「あなたは本当にお父さんにそっくりだ」

これは夫が私に言った言葉だが、読むときは嘔吐寸前のため息を交えながら言って欲しい。

確かに私はクローンといって良いほど父に似ているが、見た目の話ではない。

社会性と生活能力値がゼロで装備がパンイチに濡れタオルのみ、というキャラメイクで面白さのピークが終わるゲーム実況者が作ったかのようなステータス、自営業と言う名の無職で一日中同じ部屋の同じ位置で延々テレビやYouTubeを無作為に見ているようで、よくみたら「ずっと同じものを繰り返し見ている」と気づいた時の怖さ。そして社会性のある配偶者の背びれ部分に寄生して生きているという生態まで同じである。

しかし若干コピーが甘いところもある。私は一応自分名義の家の部屋を一つ占拠しているだけにすぎないが、父は妻の母、つまり「義母」が建てた家の部屋を8割自分の領土にする、チンギスハーン級の征服を成し遂げている。また、私が扶養に入れないから国民年金のみなのに対し、父は入れるけど入りたくないから厚生年金を蹴るという誇り高さを見せるなど、私が劣化コピーであることは明らかだ。

それは「部屋」の様相にも表れている。一見私の部屋も父の部屋もただのゴミ屋敷だが、その構成が全く違うのだ。

私の部屋は本物のゴミで構成されており、正直留守中に部屋の物を3割ぐらい捨てられても気づかないし、むしろそういうことが起こってくれないかとさえ思っている。

その一方、父の部屋は「他人から見ればゴミだが本人にとっては全部必要なもの」なのである。よって他人が代わりに片付けるということはできない。何せ全部必要なので、勝手に捨てでもしたら烈火のごとく怒りだす。

確かに、私の部屋にあるのが、菓子やパブロソの空き袋など、ゴミとしか言えないゴミなのに対し、父の部屋を占有しているのは、積み重ねられた古新聞やビデオテープ、そしてカセットテープ類である。

若人に「テープ」という概念を説明するつもりはない。若に今は亡き古のアーティファクトが通じずショックを受けるというのは中高年あるあるだが、よく考えれば知らない奴より知っている俺たちの方が偉いのだ。

若の方こそ、ポケベルが鳴らなくて恋が待ちぼうけしている現象を理解できない無知さを恥じ入るべきである。

つまり、父は記録魔であり、テレビもラジオもとにかく録画録音するし、写真も良く撮る。だが、記録はするがそれを「整理」したりはしないので記録媒体は溜まっていく一方である。

この記録癖は唯一私に全くコピーされなかった点であり、記録や保存、収集には全く興味がない。私の部屋を見た人は「さぞ名の知れたゴミコレクターに違いない」と思うかもしれないが、これは私が集めているのではなく、ゴミが私を慕って集まっているだけだ。

よって今回のニュースは正直ピンとこなかったのだが、現在でも記録の習慣がある人にとっては結構な悲報だったようである。

録画カルチャーの衰退を象徴する「Blu-rayディスク生産終了」

パナソニックが録画用のBlu-rayの生産終了を発表したそうだ。そして競合であるソニーは生産を続けるものの、値上げとなるようである。

何故このような動きになったかというと、資材の不足もあるが、やはり需要自体が減っているのが主な原因のようだ。

最近はクラウドストレージへのデータ保存が普及しているため、わざわざBlu-rayなどの物理にデータを保存する機会は減った。録画に限って言えば、Blu-rayより容量の大きいハードディスクに大量の録画データを入れておくほうが手軽な場合も多くなった。

そして「録画」という行為をする人が減っている。最近はテレビで見逃しても、ネット上で見逃し配信があったりと、リアルタイムや録画で見なくても何らか見る方法が残されている場合が多い。

そもそもテレビを見るという習慣を持つ者自体が減っており、さらにYouTubeやネトフリ、アマプラなどの動画サイトの普及により、動画というのは自分の好きな時に見るものという感覚になりつつある。

視聴者がいつまでも番組の方に合わせ、決まった時間までに風呂、飯、うがい、手水を済ませ、白装束でテレビの前に正座してくれると思うのは甘え、という乱世に突入しているのだ。

確かに私もわざわざ放送時間に合わせてテレビをつけるのは『プロ野球戦力外通告』ぐらいのものであり、最後に録画したのも10年前ぐらいの『プロ野球戦力外通告』である。

もはや私にとってテレビはほぼプロ野球戦力外通告専用機であり、録画機能に関しては突然レコーダーが「飲んだディスクは吐き出さない」という男気のある姿勢を取り出したため使えなくなったが、それで困ったことは特にない。

だがそんな私も小学生ぐらいの時は、ビデオテープにあらゆるバラエティ番組を録画し、何度も見ていた。

当時はネットがないのはもちろん、レンタルビデオ屋も、吉幾三にとってのレーザーディスクぐらい「何者だ?」な施設だったため、ビデオに録画したテレビ番組というのは貴重な娯楽だったのである。

だが現在は、YouTubeを開けばそこそこ面白い動画がいつでも見られてしまうため、わざわざ何かを録画しようという発想がなくなってしまった。

恵まれているともいえるが、コンテンツが雑に消費される時代になってしまったともいえるかもしれない。

そういえば、私も父も同じものを繰り返し見るという癖があるのだが、父は自分が出演したローカルのど自慢の予選や、自分のハガキが読まれた番組の映像を5億回ぐらい繰り返し見ていた。

私も自分の作品をテレビで紹介してもらったことはあるのだが、実は録画しないのはもちろん、一度も見たことがない。

番組内で私の作品が指をさされて罵倒されていたわけではなく、おそらく褒めてもらってもいるのだろう。しかし、私は罵倒も嫌だが、他人が自分を褒めているという状況にも耐えられないのである。

どうせなら自分の活躍シーンを5億回見られる自己肯定感もコピーされてほしかった。