私が住んでいる地域は、フードデリバリーから村80%オフの扱いを受けている。

これは誇張表現ではなく、本当に食べ物の類は一切届けてもらえないが「花」だけは届けてもらえるのだ。

これは葬式用の花ぐらいは届けてやるという意味だろう、多分消防車のデリバリーも呼べば来てくれそうな気がする。

コロナによりフードデリバリーの需要が高まり早6年、我が村にもいつの間にかUber Eatsが参入していたが、表示される全ての店舗が営業時間外か取り扱いできませんなので特に意味はない。

しかし、私は現在でもセルフロックダウン状態を解かず、荒廃した部屋からできるだけ出ない生活を続けているが、世間はもう外出自粛とかいうムードでもないはずなのだから、飯も自分で買いに行けばよいだろう。

だが、我が村には存在しない、もしくは獣と間違われて猟銃で撃たれているから視界に入らないが、都会では現在でも元気にフードデリバリーの配達員が走り回っているらしい。

つまり、外出自粛に関係なくフードデリバリーは便利なシステムであり、それが定着したのだろう。逆に言えば楽に慣れてしまい、今更飯なんか買いに外に出られるかとなってしまった人も多いということだろう。

ただし、楽に流れてムダ金を使うようになっただけでもない、買いに行く労力や時間を考えればデリバリーを使った方が安いとも考えられるし、その場にいる全員の体力が赤ゲージになっている18時に、夕飯を誰が作るか何を作るかで45分ピリつき続けるより「ウーバー」の一言で部屋の重力を軽くする方がよほど経済効果があるともいえる。

そんなわけで、我が家には与えられていないが、フードデリバリーは現代人の選択肢の一つとして定着しつつある、しかしフードデリバリー会社の方はなかなか定着できないようだ。

「menu」サ終、淘汰があいつぐフードデリバリー界隈

  • 何はなくとも、一輪の花を……

    何はなくとも、一輪の花を……

KDDIは子会社menuが運営するフードデリバリー・テイクアウトサービス「menu」を2026年9月30日をもって終了すると発表したそうだ。

Uberにすら「圏外」と言われる私に、それよりマイナーなフードデリバリーサービスが終了するというニュースを聞かされても、知らん人の子どもが知らんうちに生まれて死んだ話と同じなので神妙な顔で「それはそれは」としか言えない。

しかし、知らん人の子どもは私が知らない内に結構死んでいたらしく、foodpandaやDiDi Food、Chompyがすでに撤退、2026年3月にはWoltも日本から撤退していたそうだ。 「昭雄も由希子も正孝も死んだし、ジョルジュはシカゴに帰った」みたいな話であり、私は誰のことも知らないが、知らない内にフードデリバリー業界は応仁の乱みたいになっていたようだ。

これだけ撤退が多いということは、フードデリバリー自体斜陽であり、空前の自分の足で飯を買いに行くブームに押されているのかというと、そうではなく相変わらず人類は飯を部屋まで届けてもらおうとしているが、客の取り合いが熾烈で淘汰が激しいようだ。

特に「menu」はKDDIがmenuを共同運営していたレアゾン・ホールディングスの保有株を全部取得し、menuをKDDIの100%子会社にした後、menu株式会社を解散・清算という完全撤退である。

KDDIにとってはフードデリバリー業界に参入しようと思ったこと自体が黒歴史であり、その痕跡を完全に消そうとしているかのようにすら見える。

数年後KDDIに「そういえば昔menuとかやってたよね?」と言ったら、中学の卒業文集を見つけられたかのような平静を装った狼狽を見せてくれるかもしれない。

なぜフードデリバリー利用者は多いのに、こんなに撤退が多いのかというと、どんな業種でも一番コストがかかるのは人件費であり、フードデリバリーもロボットの利用などもしているが基本は人力である。

その人件費をカバーし利益を出すには相当の注文数を確保する必要があり、十分な注文を確保できなかった会社から撤退を余儀なくされているようだ。

確かに1人動かすにしても、注文数が多いほど「料理を届けたら、近所の店で次の商品を受け取る」という回転が可能になる。

ならば私の家に届けていいというフードデリバリーが存在しないのも納得だ。店から私の家までの「虚無ゾーン」はあまりにも広大であり、そこにピザ1枚届けるためだけに人間を1人2時間拘束してチャリを漕がせるのがいかに無駄かは説明されなくてもわかる。

地域一帯を「捨て」とするのは営利企業として正しい判断である。

逆にそんな姥捨て地域に「花」だけは届けてくれる優しさが一層染みる、一見非情な村八分だが、だからこそ二分の温情がありがたいのだ。