人工知能(AI)分野の拠点となる子会社「TOYOTA RESEARCH INSTITUTE,INC.(TRI)」の設立を発表したトヨタ自動車。最高経営責任者(CEO)には、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)で「ロボティクス・チャレンジ」のプログラム・マネージャーを務めたことでも知られるGill Pratt(ギル・プラット)氏が就任する。かたや、ITの巨人GoogleはTensorFlowをオープンソースとして公開した。

時をほぼ同じくして、飛び交ったAIに関するニュースだが、発表方法も中身も大きく異なる。一方は、数億ドルをかけて設立するDARPA出身のCEO、一方はGoogle Blogで公開したオープンソース。似て非なる両者の意義を探る。

TRIのETA(Executive Technical Advisor)に就任するGill Pratt氏とトヨタ自動車 代表取締役社長の豊田章男氏(写真左)とTensorFlowを告知するGoogle Official Blog(写真右、同社Webサイトより)

なぜ自動車会社がAI研究開発を行うのか

2015年11月6日、トヨタ自動車は米シリコンバレーにAI技術研究・開発拠点としてTRIの設立を発表し、今後5年間で約10億ドルの予算を投入することを明らかにした。すでに自動車を構成するパーツの約40パーセントにITが関係し、同社製品もクラウドからのアプローチが進んでいる。このような状況はトヨタ自動車に限らず、本田技研工業も「Honda Research Institute Japan」を設立し、日産自動車の総合研究所もシリコンバレーに拠点を開設済みだ。

自動車企業とAIと言えば、自動運転自動車を連想しがちだが、トヨタ自動車代表取締役社長の豊田章男氏は「より豊かな社会を実現するために人工知能技術を追求する」と発表会で発言している。CEOに就任したPratt氏も「(AIの)基礎研究と人の命を救い、人の暮らしを豊かにする製品開発のギャップを埋めるのがTRIの目的だ」と語り、単にAIによる自動化というよりも、わずかな部分を便利にする研究によって次世代製品開発を有利に運ぶという意図が大きい。

IT業界からみれば自動車産業は後発的で「ようやく」という印象を拭いきれないが、その中でもトヨタ自動車は大学研究機関との連動や自社のIT化には積極的だった。2015年5月に日本マイクロソフトが開催したイベントでは、エネルギー消費を最適化する「トヨタスマートセンター(2010年発表)」とMicrosoft Azureを組み合わせてワールドワイドの展開を強化すると、トヨタ自動車の富田茂樹氏は語っている。

2012年に75周年を迎え公開された社史サイト「トヨタ自動車75年史 : もっといいクルマをつくろうよ」。織機から自動車へ、そして大きな躍進へとトヨタの歴史を知る(同社Webサイトより)ことができる

我々からすれば「自動車のトヨタ」だが、同社は豊田自動織機製作所(現 豊田自動織機)から独立した自動車部門が成り立ちだ。1933年の独立後から2年後の1935年から自動車製造に着手し、現在に至っている(会社としての設立は1937年8月)。また、同社のロボット事業など多角的な事業展開や自動車企業としては多額の研究開発費を続けていることを踏まえても、今回の発表は極めて自然な流れと言えるだろう。

また、自動車とAIを結びつけると必然的に「ロボットカー(自動運転自動車)」の存在が頭をよぎる。すでに同社はロボットカーの実用化を目指しており、その源流をたどると1990年代までさかのぼるという。日本国内では2020年頃の実用化を目指しているが、その進捗は2015年11月に米トヨタが発表した資料からも読み取れる。同社は「車間通信とAIは現実的なレベルにある。自動車メーカーがプライバシーやサイバーセキュリティの脅威に対処するための努力が必要だ」と、すでに次のステージを見据えている。

ロボットカーに関してはGoogleやAppleも前向きに取り組み、つい先頃もMicrosoftとボルボが自動車技術開発で提携を発表したばかりだ。すでに自動車企業は自動車だけを考える時代は過ぎ、自動車を核としたAIやロボットカー、「Internet of Cars」時代を見据えたセキュリティ対策など、ICT企業と同じ努力が求められている。

せっかくの技術をパブリックにする理由とは

他方でGoogleの「TensorFlow」については基本的な説明が必要だろう。そもそもAIの分野では脳の神経構造を模した"ニューラルネットワーク"という概念が存在し、そのニューラルネットワークを多層構造化したのが"ディープラーニング(機械学習)"である。Googleは以前から「DistBelief」と呼ばれる社内向けの機械学習基盤を構築し、YouTube上の動画から特定の概念取得や検索アプリケーションの音声認識品質の向上など、同社サービスの改善に役立ててきた。だが、DistBeliefはニューラルネットワークに特化し、同社の社内インフラと密接に結びついているため、外部に公開できなかった経緯がある。これらの課題を改善すると同時に、第2世代の機械学習ライブラリとして公開したのがTensorFlowだ。

興味を持ったユーザーは、自身のPCで機械学習の実行環境を構築し、同梱するTensorBoardツールを併用することで、機械学習の状況をリアルタイムで把握し、グラフを作成して学習結果を視覚的に捉えられるといった強みを持っている。使いこなすには機械学習に対する基本的な知識とプログラミング言語の一種であるPythonを使いこなす必要があるものの、多くの分野で重要視されている機械学習を実践できるのは大きな利点だ。

TensorBoardツールによる機械学習状況の視覚化(TensorFlow WhitePaperより)

重要なのはGoogleがTensorFlowをオープンソース化した理由だろう。Googleの言い分は前述したとおりだが、すでに機械学習アルゴリズムを備えたソフトウェアは多数存在し、プロプライエタリソフトウェアもあればオープンソースソフトウェアも存在するように、"群雄割拠"の体をなしている。

現在TensorFlowはGitHub上で公開されているが、同じ機械学習系ソフトウェアと比べてもスター(いいね!やお気に入りと同等の機能)の数は飛び抜けており、このままコミュニティが広がればTensorFlowは"機械学習のデファクトスタンダード"となる可能性も拭い切れない。Googleは「あらゆる企業や組織において無償で利用可能」とオープンソースの利点を強調しているが、Web検索におけるデファクトスタンダードの地位を得た同社だからこそ、TensorFlowをオープンソース化する手段を選択したのだろう。

このようにAIは現在もっとも熱を帯びた分野だからこそ、先行した企業は他分野への進出を容易にし、新たなビジネスモデルの構築も実現可能にする。トヨタ自動車とGoogle。まったく異なる企業ながらも、その将来を見据える眼は同じ方向を見つめているのではないだろうか。

阿久津良和(Cactus)