『わたしの「対話人生」』国際社会経済研究所理事長・藤沢久美 経営者は、何のために休むのか

経営者に休日はあるのだろうか。様々な会社の社外取締役として、また多くの経営者との対話を通じて、私はしばしばそう考える。もちろん、予定表の上では「休み」と呼ばれる日がある。会社に行かない日もある。家族と過ごす時間もあれば、ゴルフや会食、財界活動に参加する時間もある。

 しかし、それを本当に休みと呼んでよいのか。物理的に会社を離れていても、トップリーダーの頭の中から会社や組織が消えることはほとんどないように見える。

 旅先で見た風景から新規事業のヒントを得る。子どもとの何気ない会話から、若い世代の価値観の変化や普段見落としている人の感情や社会の変化に気づく。読んだ本、訪れた店、出会った人、失敗した体験。そのすべてが、経営者にとっては事業や組織を考える材料になっていく。

 そう考えると、経営者は休んでいる時でさえ、どこかで経営しているのかもしれない。

 では、経営者にとって「休む」とは何なのか。単に労働時間から離れることではない。まして、何も考えない時間を持つことだけでもない。私は、経営者にとっての休息とは、知的判断力を回復させ、研ぎ澄ますための行為ではないかと思う。

 経営とは、決断の連続である。正解のない問いに向き合い、不十分な情報の中で選び、時には孤独に責任を引き受ける。その決断の質を左右するのは、知識や経験だけではない。心身の状態、感情の余白、ものごとを俯瞰する力が大きく影響する。疲弊したままでは、視野は狭くなり、反応は速くても判断は浅くなる。

 だからこそ、経営者には休むことが必要なのだと思う。体を横たえることも休息である。数分間、静かに目を閉じることも休息である。仕事とは無関係に見えるものに触れ、頭の中の組み合わせを変えることも休息である。重要なのは、経営から逃げるためではなく、より良く経営するために休むということだ。

 従業員にとっての休みは、仕事から離れ、自分を取り戻す時間という意味が大きい。一方、経営者にとっての休みは、経営者であり続けるための調律に近いのかもしれない。常に張り詰めた弦は、やがて音を失う。緩めるからこそ、再び強く、美しく鳴る。

 経営は苦しい。けれど、同時に面白い。その面白さを感じ続けるためにも、心が摩耗したまま経営を続けてはならない。人としての感受性を失わないためにも、経営者は休まなければならない。

 休むことは経営から離れることではない。決断の質を高めるための、極めて能動的な経営行為なのであり、その余白こそが、次の一手を生む力になる。

経団連常務理事・岩崎一雄の【 わたしの一冊 】『2075 次世代AIで甦る日本経済』