2022年2月24日に、ロシアがウクライナへの侵攻に踏み切った。それだけなら本連載のテーマに合致するかどうか分からないので取り上げることはしないが、付随して、「軍事とIT」との関係がおおいにある話が出てきているので、急遽、記事をひとつ起こすことにした。

サイバー戦といえば、何を連想する?

さて。読者の皆さんは、「サイバー戦」と聞いたときに、どんな状況を連想されるだろうか。おそらく、もっともポピュラーな展開は「コンピュータに不正侵入してデータを窃取・改竄する」とか「DDoS攻撃などで過負荷に追い込んで動作不可能にする」とかいった類の話ではないだろうか。

ウクライナ情勢に関連するところでも、侵攻開始より数日前から、ウクライナの政府機関Webサイトがつながらなくなったり、つながりにくくなったり、という話が出てきていた。かつてグルジア紛争に際しては、グルジアの大統領の顔に「チョビ髭」を書き足したコラ画像が、グルジア政府のWebサイトに送り込まれたこともあったと記憶している。

つまり、「誰もが真っ先に連想しそうなサイバー戦」はなくなったわけでもなんでもなくて、今でもポピュラーである。ただし、それ「だけ」がサイバー戦だと考えるのは大間違いですよ、というのが今回の話の趣旨。

もっとも、これは以前から自著などで何回も書いている話なので、御存じの方も少なくないと思う。それは、「われわれが日常的に利用しているインターネットは、情報戦・心理戦の戦場である」という話。これもレッキとした、サイバー空間で行われている戦争の一形態なのである。

変わる、情報戦のツール

情報戦や心理戦といった類の戦争の様態は、昔からある。古典的な手法としては、ビラを撒く手法がある。

太平洋戦争の末期に、米陸軍航空軍は日本の街の上空で、B-29爆撃機が爆弾を投下している模様を撮影した写真を紙に印刷して「今度はあなたの街が爆撃されますよ」と宣伝するビラをばらまいた。紙に印刷したものなら、誰でも手に取って見ることができるから、少なくとも「読ませる」効果は期待できる。

飛行機からビラをばらまくだけでなく、砲弾にビラを詰め込んで撃ち込み、敵地でビラを散布する、なんていうものが、かつてのソヴィエト連邦で用いられていたとの話もある。

  • 朝鮮戦争時、1951年に共産党を狙って1000ポンドの爆弾を落としている米国空軍のB-29スーパーフォートレス Photo:USAF

もうちょっとハイテク化(?)すると、今度はテレビ・ラジオ放送が登場する。朝鮮半島の38度線ではラウドスピーカーを使った怒鳴り合いが行われているらしいが、それではリーチが限られる。電波に乗せる方が、広い範囲を対象にできる。

そしてとうとう米空軍のように、宣伝放送のために専用の飛行機を用意する事例まで現れた。それがEC-130Eコマンドソロと、その後継機であるEC-130JコマンドソロII。要するに空飛ぶ放送局である。ただし、アナログ時代のテレビ放送にはNTSC方式とPAL方式があったから、コマンドソロはどちらの方式でも放送できるようになっている。いくら放送を流しても、受信してもらえなければ意味がないから。

  • EC-130JコマンドソロII。スペルは “Commando Solo II” である。ニョキニョキと突き出たアンテナやポッド類が、ただならぬ雰囲気を漂わせる。電子戦機とは違った意味で、電波を武器とする機体 Photo:USAF

ところが近年では、もっとお手軽、かつ効果が高い手段が一般化した。いわずと知れたインターネットである。シンプルに考えれば、アジビラをばらまく代わりにWebサイトを立ち上げることになるのだが、それでは読み手が見に来てくれないことには役に立たない。

ところが、SNS(Social Networking Service)の普及で状況が変わってきた。いったん注目を集めれば、読み手が勝手に拡散してくれるのだから、こんな手のかからない方法はない。そして現在進行形で、ロシアがウクライナ侵攻を正当化するための宣伝戦を実施しているのは、知っている人は知っている話である。

おまけに、大昔のテキスト・ベースで動いていたインターネットならいざ知らず、今や誰でも動画を作ってばらまける御時世である。しかも、その動画の信頼性を誰かが担保してくれるわけではない。もっともらしく見えれば、必ず、それを信じ込む人は出る。

戦場に暮らしているわれわれという現実

つまり、われわれが日常的に利用している各種SNSのサービスは、事実上、サイバースペースにおける宣伝戦・心理戦の戦場、それも第一線なのである。「うわっ、すごい!」あるいは「これは大変だ!」といって拡散する、そのタップ操作(またはクリック操作)ひとつが、宣伝戦や心理戦に加担する行為であるかもしれないのだ。

今回のウクライナ侵攻についていえば、ロシア側の言い分を正当化する趣旨で、さまざまな動画がばらまかれている。その中にはつくりが雑で、「先に作って仕込んでおいたのがバレバレ」あるいは「いってることが嘘っぱちだとモロ分かり」なものが多いとの評判だが、誰もが嘘を嘘と見抜けるわけではない。

そうでなくても、もともと、「戦争や事故の第一報は錯綜する」という性質がある。多くの人が情報を求める中で、あやふやな情報でもとりあえず流してしまう事例は引きも切らない。そしていったん誤報が広まると、それを後から訂正したところで、最初の誤報が根絶やしになることは、まずない。

それと同じデンで、意図的に情報戦・心理戦を仕掛ける目的でばらまかれた贋情報や贋動画も、いったん拡散してしまえば、それは「真実」として一人歩きを始める危険性を内包している。実際、ウクライナの件でも「どこそこで攻撃がありました」とか「どこそこで爆発がありました」といった類の動画がそこここで流れてきているが、その中の何割がホンモノで、何割がニセモノだろうか。しつこく書くが、もっともらしく見えれば、それを信じ込んで拡散する人は必ず出る。

つまり、サイバースペースにおける情報戦・心理戦という話についていえば、「軍事とIT」は軍事分野に興味・関心がある人だけの話ではないのだ。誰もが知らず知らずのうちに関わり、巻き込まれている話なのである。そういう自覚を持って、日々、流れてくるさまざまな情報に接してほしい。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。