以前、フィンランドOkmetic社のことを書いたが、その際にベルギーに本社を構える研究機関imecの件にも触れた。
米中の派手な技術覇権争いに目をとらわれがちだが、最近の最先端半導体技術の報道を見るとimecの発表が目立つような印象がある。先ごろもimecとGLOBALFOUNDRIES(GF)がIoTのエッジノード向けのAIチップを共同開発したというニュースがあった。imecは5nmよりも先の最先端プロセスについても相次いで積極的な発表を続けている。imecの本拠地があるベルギーからそう遠くないオランダには、EUV露光技術の分野で他を寄せ付けない存在感を持つASMLが控えている事を考えると、欧州の底力を感じる。今回は最先端半導体技術研究における企業レベルの競争力と国策研究コンソーシアムの有効性について書いてみたい。
AMDが関わったコンソーシアム
私の24年にわたるAMDでの経験では、国策コンソーシアムにかかわった経験が何度かある。その中でも入社したての頃に経験した通商産業省(通産省、現在の経済産業省)「第5世代コンピューター」プロジェクトは鮮明に覚えている。
私の1986年の入社当時、AMDはBipolarプロセスによる高速CPUのソリューションに注力していた。結局AMDはその後x86アーキテクチャーに大きく舵を切って、Bipolar製品群は姿を消したが、当時高速コンピューティングの有力な技術としてAMDの「ビットスライス・ビルディング・ブロック」はかなりの注目を集めていた。まだメインフレームが幅を利かしていた時代で、CPUをカスタム設計できるAMDの「ビットスライス」製品群は4ビットから始まって、16ビットへ移行し、最終的には32ビットのコンポーネントが世界最速の商用ソリューションとして「Am29300」ファミリー製品群が提供されていた。
基本的にはALU(演算素子)、マイクロプログラム・シーケンサー、と大規模なレジスターファイルの3つからからなっている。さらに高速のシステムを目指す場合にはこれに浮動小数点演算素子を加えて4つのビルディングブロックが提供されていた。これらはすべてBipolar構造の素子だったので高速ではあるが、発熱が大きかったのでチップパッケージの上に巨大なヒートシンクが載っている。しかもその上に大きなAMDのロゴマークがあしらってあるのでその威容はまるで旧ドイツ軍の「ティーガー戦車」のようであった。
なぜ今では消え去ってしまったこのAMDのBipolarマイクロプロセッサー製品群「Am29300」を語るかと言うと、この製品群が当時、通産省肝入りの先端技術プロジェクト「第5世代コンピューター」のプロトタイプに全面的に採用されたからである。このプロジェクトの概要は次の通りである。
- 通産省は1982年に電子技術総合研究所(現在の産総研)をリーダーにした「第5世代コンピューター」の構築を目指して国家プロジェクトを立ち上げた。
- このプロジェクトは1992年の終結までに570憶円の予算を費やした。
- 当時日本のコンピューター業界はIBMメインフレームの互換機の輸出をしていて、これに米国から横やりが入ていた状態だった。このIBM互換路線を一気に逆転すべく、先進的な技術の開発で優位性を打ち立てようというのが目的だった。
- 具体的内容としては「述語論理による推論を高速実行する並列推論マシンとその基本ソフトを構築する」と言うものであったが、これはまさに現代の人工知能の発想である。
- しかしプロジェクト自体は多くの論文を発表しただけで、実際のアプリケーションレベルまでには至らず10年で終結した。
このプロジェクトの高速ハードを構築する半導体素子として、可変長のマイクロプログラミング命令を基本とするAMDのビットスライス製品群の集大成であったAm29300シリーズが採用されたのはうなずけることではあるが。この「第5世代コンピューター」というプロジェクトの響きはいかにも先進的に聞こえたので一般紙がこぞって取り上げ、しまいには誰でも知っている週刊ゴシップ写真誌にも大きな写真つきで紹介された。
