ここ最近、AIをめぐる競争の主戦場はコーディングや生産性の向上に移り、Claude CodeやCowork、Codexへの注目が集まっています。その影響か、一般向けのAIチャットサービスが停滞しているような印象を受けます。しかし実際には、AIチャットを新たな入り口として自社サービスを届けようとする動きは着実に広がっており、消費者向けのエコシステムはむしろ裾野を広げつつあります。「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。
ChatGPTが“入口”になる - Tubiが示す動画配信の新しい導線
4月7日、広告付き無料の動画配信サービス「Tubi」がChatGPT内で利用できるアプリの提供を開始しました。同社によると、主要動画ストリーミングプラットフォームとしては初の試みです。これにより、ChatGPTとの対話を通じて、Tubiが擁する30万本以上の映画やテレビ番組の中から観たい作品を見つけ出せるようになりました。
このTubiのChatGPT連携に対して、映画・ドラマのコミュニティからは批判的な声も少なくありません。「AIは映画を観たことがないのだから、おすすめは従来の検索と変わらない」という意見や「自分で見つける楽しみが奪われる」と懸念する声もあります。
しかし、実際に使ってみると、私には歓迎できる体験でした。メモリや過去のチャットの参照を許可していない状態でも、しばらく会話するうちにロードムービー好きと判断され、おすすめに「Paris, Texas」や「ミッドナイト・ラン」といった、今や観る人も少ないであろう良作が含まれました。
たしかに、映画を深く知る人のおすすめと比べると平板に感じる場面もあります。しかし、従来の動画配信サービスのキーワード検索と比較すれば、新たな作品に出会える機会は格段に広がります。「私が観そうにない作品で、でも好きになりそうな作品を提案して」といった無理難題にも、それなりに応えてくれます。
動画配信ではTubiが先駆けとなっていますが、音楽配信ではすでにApple MusicやSpotifyがChatGPTとの連携を開始しており、チャット画面から音楽やプレイリストを検索したり、楽曲を再生できる機能を導入したりしています。AdobeはChatGPTを通じてPhotoshopの一部の編集・加工機能を利用できるようにしています。
ほかにも、Ticketmasterは4月9日、ChatGPT内でイベント検索からチケット購入の検討までを行える機能を発表しました。ChatGPTとの会話の中で「近くで開催されるコンサートは?」と尋ねてイベントを探したり、座席のオプションを比較したりすることができます。AI検索のエコシステムに早い段階から浸透することで、イベントの視認性を高める狙いがあるそうです。
独立系クリエイターや出版社向けのニュースレタープラットフォームであるBeehiivも、ユーザーが選択したAIプラットフォームからアカウントを管理・最適化できるアップデートを導入しました。メールリストの分析やマーケティング活動の管理といった、クリエイターを悩ませる多くの煩雑な作業を軽減する狙いです。
AI検索へのシフトで変わるWebトラフィックとユーザー行動
今の状況をゲーム機に例えるなら、新世代のハードが発売されてから数年が経ち、本体や技術そのものの話題性は落ち着いたものの、ソフトが充実して日々の遊びが豊かになっていく時期に似ているのではないでしょうか。AIをプラットフォームとして活用する一般向けサービスは着実に増えており、消費者が日常的にAIに触れる接点は確実に広がっています。
その背景にあるのは、Webトラフィックの変化です。BBCが4月6日に公開した「Businesses scramble to get noticed by AI search(AI検索での可視性獲得に奔走する企業)」によると、従来の検索エンジンを通じたWebサイトへの流入が大幅に減少する一方で、AI検索からの流入は増加しています。
差し引きすればトラフィックの総量は減少傾向にあるものの、AIの回答内の引用リンクから訪れるユーザーは、すでにAIとの対話で情報を整理し終えているため、従来の検索経由よりも購入に至る確率(コンバージョン率)が高いという傾向も出ています。
AI検索へのシフトは、Webサイト側にとって必ずしも悪い話ではありません。この変化をいかに捉えるかが問われており、それがAIチャットボット対応を進めるメディアやサービスの増加につながっているのです。
AIチャットは“スーパーアプリ”になれるか
従来の検索エンジンがユーザーをコンテンツや情報へ「案内する」だけだったのに対し、現在のAIプラットフォームはコンテンツの「発見・作成・消費」までをその場で完結できます。これは、メディア企業が長年依存してきた「App Store」や「Google Play」に次ぐ、新たな「配信レイヤー」となる可能性を示しています。
「今週末、サンフランシスコで面白いイベントはない? チケットを買えるかも調べて」このようにチャットボットに入力するだけで、従来の「検索→比較→アプリ起動→購入」というステップが不要になります。ユーザーの“意図”が直接“行動”に結びつく、摩擦のない体験です。
OpenAIはChatGPTで、AI時代のインターネットの「最初の入り口(フロントドア)」の独占を狙っているとみられています。では、AIチャットボットは「スーパーアプリ」になれるのでしょうか。
現時点でOpenAIは、過去にApp StoreやGoogle検索の覇権を決定的にしたOSやハードウェアなどの土台を持っていません。他社のインフラ上で動く一機能に過ぎないという脆弱性があります。
テキストで指示するチャットUIは、明確な目的(チケットの購入、特定の曲の再生など)には適していますが、グラフィカルなUIが持つ直感的な操作性には及ばない面もあります。さらに、Tubiのケースで見られるように、人は「自分で選ぶ自由」や「セレンディピティ(予想外の発見)」を奪われることへの抵抗感を拭えずにいます。
こうした点から、現状のままではAIチャットボットがWeChatのような従来のスーパーアプリに成長するのは難しく、クリアすべき多くの課題が残されています。それよりも「目に見えないインフラ(メタ・レイヤー)」として機能していく方向に進むのではないでしょうか。
AIチャットは主役か、インフラか - Dropboxの教訓
この状況は、2008年にDropboxが登場した時によく似ています。PCとPCの間でファイルを移動させるのにUSBドライブが欠かせなかった時代に、Dropboxはプラットフォームの違いを超えてファイルを自動同期するクラウドストレージで一大センセーションを巻き起こしました。
当時、AppleはDropboxの買収に乗り出しましたが、Dropboxはこれを断ります(そのぐらい勢いがありました)。その交渉でAppleのCEOだったスティーブ・ジョブズ氏が「Dropboxは製品ではなく、単なる機能に過ぎない。単独でやるには適していない」と述べたことは有名です。
この言葉はDropboxの立ち位置を的確に言い表したものとなり、その後、クラウドストレージはAppleやGoogle、Microsoftのプラットフォームに組み込まれ、OSやハードウェアを持たないDropboxは厳しい競争にさらされていくことになります。
しかし、何にも縛られない強みを活かしてDropboxは今も存在感を保ち続けています。そして、Dropboxの登場がモバイル時代の到来を加速させる一因になったことも見逃せません。
今日のAIチャットボットも、単独で覇権を握る「製品」にはなれずとも、さまざまなサービスの背後で静かに機能する“見えないインフラ"”して浸透し、気づけば私たちのデジタル体験の前提を完全に書き換えているはずです。


