めて累計で約400億円投じてきましたからね。

 米国に施設を建設したのが1999年でした。私は、米国で並行して3つのプロジェクトに取り組んでいました。1つ目は本業のCROのシアトルとボルチモア進出。2つ目がボストンで立ち上げたバイオベンチャーを上場させること。そして3つ目がサンフランシスコに設立したバイオベンチャーで開発する経鼻薬のFDA承認です。

 ─ それらの取組みを早い時期から行ってきたのですね。

 永田 ええ。他の取組みも徐々に形になってきています。CRO事業はFDAから報告文書作成の手順に係わる指摘を受けて難儀しましたが、米国での営業基盤ができあがり、日本で業務受託ができるようになりました。ボストンのベンチャーは米ナスダックに上場して1000億円から2000億円の時価総額となりました。

 サンフランシスコのベンチャーが今回アヅミを開発した「Satsuma Pharmaceuticals社(サツマ社)」。米国で新薬開発を手掛けて上場、その後、当社がバイバック(買い戻し)して当社が承認申請を行い、FDAから承認されたわけです。つまり、米国とうまく手を組んで進めてきたと言えます。

 ─ その米国に端を発し、株安、債券安、ドル安と、貿易体制にも影響を与えていますが。

 永田 当社の事業には影響はありません。米国に製品は輸出しておらず、サービスを輸出しているからです。サービスとは新薬開発に関わる知恵。つまり、知的財産や技術から生まれる報告書の輸出です。

SBIとベンチャー支援施設

 ─ 日本は戦後、工業製品の輸出で栄えてきましたが、永田さんは新しい知恵の道を開拓したということになりますかね。

 永田 それは分かりませんが、そもそも当社は非常にニッチな会社です。その結果、他がやっていない研究や事業を手掛ける会社になったのです。これまでの経験を活かしてシアトルで新たに始めた事業が「SNBLグローバルゲートウェイ(SGG)」です。これはベンチャー企業を育てる施設で、日本のベンチャー企業の米国進出、米国のベンチャー企業の日本進出を支援します。SBIHDとも提携しています。

 ─ この狙いとは。

 永田 バイオベンチャーの育成には多額の資金とノウハウ、そして人脈が必要です。SBIHDと当社の支援体制を構築することで、米国でのIPOを通じて成長する機会を提供するというのが基本的な考えです。株価が10倍になる「テンバガー」という言葉もありますが、バイオベンチャーなら可能性が大きい。そうなれば投資回収も可能です。

 ─ 日本で資金を集めることは難しいですからね。

 永田 そういう面もあります。実際、いま日本のバイオベンチャーを米国大手ベンチャーキャピタルが青田買いしようとしているような感じを受けます。そうなると、知財の権利や技術は日本から離れてしまいます。人材も育ちません。このままでは日本のバイオベンチャーが育つ環境が危うくなると思いました。それで、SBIHD会長兼社長の北尾吉孝さんに相談して、今回のような取組みを始めました。

 ─ それでは日本は米国とどのような付き合い方をしていけば良いと考えますか。

 永田 協力体制を構築して、知性を磨いて知恵をつけることが大事です。知性を磨くとは答えのない問いに仮説を考えて検証していくことです。そうすると、成功しても失敗しても知恵を獲得します。それを積み上げていくことがお互いの利益につながります。

 ですから日本企業は米国企業と手を組むことです。自社単独でやろうとするから、うまくいかない。相手を批判するのではなく、互いに協力して活路を見出す姿勢が大事です。その根幹には「感謝と尊敬」の気持ちを持つことが成功の鍵となります。

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