「不幸の手紙」をご存知だろうか。

そんな昔の文化は知らないという人も多いだろうが、私が小学生の時にはすでに、不幸の手紙は「昔流行ったもの」だったのだ。

つまり旧石器時代にはすでに存在したということである。

教訓しかない「ちびまる子ちゃん」不幸の手紙回

私が不幸の手紙の存在を知ったのは、漫画「ちびまる子ちゃん」の作中だった。今思い起こすと、このちびまる子ちゃんの不幸の手紙回は学びの宝庫なので、子供はもちろん、子を持つ親にも一読をお薦めする。

編集注:「ちびまる子ちゃん」の「まる子 不幸の手紙をもらうの巻」は、「ちびまる子ちゃん カラー版 5」に収録。アニメ版はFODで配信されています。

では、子供はもちろん友達もいない中年には関係ない話かというと、「不幸になっても別にいいと思われやすい存在」として大いに関係あるので、これ以上の孤立を防ぐと言う意味でも読む価値がある。

まず不幸の手紙とは、「この手紙を受け取った者は同じ手紙を4人に送らないと不幸になる」というような内容である。

ちびまる子ちゃんの不幸の手紙回も、主人公のまる子が、同様の手紙をクラスメイトの藤木という男子から受け取るところから始まる。

平素は「知備 真流子(68)」というぐらい老獪な動きをするまる子もやはり小学3年生である。不幸の手紙を真に受け、祖父の友蔵と共に恐れおののき、不幸を回避するために不幸の手紙を4通書く。

しかし、誰に送るかという段で、友達はもちろん、他のどうでもいいクラスメメイトにすら「そうは言うても、あいつにも良いところがある、不幸になって良いとは思えない」と、OLが鼻につく同僚に対して行うような「よかった探し」をしてしまい、結局誰にも送れなくなってしまう。

それに対し「それなのに、藤木に不幸になってもいいと思われた、まる子は一体」とCV:山田キートンのツッコミが入るのだが、このツッコミは非常に大事な部分だ。

結局、他人を不幸にするぐらいなら、甘んじて不幸を受け入れることにし、死を覚悟するまる子だが、ここで父ヒロシが登場。「藤木にそんな力があんのか」と言い「オレのケツでも拭いてやらあ」と手紙を破り捨ててしまう。

いつもは酒飲みのだらしない父として登場するヒロシだが、何気に親として100点の対応をしているのが興味深い。

同じヒロシかつ父キャラでも「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしがやたら評価されているのに対し、あまり日の目を見ないほうのヒロシがファインプレーをする回なので、じゃない方のヒロシの勇姿を拝む意味でもこの回は必見だ。

父ヒロシの言葉に目が覚めたまる子は「気にしない、何もしない」と最善策をとり、翌日いつも通り学校にいくのだが、藤木から不幸の手紙を受け取ったのはまる子だけではなかった。しかもその中に、学級委員の丸尾も含まれていた。

この藤木痛恨の人選ミスにより、オタクがネット上でお気持ちを吐露するやつではないリアルの「学級会」が開かれることになってしまう。

吊し上げ糾弾される藤木だが、担任のとりなしにより一応「この話はここまで」とはなる。しかし藤木は「不幸の手紙を送る陰険なやつ」とクラスメイトに後ろ指をさされることになってしまうのだった。

その状況に対し藤木は「不幸の手紙を送ったのに不幸になった俺って一体」と呟くのだが、この言葉は実に深い。

不幸の手紙には何の力もないが、不幸の手紙を巡る己の行動により不幸になる可能性があるという意味で、そんじょそこらの呪いよりも恐ろしい存在なのだ。

根強く残る不幸の手紙には「ヒロシ方式」で対抗

  • 担当が学生時代に遭遇したのは、某番組の実験企画と称したチェーンメール。「メールを止めた人間が転送にかかったパケ代を全額払う」という当時としてはナウい呪いが込められていました…

    担当が学生時代に遭遇したのは、某番組の実験企画と称したチェーンメール。「メールを止めた人間が転送にかかったパケ代を全額払う」という当時としてはナウい呪いが込められていました…

何故いきなりそんな話をし出したかと言うと、老人特有の「突発的昔話」の発作が起こったからではなく、不幸の手紙が令和になっても形を変えて存在したためだ。

先日Twitterで、中学生の娘に友人から「あなたの事大好き!この文章を24時間以内に12人の仲良し友達に回したらもっと仲良くなれるよ!誰にも回さなかったら友達がいないってことだよ!」という趣旨のメッセージがLINEで送られてきて困惑した、というつぶやきが注目を集めた。

「送らないと不幸になる」という文面ではないが、良かれと思って送ってしまい、さらに「メッセージを止める奴には友達がいない」と暗に脅す内容が余計悪質とも言える。

結局この母子も「自分達で止める」と言う選択をしたようだが、メッセージの内容よりも、それを送ってきた友人やその親への対応に苦慮したようである。

不幸の手紙の恐ろしさは、手紙そのものよりも、それに対する対応を誤ることにより、現在の人間関係がギクシャクしてしまう、という点である。

「藤木に不幸になっていいと思われたまる子って一体」とのツッコミ通り、不幸の手紙の件自体が終息しても、「そういうものを送りつけて良い相手だと思われた」事実は一生残るし、最悪そこで関係が終わってしまう。

そのため、チェーンメールの類はどんな内容でも「破いてケツを拭いて捨てる」ヒロシ方式でいくことをお薦めする。

ちなみに、ちびまる子ちゃんの不幸の手紙回のオチは、「今度は遠方に住む昔の文通相手から同様の手紙がきて、学級会で懲らしめるわけにもいかず困る」というものであった。

つまり「どうしても不幸の手紙に類するものを送る場合は、実生活に影響のない、どうでもいいやつに送れ」と言うことだ。

友達はもちろん、これからも生活を共にするクラスメイトに送るなど悪手中の悪手である。

オチにまで含蓄がある、やはりこの回は全人類必読だ。