この「イバダイ学」の取り組みを仕掛けたのは、茨城大学広報室に在籍する山崎一希氏。茨城県出身で、学生時代は教育学や社会心理学を学んだが、社会人になってからは茨城放送で番組制作に携わったりPR会社ブルーカレント・ジャパンでPRの戦略立案に携わったりと、メディア、マーケティングの世界で活躍した経験を持つ。2015年に同大の広報室に専門職職員として採用され、以来大学の広報業務やブランディングに携わってきたという。同大学副学長(広報室長、大学戦略・IR室長)の佐川泰弘氏とともに、大学がマーケティングに注力する狙いについて語っていただいた。

  • (右から)茨城大学副学長の佐川泰弘氏と広報室の山崎一希氏

そもそも、なぜいま大学は自分たちの存在意義を見直す必要があるのか。副学長の佐川氏は、かつて大学が社会の一切の権力から独立して真理を探究するというスタイルの“大学自治”の時代だったのが、現代は大学が教育や研究を通じてどのように社会に役に立っていくのか、社会の中で大学がどのような意義を持つべきかを考える時代へと変化していると指摘。苅谷教授が講演で指摘した“伝達するだけのエセ演繹的な教育”への反省も行いながら「大学とは何か」「教育とは何か」を再定義すべき時期にきていると語った。

「どのような研究や教育をしたいのか、どのような学生を育てたいのか、そして地域社会からどのような評価を得たいのか。すべてにおいて目標を持って取り組まなければならない。そしてそれは大学が一方的に行うのではなく、社会からの要請や学生などからの様々なフィードバックを踏まえていく必要がある。様々な尺度があるなかで、茨城大学の教育や研究が社会からどのような評価を得ることが大事なのか。その定義は一義的なものではない」(佐川氏)

佐川氏の言葉を踏まえると、大学が“やるべきこと”は常に一定というわけではなく、社会の変化や学生を取り巻く環境の変化に応じて刻々と変化していくものだと言える。このような考えを、具体的なアクションに落とし込んだのが、山崎氏が企画した「イバダイ学」だ。山崎氏は、この企画について「創立70周年に合わせて茨城大学のビジョンを作るという狙いが出発点になった」と語る一方で、「固定化されたビジョンを引きずるべきではない」とも語る。茨城大学が“いま”目指すべき姿を、多くの人の価値観を取り入れた形で作っていこうというのが、今回の企画の本当の狙いだ。

「大学は、もっとオープンになっていくべきだ。誰でも参加できる形で大学のあるべき姿を視覚化していくことで、大学への信頼向上やブランディングにも繋がることを期待している」(山崎氏)

  • 「イバダイ学」の狙いについて語る山崎氏

こうした山崎氏の考えに対して佐川氏は、「大学には、受験生をどう集めるか、地域社会や企業とどう関わっていくかなど、様々なマーケティング課題がある。国立大学は“敷居が高い”という世の中のイメージがあるが、茨城大学は地域に信頼されながら親しみやすい大学をどのように目指すのかを考えることが重要だと考えている。地域にある課題を研究対象にしたりすることで地域活性化につながるのではないか」と期待を寄せた。

大学が世の中に対してオープンになり、様々な立場の意見を取り入れて目指すべき方向性をマーケティングする。その考えは理解できるが、一方で日本の教育は文部科学省が定めた指針に応じて提供されるものであり、その意味においては一義的だとも言える。しかし、山崎氏と佐川氏はともに「国の方針が全てではない」と指摘する。

「大学は、今の社会課題を自分たちのこと、この地域で生じていることに翻訳するとともに、時の政権が中心課題として挙げていない潜在的な課題にも目を向けなければならない。この姿勢は、社会が変わってもブレることなく持ち続けていく必要がある。“茨城大学はこのような姿勢でやっていきたい”というコンセンサスを大学内や地域の方々と作っていくことが重要だ」と佐川氏。山崎氏も「普遍的な課題を、どう地域に“土着化”させるかが重要だ。グローバル化、イノベーションといった様々な課題を地域に当てはめたときにどうなのか。地域における必要性を可視化していくことが重要だ」と続けた。

  • 「大学は国が挙げない潜在的な課題にも目を向けなければならない」と佐川氏

確かに、「イバダイ学」のワークショップでは、グローバル社会、イノベーションといったテーマについて、ビジネスセミナーで語られるようなステレオタイプ的なディスカッションではなく、「それは茨城大学にとって、茨城という地域にとって何を意味しているのか」という視点で参加者が語り合っているのが印象的だった。地方大学が地域に根ざし信頼される学府を目指すためには、広く社会を俯瞰するだけでなく、地域との繋がりを踏まえた教育・研究は不可欠なのだ。

「イバダイ学」を通じて、地域における“知の拠点”を目指す

山崎氏によると、「イバダイ学」のシンポジウムでは参加者から様々な意見が寄せられ、「今の大学に対する本気の批判も得られた。質の高いコミュニケーションになった」と手応えを感じているという。今後は、2019年5月に開催される茨城大学の創立70周年記念式典に向けて新たな大学のビジョンを策定するほか、2019年度にはこの「イバダイ学」をテーマにした授業も開講される予定だ。

最後に山崎氏に「イバダイ学」が目指すものを聞いた。

「茨城大学は、地域の特色や地域にある課題に寄り添い、専門的な学生を育てるとともに社会人にも門戸を開放する“地域における知の拠点”を目指したい。苅谷教授の指摘にあるように、教えてもらってわかった気分になるだけの“忖度する教育”ではなく、国の政策に単純に追随する教育でもなく、多くの人にとって“どうすれば課題を解決できるのか”を考えたり仮説検証ができたりする場にしたい。地域に知性を育てることができれば、持続可能な地域を創るという課題に対して、地域が自立して自分たちをアップデートしていける。大学は、その知性のエンジンになっていくべきだ」(山崎氏)

そして山崎氏は、「まずは5月に発表するビジョンを具現化し、実際に機能させることが重要だ」と語る。その先には、「イバダイ学」で得られた様々な仮説を検証し続け、得られたエッセンスを大学経営や学生や地域にフィードバックするというミッションが待っている。ビジョンそのものも社会の変化とともに可変性のあるものであり、“茨城大学は何を目指すのか”という問いに終わりはない。

山崎氏は「この仕組みを機能させ続けていくことで、大学の存在意義を高めていくことが重要だ。この地域で“茨城大学は頼りになる”と認めてもらえるように続けていきたい」と語る。茨城大学の挑戦は、まだ始まったばかりだ。