9月9日に開催されたオンラインセミナー「TECH+セミナー セキュリティ 2026 Sep. 変化するリスク環境への解 統合セキュリティの再設計」において、長野県諏訪・上伊那地域で日刊紙を発行する長野日報社から、常務取締役総務・編集担当総務局長 小幡義明氏と、総務局部長・デジタル室長 渋井秀樹氏が登壇した。講演では、創刊123年の歴史を持つ地域紙が直面した前代未聞のサイバー攻撃と、絶望的な状況下でいかにして新聞発行を継続したのか、その壮絶な舞台裏と経営層のリアルな決断が語られた。
印刷直前の午後10時50分、突如現れた警告画面
長野日報社で異変が発生したのは、2023年12月19日のことだった。被害を最初に確認したのは、社内で唯一システムを担当するデジタル室長の渋井氏だ。当時の緊迫した状況をこう振り返る。
「午後10時50分頃、まさに20日付の新聞の印刷が始まるタイミングでした。整理部員から『外部からのアクセスをうかがわせる不審な表示がある』との連絡を受けました。まもなくメインサーバの画面には警告画面が表示され、復旧したければメールを送るよう求める英文のメモ帳が置かれていました」(渋井氏)
渋井氏は直ちにLANケーブルを抜くよう指示し、急いで会社へ向かった。出社後、各サーバを強制終了させたものの、被害は甚大だった。紙面制作用の記事や写真を保管するサーバと、レイアウトに使う14台のPCの大半が使用不能になり、データはほぼ破壊されていた。
緊急経営会議での即断「犯人と取引はしない。壁新聞になっても歴史を途絶えさせない」
深夜に渋井氏から連絡を受けた小幡氏が、事態の深刻さを真に理解したのは翌朝出社してからのことだった。「新聞が発行できないかもしれない」という渋井氏の言葉を受け、小幡氏はたまたま午前9時半から予定されていた役員会を30分前倒しし、各部署の責任者を集めた緊急会議を開いた。
重苦しい空気のなか、小幡氏ら経営陣は2つの重要な決断を下す。
「1つは攻撃者との取引に応じないこと、もう1つは『紙齢』をつなぐことです。紙齢とは、新聞一面の欄外に記される『第4万〇〇号』という数字のことで、いわば新聞の年齢に当たります。仮に壁新聞になったとしても必ず紙面をつくりあげ、長野日報社の123年にわたる歴史を途絶えさせないという強い決意を全社で共有しました」(小幡氏)
しかし、現実は過酷だった。記事レイアウト用のPCは14台中3台しか使えない。当初は「4ページつくるのがやっと」という声もあったが、販売店から「4ページではチラシが挟めない」という切実な声があがり、目標を8ページに設定。新聞制作に使っていないソフトを代用し、締め切り時間を大幅に繰り上げるなど、全社一丸となった試行錯誤が始まった。
氷点下10度のなかを歩いてデータ運搬、ライバル紙も救いの手
ネットワークを遮断しているため、作業は全てオフラインのアナログ対応で行われた。
「普段ならボタン1つで送受信できる記事データをUSBメモリに保存し、デスクから制作担当のPCまで歩いて運ぶ作業が続きました。できあがった紙面データは印刷工場へ直接持参しなければならず、長野県の厳しい冬の寒さのなか、雪が降っていても氷点下10度でも運搬を続けました」(渋井氏)
目前には、各社が社運をかけて制作する元日号(新年号)の発行も迫っていた。長野日報社でも84ページを予定し、すでに7割方の記事が完成していたが、ウイルスの被害で全て消滅してしまった。一方で、広告データは別サーバに保存されていたため、幸いにも被害を免れていた。
「広告はあるが記事がない」という状況下、自社だけでの制作は限界があると悟った長野日報社は、同じ県内の信濃毎日新聞や市民タイムスといった他社に新年号記事の一部制作を打診した。
「同じ県内の新聞社は本来ライバル関係にあります。しかし、年末年始の多忙な時期にもかかわらず、『こういうときこそ助け合うべきだ』『長野日報を存続させよう』と快く引き受けていただきました。地方の言論機関としての強い仲間意識に心から救われました」(小幡氏)