その時にAMDだとすぐわかったのはこのヒートシンクの上にあしらわれた巨大なAMDロゴであった。プロジェクトの当事者である通産省のエリート官僚はこのプロジェクトの先進性を「立て板に水」のごとく語ったが、国家プロジェクトの結果生まれたプロトタイプのCPUボードの中心に米国AMDの製品がずらりと並ぶのを見て日本の主要参加コンピューター企業がどう思ったかは推して図るべしで、結局このプロジェクトは商用的に成功することはなく、もちろんAMDのAm29300ファミリー製品も少しも売れなかった。
この後も通産省(後に経産省)はSelete、ASUKAといった先進VLSI半導体のプロジェクトを立ち上げたが、現在の日本半導体の現状を見れば、こうした中央省庁のエリート官僚主導による国家プロジェクトは、製造装置や材料の業界にはある程度の効果があったとは言え、デバイスメーカーにとって有効であったとはいえないだろう。
AMDが関わったコンソーシアムのもう1つの例は米国のSEMATECHである。非常に強力な圧力団体SIA(Semiconductor Industry Association)が政府に働きかけて立ち上げた先端半導体開発の国家プロジェクトである。
実はSEMATCHの研究本部はAMDのテキサス/オースチン工場のすぐ近くにあって、私はオースチンのFab.25に出張するたびにSEMATECHの本部前を車で通っていた。SEMATECHの第2代所長には半導体業界のレジェンドであるロバート・ノイスが就いたが、ノイスは間もなく趣味のテニスのプレー中に心臓発作でなくなってしまった。
SEMATECHはAMD、Intelといった主要なメーカーが参加したが決して一枚岩ではなかった。その有効性を疑問視したCypressのT/J Rogersは最後まで参加をしなかった。SEMATECHの有効性についてはいくつか評価が分かれるところだが、現在の世界の半導体市場で日米を比較すれば明暗ははっきりした感がある。しかし米国の半導体企業はIntelを除くほとんどのブランドがファブレスで、SEMATECHの研究成果のうち製造技術に関する部分は分散してしまった感がある。
成果が際だつ最近のimec
こんなAMDでの経験があるので私は国家プロジェクト/コンソーシアムなどについてはどちらかと言うと懐疑的なスタンスを持っているが、最近のimecの報道を見るとビジネスモデルによっては共同研究機関が有効であると思わせられる。imecはベルギーに拠点を持つナノテクとデジタル技術研究機関で、97か国から約4000人近い研究員が集まる。
300mm、200mmの研究開発用ウェハラインを備え、各種テスト機器も最先端のものが装備されて非常に充実している。
最近ではシリコンベースの微細加工の研究に加え、GaN、SiCなどの新素材の研究も盛んで、これらはすでに商用ベースに乗ってきている。アプリケーションの対象分野もセンサー、IoT、ニューラルネットワーク、AI、自動運転、そして5Gと高周波通信技術と幅広く、さらに先進医療や再生可能エネルギー分野への研究も視野に入れ積極的に行っている。研究機関なので売り上げは年間5億ユーロと大きくはないが、imecはれっきとした営利企業である。ベルギー政府からの出資も多少あるが、本体を運営するリーダー達は目的意識をはっきり持ったビジネスパーソンである。詳細はわからないが、推察するにimecの成功の背景には次のようなものがあると思える。
- 非常に明確な技術達成目的を持っ複数の企業が自ら研究員を送り、効率的な共同研究活動を行う。imecはその進捗状況の定期的な報告義務を持っている。
- 最初にアプリケーションありきの研究なので明確な投資判断がしやすい。
- ベルギー国内には関連大手企業がいないので、中立的で純粋な研究活動に向いている。EU本部があるベルギーに研究員を送るのは政治臭さがない。
冒頭に述べたように米中の技術覇権の争いはあまりにも政治的になりすぎて、真の技術研究の成果を上げる環境からは程遠い状況である。そうした中でのimecのような規模は小さいが独自性を持った欧州発のビジネスモデルが着々と実績を上げているところは非常に興味深い。