20年後のスマホネイティブ

朝起きる時はiPhoneのアラームで。半目をこすりつつメールと天気予報アプリをチェックして、朝食を摂りながらニュースに目を通す。出かける用事があれば乗り換え案内と目的地周辺の地図を確認し、電車に乗り込めば音楽やPodcastを聞いたり、電子書籍やRSSリーダーを読んだり。レストランを探してランチにありつき、美味しそうなものは写真に撮ってTwitterで自慢する。

そんな感じで何をする時にもiPhoneが出張ってくる日々。これに慣れると、逆に何をするにもiPhoneが必要だと感じられる。iPhoneがライフをシンプルにする、みたいなコピーをどこかで聞いたような聞かないような覚えがあるが、この生活がシンプルだとはあまり思えない。個別の機能の使い勝手がシンプルなことと、それらの機能を使って生活することがシンプルかどうかはあまり関係がないようだ。

カメラと写真の進化は著しい。ユーザーの使い方がそれを加速したのだろう

だがそんなことを意識的に考えて使うのも今のうちだけで、そのうち冷蔵庫やテレビのように、その便利さに気付くのは故障した時くらいになっていくのだろう。

各論を言うなら、このままいけば近いうちにネットワークは通信速度を感じないくらいに高速化し、決済や個人認証といった面倒なことはスマートに解決され、バッテリーやクラウド容量は限度があることに気付かないほど大きくなっていく。タブレットやPCとの棲み分けも、ある程度スマートフォンが喰ったところでほどよいバランスが見えてくる。そうやって、ハード的にもソフト的にもスマートフォンにできることが拡張していくものと考えるのが自然だ。止めることはできないし、逆戻りすることもないだろう。