賃金や製品価格の停滞が長く続いた日本だが、2020年代に入って状況は変わり始めた。人手不足が深刻化し、企業は賃上げに動いている。価格も上昇基調に転じた。30年続いた「売上も価格も賃金も何も上がらない時代」が終わりつつある今、日本の製造業は新しい環境の下で何を強みに成長を目指すべきなのか。

9月17日に開催された「TECH+セミナー 製造業DX 2026 Sep. スマートマニュファクチャリング実践 現場価値創出から全体最適へ」に、東京大学 名誉教授の藤本隆宏氏が登壇。日本製造業の歴史と現状を振り返りながら、「付加価値生産性」を軸に2020年代後半の勝ち筋を語った。

賃金も価格も上がる時代へ

藤本氏がまず示したのは、日本の製造業を取り巻く環境が大きな転換点にあるという認識だ。

1990年代初め、中国が世界市場へ本格的に参入した当時、日本と中国の若手の賃金には約20倍の差があったという。日本の製造業は、中国との大きな賃金差というハンデを抱えながらも、生産性を高めることで対抗してきた。

その後、中国では2005年ごろから賃金が上昇し始め、日中の賃金差は縮小した。さらに、日本でも2020年代に入ると労働力不足が顕在化し、賃金や価格が上がり始めた。

  • 製造業における日本の高卒・高専卒平均初任給と中国の平均賃金の推移

    製造業における日本の高卒・高専卒平均初任給と中国の平均賃金の推移

「われわれは30年ぶりに新しい局面に入ったので、何か新しいことを考え、新しい手を打たなければいけない。そういう時代に入っているとお考えいただきたいと思います」(藤本氏)

賃金も価格も上がらないことを前提にしてきた30年が終わった。企業側にも、これまでとは異なる発想が求められる。

「日本製造業は負けた」のか?

新しい勝ち筋を考える前に、藤本氏は「日本製造業衰退論」を改めて問い直した。

1990年ごろからの約30年間、日本の製造業の成長率が低かったこと自体は否定できない。しかし、そんな中でも製造業の付加価値総額は約80兆円から約120兆円へと低成長ながら増加している。工業製品の輸出額も1980年代のピーク時の約40兆円から、2020年代初めには100兆円(2.5倍)に達している。

「(データを見る限り)日本の製造業はそんなに負けていなかったのです」(藤本氏)

一方、製造業の就業者数はピーク時の約1500万人から2010年には約1000万人へ減った。その後は下げ止まったが、この数字を踏まえ、同氏は現在の日本の製造業を「中規模製造業」と位置付ける。

製造業の就業者が2億人近い中国のような「大規模製造業」ではないので、同じ土俵で規模を競うのではなく、日本の製造業が何で勝てるのかを熟考しなければならない。そこで重要になるのが、自分たちが何を得意とし、どこなら勝てるのかを見極めること、つまり「比較優位」だ。

成長産業を追う前に「勝てる場所」を見極める

多くの大企業の中期計画では、AIや半導体などの成長産業がしばしば重点分野に挙げられる。しかし藤本氏は、ある「産業」が成長していることと、その成長産業に参入した企業自身の「事業」が成長できることは別だと指摘する。

「日本の有力企業100社が流行の言説に乗って同じ成長産業に集中すれば、1社で1%のシェアもとれない企業が多く出てきます。世界の成長産業に皆が殺到すれば、そこはレッドオーシャンになるのです」(藤本氏)

言うまでもなく、自社の「事業」の規模は、「産業」の規模と市場シェアの掛け算で決まる。勝ち筋を見極めずに流行の成長産業に殺到すれば、事業は失敗する。

そこで紹介されたのが、同氏が九州で訪れたある窯業関連の企業である。この会社は、一般に成長産業とは呼ばれにくい分野に属しているにもかかわらず、過去10年間で売上は2倍になり、前年には史上最高益を記録。業界最高水準の賃金も実現したという。

