【金融国際派の独り言】長門正貢・元日本郵政社長【 忘れ得ぬ人生の達人たち その1 中山素平さん】

著名な人生の大先輩たちと直接接する、幸運な機会があった。そんな人生の達人たちの逸話を時々ご紹介したい。初回は元日本興業銀行(現みずほ銀行)頭取・中山素平大先輩。

 山一證券救済、近代経済学者達の反対に怯まず八幡・富士製鉄合併、田中角栄首相への直接退陣諫言等、「財界の鞍馬天狗」として大活躍の一方で、『人の序列付けは変』と言って叙勲を辞退、『過去には関心ないし私如きが』と日本経済新聞「私の履歴書」執筆を固辞したり、自身の哲学を淡々と実行する方だった。

 晩年も「一年の計は穀を植え、十年の計は木を植え、百年の計は人を育てる」と、99歳で人生を終えるまで一意専心で国際大学(新潟県)設立に奔走した由だ。

 素っ平さんと初めて長くご一緒したのは1979年2月。テキサス州にあるエクソン最大精油所内の石炭液化計画・視察財界訪問団を率いて、中山興銀相談役が我が勤務地・ヒューストンを訪れた。

 こんな感じだった。訪問団代表に個別車を考えたが「皆さんと一緒のバスで」と飾らない。代表として英語挨拶を急遽することになり、若造・私の急拵え草案を無修正で即・採用する太っ腹。当時ヒューストン勤務だった前エッソ石油(現ENEOS)社長・八城政基氏との懇談では明日の話ばかりの未来志向。

 最後の夜は興銀勢4人だけでの宴だった。数々の体験を開陳され、必ず中山哲学を添える。『君、窮すれば通ずるんだ。問題は解決されるためにある。必死に尽くしていると扉は必ず開くんだ』、『大事よりも小事だ。大事なことは皆な必死に頑張る、だから事件は起きない。

 小事と思い油断しているから失敗する。小事こそ大事なんだ』。もったいない無料講演会だった。

 

 後日のことだ。私の父親が本社に立ち寄った。15階喫茶店で懇談後、父を見送る際「従業員用エレベーター」が混んでいた。ルール違反だが15階で「お客様&幹部用エレベーター」に乗り込んだ。

 2人のエレベーターが降下し、トップ幹部フロア12階で止まる。『まずい!』。ドアが開く。中山相談役と秘書がいる!「行ってらっしゃいませ」と秘書が言い、相談役が乗り込んで来る。「やばい!」。私をよくご存知の相談役が仰る。「どうだあ、最近はあ。上手く行ってるかあ」。相談役は親父も興銀マンと思ったのだ。

 『長門の父でございます。愚息が大変お世話になっております』、『もっと、やばい!』。何と、相談役は90度腰を曲げて最敬礼。『あ、大変失礼致しました。お父上でしたか。大変失礼致しました!』。素っ平さんに最敬礼させた興銀マンは私だけでしょうね。軽やかで気さく、体幹のしっかりした大先輩でした。