
『世論』とは何か─。国民の声を聞け、大衆の訴えを汲み取ることが大事ということで、その正当性、公正性を世のリーダーは探り当てようとしているわけだが、今は肝腎の〝国民の声〟や〝大衆の訴え〟が分散し、非常にまとまりが悪い社会になっている。
特に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が登場して以来、この状況が顕著になってきた。事実(ファクト)ではない意見や見方が、ネット社会では瞬時に流布され、弊害も出てきた。
事実とは何か─。筆者は1970年(昭和45年)に新聞社に入り、途中で雑誌の世界に転じたが、『事実』とは何か、についてはいろいろ考えさせられてきた。
1つの事件や問題が起きた時、加害者と被害者の意見は違い、その立場でモノの見方も異なってくる。それを、取材を進めながら、一方的にならないように、できるだけ客観的に、事実に近づこうと努力するのだが、記事を書くことの難しさを痛感させられる。
世論の流れは、メディアによって形成させられることが多い。要は、より客観的に物事を伝えていけるかどうかである。
オールドメディアといわれる新聞やテレビの関係者は裏取りを含めてその努力をしているはずだが、では、客観性とは何か─という問題にも直面する。〝客観的〟に伝えることに努めると、情報を受ける側から、「両論併記で問題のポイントを捉えてていない」という不満が出てくることもある。その隙を突いて、極端な見方、大衆を煽るポピュリズムが生まれる。
特に、政策を立案する政治の領域で、ポピュリズムは起きやすい。公正さを保ちながら、問題の本質(ポイント)にどうたどり着くかという永遠の課題である。