重要なのは、流行の成長産業を追うことではなく、自分たちはどこなら勝てるのか、その「勝ち筋」を見極めることなのだ。

日本の比較優位は「めんどくさいものづくり」

では、日本の比較優位はどこにあるのか。

藤本氏が挙げるのが、高度成長期に培われた調整能力やすり合わせ能力である。

工業製品では、デジタル化やモジュラー化によって設計が簡素化した電気製品が後退する一方、自動車や機能性化学など、多くの調整を必要とする製品は伸びてきた。さらに、こうした「すり合わせ」の必要度を製品ごとに指標化し、日本の輸出比率との関係を調べたところ、全ての製品に当てはまるわけではないものの、すり合わせを多く必要とする製品ほど輸出比率が高いという傾向が見られたそうだ。

「日本企業が得意なのは、概して『めんどくさいものづくり』なんです」(藤本氏)

今どう戦うかを考えるのなら、得意とする「すり合わせ型」の製品で勝負するのが合理的だ。ただし、その先の30年後、40年後に向けては、すり合わせだけではない新しい能力を身につける長期的な能力構築戦略も必要である。

価格まで含めた「総力戦」で付加価値生産性を高める

勝てる分野を見極めたら、次はそこでどれだけの付加価値を生み出せるかが課題となる。藤本氏によると、付加価値とは売上から購入費を差し引いた額であり、「付加価値生産性」は従業員1人がどれだけの付加価値額を生み出しているかを示す指標である。

日本経済全体は成長が停滞し、「失われた30年」などと言われたが、日本の製造業の付加価値生産性は、その30年で年間1人当たり約600万円から約1200万円へと倍増した。とはいえ今後、働き手の増加が見込めない中で経済を成長させ、暮らしを豊かにしていくには、付加価値生産性をさらに高める必要があるという。

  • 日本における付加価値生産性の推移

    日本における付加価値生産性の推移

では、どうすればよいのか。

付加価値生産性は「物的労働生産性」「付加価値率」「価格」の3つの要素の掛け算で決まる。

物的労働生産性は生産現場の改善によって高まり、また、付加価値率は設計の合理化(例えば、バリューエンジニアリング:VE)や購買改革(例えば、サプライヤーの生産性向上支援)によって高められる。ただし、この2つだけで付加価値生産性を大きく引き上げるには限界がある。そこで重要になるのが価格だ。

長年の厳しい価格競争を経験した日本企業の多くには、「どうせ値段は上げられない」「価格は顧客が決める」という諦め意識が染み付いていると同氏は指摘する。

「『価格なんて上げられるわけがない』という、ある種の負け癖がついている。これが最大の敵なのです」(藤本氏)

付加価値生産性を高めるには、製造現場の改善だけでなく、設計や購買、値決めまで含めて取り組む必要がある。こうした企業の取り組みを、藤本氏は「総力戦」と表現する。

「良い設計」を「良い価格」で売るのが勝ち筋

その具体例として挙げられたのがトヨタ自動車だ。

トヨタ自動車の付加価値生産性は、藤本氏の試算で年間1人当たり約2500万円。日本の製造業平均の約2倍に当たる。

トヨタ生産方式によって物的労働生産性を高め、VEによって設計を合理化する。さらに製品開発では、開発プロジェクトリーダー(チーフエンジニア)が設計の統括と値決めの双方を担う。現場改善、設計の合理化、商品改善(値決め)を組み合わせることで、付加価値生産性を引き上げているのだ。

同氏は「価格は、設計によって決まる側面がある」と説明する。設計を改善して商品の価値を高めたなら、その分を価格にも反映させる。設計が良くなった分だけ価格が上がるのは、経済学的には「値上げ」ではない。むしろ、設計を良くした分だけきちんと値段を上げないのは、実質的な「値下げ」、それも顧客が望んでいない「無駄な値下げ」である。

物的労働生産性の向上は、企業が生き残るために欠かせない。ただ、それだけでは付加価値生産性を十分に引き上げることはできない。製品の価値を高め、それに見合った価格で売るところまで取り組む「総力戦」によって、初めて「勝つ」ことができるという。

「現場の継続的な改善を続けるという真面目な能力構築路線は、絶対に続けなければいけません。しかしそれに加えて、お客さまを感動させる設計をして、その感動分だけしっかり良いお値段で売っていただきたいのです」(藤本氏)

成長産業を追うだけでなく、自らの比較優位を見極める。そのうえで、現場改善で生産性を高め、設計で生み出した価値を価格に反映する。そうして付加価値生産性を高めることが、藤本氏の示した日本製造業の勝ち筋なのだ。