2008年の秋。当時付き合っていた人(Apple信者)がさっそく手に入れ使っていたiPhone 3Gを見たのが筆者の最初のスマートフォン体験だった。少し触れさせてもらったが、あまり思うようには動かせなかったような憶えがある。カメラの性能はオマケ程度。PC向けのWebサイトを表示できるのは利点だったが、見やすいわけではない。面白いものだとは思ったが、画期的に生活を変えるポテンシャルは当時の自分には理解できなかった。

ドライブに行く際には、iPhoneがナビになった。開けば現在地が常に表示されているインタフェースはどこかで見た未来のようで特別な印象を与えたが、ナビ機能は当時一部の携帯電話にも搭載されていたのでそれほど驚かなかった。しかし、コーヒーでも飲もうかという話になった時、運転席から「地図でコーヒー検索して」という指示が出た。

地図でコーヒー?

実際にやってみると、マップ上に近辺のカフェやファストフード店が表示された。これは何かが違うと思った。我々が携帯電話でスターバックスやマクドナルドを検索するとき、それは大抵スターバックスやマクドナルドを求めているのではなく、近場で手に入るコーヒーやちょっと座って話せる場所を求めている。その時はうまく言葉にできなかったが、検索と生活の関係に今まで知らなかった可能性があるような気がしたのだと思う。

そういえばマップにもひと騒動ありました

Twitterの名が徐々に知れ渡り始めた時期でもあった。始めはPCで。後に日本国内で個人の開発によるガラケー向けサービスが提供され、筆者も二つ折りの携帯電話で閲覧を始めた。投稿はメール経由だったかもしれない。Gmailがガラケーからのアクセスに対応を始めたのはこの少し前だったろうか。Gmailを使っておいてやはり正解だったと、度々パスワード入力を求められながらも、便利さに感激したものだった。

翌年、筆者が手にしたiPhone 3GSはそんな地平を軽々と飛び越え、携帯電話の世界にもたらされた新たな時代の暁光かに思えたが、夜が空けてみればそこはネットの混沌と裏表でつながる嵐の海の入り口だった。