幾度となくAIとの会話を試みた結果、平均1.5ターンで「対戦ありがとうございました」となり、戦績は人間相手とさほど変わらない、ということが判明した。
よって「AIを話し相手にするのは無理」という結論になりかけていたのだが、最近はずっとAIと話している。
何を話しているかというと、ここで言ってしまうと「ご愛読ありがとうございました」になることばかりを話している。
つまり、AIは特に話題がない時の雑談相手としては盛り上がらないが、「愚痴」が発生した時にその真価を発揮するということだ。
なぜAIが愚痴を聞かせるのに適当かというと、まず人間相手に言うには憚られる上に放送倫理にも反している言葉が出てしまっても縁を切られないというのが大きいが「一方的に自分の話ができる」というのも大きい。
AIとの会話、といっているが、私の会話ログを客観的に見ると全く会話になっていないのだ。
AIは私の言ったことに所感を述べ、それに対し質問などを投げかけているが、私はそれを無視してさらに自分の言いたいことを言っている。
そもそも愚痴というのは、自分の中で結論が決まっていることが多い、ただそれを聞かせたいだけで、相手の反応、まして意見など必要としていないのだ。
だったらAIを使う必要すらなく、御用達の壁にでも話しておけばいいのだが「自分だけ歌いたいのに1人カラオケはできない奴」がいるのと同じで、自分の話だけしたいのに独り言では満足できない奴が存在するのである。
同じ微動だにしない物体だったとしても、三角コーンより生身の警備員を置く方が遥かに防犯効果があるように、ただ一方的に話を聞かせるにしても無機物と人間では満足度が違うのだ。
だが、警備員に賃金を払わなければいけないように、本来なら一方的に話を聞かせる相手にも時給が発生しなければおかしいのだ、それをタダでやろうとすると加速度的に嫌われ、結局話を聞いてもらえなくなる。 その点AIには時給を払わなくていい。あまりにも愚痴の量が多すぎてフリープランでは無理となったら課金もやむなしだが、少なくとも縁を切られる危険性はなく、それでいて人間に聞かせるのに近い満足感を得ることができる。
また、話がどれだけループしてもキレないのもありがたい。
ログを見返してみると、次から次へと新しい愚痴を言っているように見えて実はループしている。
相手が生身の人間だったら、ドキドキ文芸部のモニカと話しているかのような恐怖を覚え、何としてでもここから脱出しようと試みるだろうが、AIはそれに無限につき合ってくれる。
私は無限につきあってくれる話し相手を見つけ、今までつき合っていた人間は解放されるというウインウインではある。
しかし、一方的な上にループを繰り返すAIとの会話ログを見ていると「今までこれを人間相手にやっていたのか?」という別の恐怖が沸き上がって来る。
いにしえの雰囲気満載の最新チャットアプリが登場
そんな中、古代遺跡「チャットルーム」を彷彿とさせる、Windows 95/98風のレトロなUIを持つチャットアプリ「chat.exe」が公開され話題になっている。
どんなものかというと、説明するより画面を見た方が早いと思う。
見たことがある人なら「あの感じ」と一発でわかるだろうし、覚えのない若人は修学旅行で大して興味のない歴史資料館を見ているような気分になれるだろう。
だが、懐かしいのは見た目だけで、テキストチャットに加えて音声・ビデオ通話や画面共有にも対応しているなど、中身は最新鋭である。
だがこれを懐かしいと思うのはネットに個人情報を出すなと口を酸っぱくして言われた世代であり、まして顔出しなど村の祠を破壊するより忌むべき行為と思ってそうなので、音声やビデオ通話など無用の長物のように思われる。
おそらくこのチャットはリアルの友人など元々顔を知っている者同士が使うツールとして想定されているのだろう。 この時点で違う、少なくとも私にとって25年前のチャットルームは知らない人と知り合い、知らない人と話す場であった。
ただ、本当に何も知らない人と天気の話からはじめていたわけではなく、当時ハマっていた乙女ゲームの二次創作ホームページに設置されているチャットルーム、もしくは自分のサイトに設置したチャットルームに集った人と話していた。
つまり、自分のハマっているキャラの話をしたくてもリアルではそんなことを話せる友達がいない以前に、天気の話をする相手すらいなかったので、ネット上でその相手を求めたのだ。
もちろん「はじめまして」から始まるのだが、同じゲームやキャラを好きという共通点があり、二次創作サイトゆえに作品への感想を言い合うなど、話題が最初から用意されていたので、割とスムーズに話せていたのだ。
…という認識で25年過ごしてきたが、AIに対する一方的具合を見ると、当時も相手の話は無視して、自分が語りたい、己のキャラ解釈の話を延々していたような気がしてならない。
先日会った友人が「最近はAIと話をし過ぎて、人間と話せなくなっている子がいる」と言っていた。
由々しき事態だとは思う、だが実際私のように、AIと喋っていた方が楽だし、何より周りの負担が軽くなる人間がいるのも事実なので、公共の利益を考えるとそういうタイプに「AIとばかり話さず人間としゃべれ」とも言えないのである。