想定外だった高額なフォレンジック調査費用
並行して、警察や専門の弁護士、個人情報保護委員会への届出など、未経験の対応にも追われた。とくに小幡氏にショックを与えたのは、原因を究明するフォレンジック調査の費用だった。
「調査費用があまりに高額だったことに大変驚きました。想定と一桁違うのではないかと思ったほどです。当時の当社はその調査費用の10分の1しか補償されない程度のサイバー保険にしか加入していませんでした。まさか自社が被害に遭うことはないだろうと、事態を深刻に捉えきれていなかったのです」(小幡氏)
後の調査で、原因はネットワークセキュリティの脆弱性だったことが判明した。皮肉なことに、被害に遭った約1か月後にはセキュリティ強化の対応が予定されていたという。なお、もっとも懸念された個人情報の流出は確認されなかった。
読者の怒声、そして届いた1通の電報
ランサムウェア被害直後から、長野日報社は紙面で大きくお詫びを掲載し、特別紙面になった理由を説明した。しかし、ページ数が極端に減った新聞に対し、読者からは「(この状況が)いつまで続くんだ」といった厳しい意見やクレームが殺到した。
メインサーバの復旧は難航し、テレビ欄の番組内容も簡易的なものしか掲載できない日々が続いた。読者からは「いつになったら元の紙面に戻るのか」という問い合わせが連日寄せられていたという。
小幡氏ら経営陣は、単にシステムが元通りになることではなく、紙面の内容も含めて以前の状態に戻ることを真の「復旧」と定義した。そして被害発生から約1か月が経過した1月25日付の紙面で、ようやく復旧へのめどを伝える社告の掲載に踏み切った。
「原因や被害範囲の全容が判明しておらず、完全復旧には至っていない状態でしたが、なぜこれほど時間がかかっているのか、サーバやPCの初期化、ネットワーク再構築の現状などを丁寧に説明し、2月中旬を復旧の目標とする旨をお伝えしました」(小幡氏)
そして発生からちょうど2か月が経った2月20日付の紙面で、ようやくサーバの完全復旧と通常紙面への移行を宣言することができた。この日、小幡氏の元に一人の読者から電報が届いた。——“おめでとうございます。2か月間にも及ぶ長い間、連日ひとかたならぬ努力を続け、難局を乗り越えた社員の皆様に敬意を表し、御社の一層の発展を確信しております”
「厳しいお叱りも数多く頂戴しましたが、こうして温かく見守ってくださる読者の方も大勢いらっしゃいました。この電報を拝読したときは、思わず目頭が熱くなりました。システム復旧などに伴う財務的な損失は大きく、発行部数も激減してしまいましたが、我々を支えてくれる読者の存在のありがたさに改めて気付かされました」(小幡氏)
経営層の迅速な意思決定と情報公開が重要
講演の最後に、小幡氏は企業の経営層やセキュリティ担当者に向けて、自らの手痛い経験から得た教訓を語った。
「サイバー攻撃は決して他人事ではありません。ひとたび被害に遭えば企業の存続に関わるものです。セキュリティへの投資は直接的な売上増につながらないため、経営層としては優先順位を低く見積もりがちです。しかし、まさに『備えあれば憂いなし』であり、対策の強化を第一に考えるべきです。そして万が一の有事において、トップが迅速な意思決定を下せるかどうかが、事態を乗り越えるうえで極めて重要になります」(小幡氏)
さらに、警察の捜査に関わる秘匿情報を除き、顧客や社員に対して「今何が起きているのか」を、透明性をもって情報公開し続けることの重要性も強調した。社員と状況を共有することで一体感が生まれ、現場からの提案が危機を乗り越える原動力になったという。
123年続く地域紙が直面した絶体絶命の危機。「新聞の発行を止めない」という揺るぎない経営陣の決断と、それに呼応して厳冬のなかを走り回った現場の執念が、この難局を乗り越える確かな原動力となった。

