最近、キャッシュレス界隈で活発な動きを見せているのが、三井住友カードなどによる公共交通機関へのタッチ決済導入です。2022年12月現在で、21都道府県、33のプロジェクトが稼働しています。すでに商用化として導入した交通機関もあれば、実証実験として対応を開始したところもあります。

  • 南海電鉄なんば駅の事例

    クレジットカードのタッチ決済に対応した公共交通機関の多くはインバウンドの活用を期待していたようで、コロナ禍で実証実験が延長されているところもあります(南海電鉄なんば駅、2021年4月)

本連載の第1回でも書いたように、日本ではSuicaによるタッチ決済の歴史が長く、Suicaと互換性のあるサービスを含めれば、日本全国をカバーしています。

そうした中、拡大が続くクレジットカードのタッチ決済は期待されつつ、日本特有の壁も存在しています。

  • 茨木交通の事例

    公共交通機関でタッチ決済に対応した初めての事例は茨城交通の高速バス。導入は2020年7月から(茨城県、2020年7月)

  • 福岡市地下鉄の事例

    福岡市地下鉄におけるVisaのタッチ決済対応(福岡市地下鉄中洲川端駅、2022年5月)

  • 南海電鉄の事例

    南海電鉄は積極的にタッチ決済に対応しています(南海電鉄和歌山港駅、2022年3月)

  • 南海フェリー

    南海フェリーとの乗り継ぎ料金が用意されているのも新しいところ

世界でも珍しい日本の鉄道事情

日本は、世界で見ると独自の公共交通網が発達しています。コロナ禍以前には、世界でも有数の乗降客数を誇る鉄道駅がいくつもありました。そういった駅は主に東京に集中していますが、その乗降客数を遅滞なく処理するためには、Suicaの仕組みやスピードが必要というのは間違いないでしょう。

Suica以外だと、全国には10カードと呼ばれるICカードがあります。これは「全国共通利用サービス」と呼ばれる、Suicaと相互利用可能な交通系ICカードの通称で、その名の通りPASMOやPiTaPa、ICOCAなど10種類のカードが全国にあります。

  • ことでんのIruCa

    10カードには入らない(=他の路線では利用できない)交通系ICカードというのも存在しています。これは高松琴平電気鉄道(ことでん)のIruCa(ことでん栗林公園駅、2022年3月)

日本は発達した鉄道網が全国を網羅していますが、欧米に比べると独特の特徴があります。これらが基本的に民間による事業だという点です。特に旅客輸送を民間が担っていて、しかもこれだけの規模になっている鉄道網は珍しいようです。

欧州に多いのは、国が保有する「国鉄」です。英国のロンドン交通局(TfL)のように、欧州でも補助金を廃止された事業者はありますが(コロナ禍での財政支援は受けているようです)、基本的には国や地方自治体の関与は大きいようです(日本も事業者によっては公金が投入されていますし、都営地下鉄や市電などのような官営の事業者もあります)。

全世界を調べたわけではないので筆者の知識の範囲ですが、国鉄を分割民営化し、私鉄の鉄道網がこれだけ発達した国というのは、少なくとも世界でもまれな国と言えそうです。

こうした環境も珍しければ、相互直通運転(相直)の仕組みも比較的珍しいものです。相互直通運転は皆さんもご存じのとおり、主に首都圏の鉄道で、複数の鉄道会社が相互に電車を乗り入れて運転するというものですが、近郊を結ぶ旅客輸送でこれだけの規模の直通運転は海外にはほとんどないはずです。海外では1つのエリアに交通事業者が1社という例が多く、複数の事業者があっても改札を経由して乗り換えるというのが一般的です。

日本の場合、複数の鉄道会社が改札を通らず、乗換もせずに相互に乗り入れており、その運賃体系は複雑化しています。乗換があっても改札を通らないという場合もあって、運賃をどのように計算し、収益をシェアするかというのは、Suicaの導入後も問題になり、対応に時間がかかりました。

タッチ決済導入に立ちはだかる2つの難問

日本の公共交通機関の独自性はこれだけではないかもしれませんが、クレジットカードのタッチ決済という観点からは、この2点が大きな影響を及ぼしています。

日本人にとってはSuicaなどの交通系ICカードでカバーできているとはいえ、海外からの旅行者が簡単に使えるようにということも含め、クレジットカードによるタッチ決済への対応が期待されています。

