そんな野口飛行士が3度目の宇宙飛行に挑むことに決めたのは、次の世代に繋がる仕事がしたいと思ったから。民間宇宙船で宇宙飛行の扉を一般の人たちに広げたい。そして2020年11月、野口飛行士は米スペースXのクルードラゴン運用初号機に搭乗、宇宙に飛び立った。米国人以外でクルードラゴン宇宙船に乗った飛行士は、野口飛行士が初めてだ。

  • クルードラゴン船内の野口飛行士

    クルードラゴン船内で (提供:SpaceX)

3回の宇宙飛行で3種類の異なる宇宙船に乗ったのはNASAのジョン・ヤング飛行士以来38年ぶり。しかもその帰還方法は滑走路(スペースシャトル)、砂漠(ソユーズ宇宙船)、海上(クルードラゴン)と異なっている。「世界で初めて3つの異なる方法で宇宙から帰還」したことに対してギネス世界記録に認定された。

もう一つのギネス記録は「15年ぶりの船外活動」。2005年に行った船外活動から15年ぶり、2021年に4回目の船外活動を実施。これは宇宙開発史上最も長いインターバルだった。この船外活動で、野口飛行士は「命の最終地点」に立つ稀有な経験をしている。

船外活動は宇宙飛行士が誰でもやりたがる花形的な仕事だが、リスクも伴う。ISSは築20年以上経ち、宇宙を飛び交うスペースデブリがぶつかってISSの構造物にはとげのような突起ができている場所もある。その突起に宇宙服をひっかけて穴をあけたら命取りになる。

そして15年前の2005年の船外活動と異なっていたのは、ISSが2011年に完成し、サッカー場大の巨大な構造物になっていたことだった。ISSを貫く巨大な橋げた(トラス)の一番端っこで、野口飛行士は新型太陽電池パネル設置のための土台の取り付け作業に従事した。長さ約100mを超えるトラスの先端のさらに先、宇宙空間に向けてヘルメットのライトを照らしても、闇に光が吸い込まれていく。トラスをつかむ自分の指を離したら、宇宙の闇に引きずり込まれ、自分が藻屑になってしまうという恐怖。指一本でISSと繋がり「この先、死」という状況に追い込まれた野口飛行士は、もう一つの危機と戦っていた。

  • 4回目の船外活動を実施中の野口飛行士

    4回目の船外活動を実施中の野口飛行士 (提供:NASA)

船外活動は2人一組で実施することになっているが、船外活動をスタートさせた後、相棒の飛行士の手袋に傷が見つかったのだ。傷が深ければ空気漏れが起こるリスクがある。そうなればすべての作業を中断して野口飛行士が相棒の飛行士を背負って、エアロックに戻らなければならない。闇に襲われる恐怖、難易度の高い作業、相棒からSOSが発せられる可能性。その過酷さは15年前よりはるかに高かったに違いない。6時間56分の船外活動中、地上チームも緊張感に包まれた。野口飛行士は極限環境で土台の取り付けに成功、相棒の手袋の傷は幸いに深くなく、二人の宇宙飛行士はエアロックに生還することができた。

「そういう(危険な)場面に行かなくてもいいんじゃないかな」。野口飛行士は5月25日の会見で、JAXA宇宙飛行士を退職した理由の一つとして吐露した。この言葉に、生と死の瀬戸際で、強い意志で失敗が許されないミッションを成し遂げ、生還した野口飛行士の壮絶な経験や心境を想像せざるを得なかった。

宇宙飛行は危険、それでも大きな意味がある。

  • 宇宙の漆黒の闇を背景にした地球の姿

    宇宙の漆黒の闇を背景にした地球の姿 (提供:NASA)

野口飛行士は今後、総合知を備えた人材育成教育にも尽力したいという。何を伝えたいかを問われ「宇宙に行くこと自体がまだいかに危険なことであるか、人間の身体にとってもまだまだ許容できない部分が多いというシンプルな事実を伝えたい。それでも宇宙で得られる知見と体験が極めて我々にとっては大きな意味があると」と答える。

そして「これから宇宙を目指す子供たちに、明るい未来圏への夢を持ってもらえるように活動を続けたい。文系・理系、健常者・障害者という垣根を超えてみなで新しい総合知に向けて進んでいけるように」と続けた。

宇宙があらゆる人に開かれる場所になってほしい。生き辛さを感じる人の光になるように。その意味で筆者は野口飛行士がトップアスリートや障害のある方たちと取り組む、当事者研究にも心から期待している。その上で、やはり民間宇宙船で飛び立つ野口さんを見たい。もし野口さんがコマンダー(船長)として旅行客を率いるなら、どんな緊急事態でも冷静に対処し、この上なく楽しい宇宙旅行を満喫した上で全員を生還させるに違いないと確信するから。

  • 野口飛行士