産業技術総合研究所(産総研)は6月9日、複数の量子ビット制御用マイクロ波を多重化した信号から、冷凍機内で任意の信号を選択的に取り出すシリコンCMOS集積回路を開発したと発表した。

  • 今回開発された信号選択回路の概要

    今回開発された信号選択回路の概要と、従来技術との比較(出所:産総研Webサイト)

同成果は、産総研 先端半導体研究センターの更田裕司上級主任研究員、同・森貴洋研究チーム長らの研究チームによるもの。詳細は、6月8日から12日まで京都で開催中のVLSI技術と回路に関する国際会議「2025 VLSI SYMPOSIUM」にて発表される。

量子コンピュータにはさまざまな方式があるが、超伝導方式や半導体方式では、量子ビットを冷凍機で絶対零度近くまで冷却する必要がある。これらの量子ビットはそれぞれマイクロ波(周波数3~30GHzの電磁波)信号で制御される。しかし現行方式では、室温の制御装置から冷凍機内の各量子ビットへ、それぞれケーブルを通じて信号が送られている。ところがこの方式では、量子ビット数の増加に伴い必要なケーブル数も増え、冷凍機に引き込めるケーブル数の物理的限界や、ケーブルを通じた熱流入による冷却不良が深刻な問題となる。これが、量子コンピュータの大規模化における障壁の1つとなっていた。

そこで産総研が着目したのが、現代のコンピュータ向けに広く普及しているCMOS半導体プロセスで製造されたチップを極低温で動作させる「クライオCMOS」技術だ。クライオCMOSは、一般的なCMOS半導体プロセスによる量産が可能であり、低コストで製造ができるメリットを持つ。

クライオCMOSを用いたケーブル本数の削減技術として、量子ビット制御用のマイクロ波信号を冷凍機内部で生成する方法が以前提案された。しかし、この方法は電力消費に伴う発熱が大きく、冷凍機の冷却能力には限度があるため、低電力化が望まれていた。そこで研究チームは今回、複数の量子ビット制御用マイクロ波を多重化した信号から、冷凍機内で任意の信号を取り出すCMOS集積回路の開発に取り組んだという。

量子ビットの制御に使用されるマイクロ波は、量子ビットごとにその周波数が異なる。この特性を利用し、室温で複数の量子ビット制御用マイクロ波を生成、冷凍機内部につながる1本のケーブルに多重化し、その後に分離して多数の量子ビットを制御する超電導回路が昨年報告された。

今回開発された信号選択回路も同様の仕組みだが、インジェクションロック(IL)発振器を2段接続した回路構成が特徴だ。IL発振器は、外部から信号を加えると、その信号の周波数と位相に同期する発振器である。この回路に複数の周波数のマイクロ波が多重化された信号を入力すると、IL発振器はその入力信号に含まれるマイクロ波のうち、自身の発振周波数に近いマイクロ波に同期して発振する。この発振周波数は動作時にユーザーが自由に設定できることから、任意の周波数のマイクロ波を取り出すことが可能だ。

  • 今回の信号選択回路の構造

    (a)今回の信号選択回路の構造。(b)動作例。(c)チップ画像。※原論文の図が引用・改変されたもの(出所:産総研Webサイト)

今回の信号選択回路を一般的な商用CMOS半導体プロセスで製造、極低温の4K(約-269℃)に冷却して評価が行われた。この回路では、多重化された複数周波数のマイクロ波から、所望のマイクロ波のみを取り出すのが理想だが、実際には選択していない周波数のマイクロ波成分も出力信号に含まれてしまう。この不要な周波数成分は、量子ビット制御の精度に影響を与える。つまり、特定の周波数のマイクロ波のみを取り出す性能(信号の選択性能)が重要だ。

  • 今回の信号選択回路の信号選択性能

    今回の信号選択回路の信号選択性能。※原論文の図が引用・改変されたもの(出所:産総研Webサイト)

そこで、2つの周波数のマイクロ波を多重化した信号を入力し、片方の周波数を選択した際の、出力信号に含まれるもう一方の周波数のマイクロ波強度が評価された。その結果、2つの周波数が55MHz以上離れていれば、量子ビット制御の精度に影響を与えないことが確認された。これは、1GHzの範囲で18種のマイクロ波を多重化可能であることを意味する。つまり、従来の室温で制御用マイクロ波を生成した場合より、ケーブル本数を18分の1に削減できることになる。また、今回の回路の消費電力は、1量子ビット当たり0.25mWと、クライオCMOSを用いて冷凍機内にマイクロ波生成回路を設置する従来方式に比べ、30分の1の電力に抑えられていた。

今回開発されたクライオCMOS技術を用いた信号選択回路は、一般的な商用CMOS半導体プロセスで製造可能だ。加えて、低消費電力でケーブル本数を削減できるため、将来の大規模量子コンピュータを実現する基盤技術の1つとして応用が期待される。研究チームは今後、今回開発した信号選択回路を量子ビットと接続し、その状態制御動作を検証する予定としている。