ただ、この問題の解決には、複数の鉄道会社が複雑に絡み合っている点が課題となっています。海外で鉄道路線がクレジットカードのタッチ決済に対応する場合、該当する鉄道会社がシステムを導入してクレジットカードを採用します。例えばCubicやMasabiといった交通機関向けのソリューションが海外では導入されています。

こうしたソリューションを交通事業者が導入し、アクワイアラを選定するというのが一般的なプロセスのようです。交通事業者によって導入するソリューションが異なり、一国の中で複数のソリューションが展開されることもあるようです。

  • 世界の公共交通機関におけるタッチ決済の導入状況

    世界の公共交通機関におけるタッチ決済の導入状況。615以上で導入済み、800以上のプロジェクトが進行中とのこと

三井住友カード/Visa/QUADRACが共同で展開する「stera transit」は、現在日本で展開されている公共交通機関向けのソリューションとしてはほぼ唯一と言ってもいい状況です。2023年1月にはJR東海バスが「Airペイ QR」を導入するという発表がありましたが、iPhoneを使ったQRコード決済のみの対応で、サービス内容としても公共交通機関(特に鉄道)向けに特化したものではないようです。結果としてstera transitが独占状態で、三井住友カードとVisaが入っているためにアクワイアラも固定されていますし、ハードウェアも一本化されていました。

stera transitでは12月から、ようやくJCBがアクワイアラとして参加することになったため、JCBやアメックスなども対応するようになりました。マスターカードの参加が遅れている理由は、どうにも判断できません。海外では交通事業者が主導しているため国際ブランドの扱いに差はありませんが、stera transitはVisaが主導しているように見える点が問題視されているのでしょうか。現時点で明確な回答が得られていないのですが、stera transit側はマスターカードの参加に歓迎の意向を示しています。

  • 国内のタッチ決済導入状況

    国内のタッチ決済導入状況。これはVisaの資料ですが、京福バスの「2010年3月20日~」という記載は、「2021年3月20日~」の誤植だと思われます

気にかかるのはそもそもがstera transitのプラットフォームありきという点です。交通事業者がシステムを導入してアクワイアラを選定するなら公正なのですが……。

海外のソリューション事業者も日本には強い関心を示しているようですが、Masabiはジョルダンと提携してモバイルチケットで使われているものの、タッチ決済としては展開していません。複雑な日本の鉄道事情もありますし、小規模な事業者も多くて海外ベンダーのサポートがどこまで日本に最適化できるのかという課題もあるでしょう。その意味では、しばらくはstera transitの独壇場になりそうです。

ここで注目されるのがJR東日本の存在です。JRグループではJR九州がstera transitの実証実験を開始していますが、JR東日本の動向はまだ明らかになっていません。同社がクレジットカード対応をどのように考えているかは分かりませんが、独自路線を重視する同社がstera transitや海外のソリューションをそのまま導入するとは考えがたい、というのが個人的な推測です。

これは「システムを一から作るだろう」という意味ではありませんが、同社がカスタマイズした独自のタッチ決済対応システムを改札機の一部に導入する、というのは考えられます。もちろん「独自」というのは裏側のシステムのことで、他のソリューションと同じように改札機にクレジットカードをタッチして入退場するという点は当然変わらないでしょう。

そうなると、問題となってくるのが前述の相直です。クレジットカードのタッチで入場して、直通運転で別会社に乗り入れた場合、その運賃をどのように計算するか。しかもバックエンドの運賃・決済システムが異なる場合、どのように処理をするのか。

こうした課題に対する回答はまだありません。何しろ、世界的に見れば別会社の相直がそもそも珍しいため、こうした事例がないのです。Visaは、クレジットカードのタッチ決済を導入した公共交通機関が世界で615に拡大したと説明しますが、その中に「別会社の相直」はないといいます。

カナダのトロントでは、空港とダウンタウンを結ぶ空港連絡線と、トロント中心部の鉄道で、改札を通らずに乗り換えられるようになる見込みですが、この路線はともに同じ事業者が運営しています。

日本の場合、関西で南海電鉄と泉北高速鉄道線がすでにタッチ決済に対応した相直をしていますが、これも同じグループ内ですし、バックエンドはQUADRACを採用したstera transitを使っています。まったくの別会社が乗り入れる場合、さらにバックエンドの運賃・決済システムが異なる場合にどのような扱いをするかは、今後タッチ決済の拡大において課題として出てきそうです。