"映画音楽"。通常、映画作品はキャストや監督、ストーリーが注目されがちだが、映画全体に音楽が与える影響は計り知れない。今回紹介する作曲家・川井憲次はこれまでに、押井守監督作品である『機動警察パトレイバー』や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、『イノセンス』、中田秀夫監督作品である『リング』シリーズなどの音楽を手掛けてきた映画音楽の第一人者だ。川井氏は、映画音楽とどう向き合い、どのように制作しているのか。中田秀夫監督の最新ホラー映画『クロユリ団地』(5月18日公開)での楽曲制作を例に挙げつつ、話を聞いた。

川井憲次
1957年4月23日生まれ、東京都出身。東海大学工学部原子力工学科を中退後、尚美音楽院に入学するも半年で中退。フュージョンバンド「MUSE」にギターリストとして参加し、デビューに向けてバンド活動を行う傍ら色々なアーティストの方や声優の方のバックバンドを務める。バンド解散とともに、自宅録音に興味を覚え、企業VPやCMなどの仕事を始める。その後、音響監督の浅梨なおこと知り合い、劇判の世界に入る。これまでに押井守監督作品である映画『機動警察パトレイバー』(1989年)や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)、『イノセンス』(2004年)、中田秀夫監督作品である『リング』シリーズ、佐藤信介監督作品『GANTZ』(2011年)などの映画音楽を担当している

――映画『クロユリ団地』の楽曲制作にかかった時間と制作した楽曲数を教えて下さい。

制作の期間としては20日間くらいですね。曲数は約20曲。1曲あたり4、5分もないものが多かった気がします。

――通常、川井さんが楽曲制作に取りかかるのは、映画制作のどのタイミングなのでしょうか。

僕の場合は、基本的には映像が完成してからですね。映像を観てみないことには楽曲のイメージも湧いてこないので。

――なるほど。では音楽の入っていない映像を観てから楽曲を作り始めると?

そうですね。CGを入れる部分はまだ完成していないものの、打ち合わせの段階で映像は繋がっているものを観ます。で、そこで監督からどこにどんな音をつけたいのかというリクエストをもらいます。そのリクエストをもとに音を出すタイミングなどを監督と調整し、本格的な楽曲制作を始めます。

――では、監督とふたりで"音"を作り上げていくイメージなのでしょうか。

はい。音響効果のスタッフの方とも作り始める前に打合せを行ったりします。ただ一旦作業に入ってしまうと連絡を取り合うことはないですね。あとはどんな効果音が入ってくるかを想像しながら作っていきます。でも、映画『リング』のときに音響効果の柴崎憲治さんと、同じシーンに同じような音をつけてしまったことがあって……。そのときは両方の音を出してしまえばいいんじゃないかという結論に達し、実際に聴いてみたら、それが上手くいったんです。そのときにホラー作品の場合は音響効果と音楽を分けるべきではないのかもしれない、と思いました。

――この作品の楽曲制作にあたって、中田監督からはどのような要望があったのですか?

まだ僕に仕事の発注もなければ撮影も始まっていない段階で中田監督から電話があって(笑)。童謡風な楽曲をメインにして、それを徐々に崩していくイメージでお願いしたいと言われました。特に"この楽器を使ってほしい"という要望はなかったのですが、映画『リング』のときに中田監督とふたりで開発したバイオリンを使ってヒステリックな音を出す、通称"壊れたバイオリン"と呼んでいる音は今回も使用しています。この音を出す場合は、弓や楽器にとても負担をかけるので、プロのバイオリニストでなく、自分で演奏しているんですよ(笑)

――童謡風な楽曲の音を崩していくというのは?

どこか懐かしさがあって、一見ホッとするような曲なんですけど、童謡としてはちょっとおかしいメロディの上に違和感のある音をさらにのせていくんです。最初はほのぼのした感じで始まり、だんだん恐怖に変わっていくようなイメージです。

13年前から謎の死が続く老朽化した集合住宅「クロユリ団地」。その事実を知らずに越してきた明日香(前田敦子)は、引っ越した夜から隣の部屋から届く「ガリガリガリ……」という不気味な音に悩まされていた。そしてある日、連日鳴り続ける目覚ましをきっかけに隣室で孤独死した老人を発見。その日を境に明日香の周囲で恐ろしい出来事が次々と起こるようになり、特殊清掃員の笹原(成宮寛貴)の助けを借りるのだが……

――今回の楽曲制作のために、新たに取り組んだことはありましたか。

今回の楽曲制作のなかでの挑戦というなら、楽器として何か新しいものを使ったというよりかはメロディでしょうか。今回の楽曲は、メロディだけで聴くと、凄くシンプルで誰もが歌えるようなものなんです。そのメロディをベースに楽曲としての怖さを出していくのが難しかったですね。というのも、あくまでメロディはピッチを変えたりして崩さないで、他の楽器のアレンジで怖さを出していくわけですから。怖くないメロディであればあるほど、怖さを表現するのが難しくなるんです。

――楽曲の制作期間が20日間というのは通常の長さと考えていいものなのでしょうか。

映画『GANTZ』(2011年)のようなアクション満載の映画だったら、この期間では無理でしたね。実はホラー作品は曲数がそれほど多くなく、映画自体もそんなに長くなかったので、今回はこの日数でやることができました。楽曲の制作にかかる時間は、映像を観た段階である程度分かるんです。アクションシーンのように、テンポの早くハデな曲が多く必要な場合は時間がかかります。物理的に音符の数が多いか少ないかが制作時間に直接関係してくるんです。

――では、制作時間の短縮のためにDAWで制作した音なども使っていると。

いえ、そういった理由でDAWは使っていません。生楽器では表現できない楽器や音をDAWで作って、弦楽器やコーラスは全て生音にしているんです。例えば弦楽器は演奏者によって音が変わりますよね? 音が微妙に不規則なものに関しては、やっぱり生音でやりたいという想いがあります。ですから"壊れたバイオリン"や"壊れたチェロ"も自分で演奏しています。ただ、最近は質の良いソフトシンセも出てきていますから、それを使うのもひとつの方法だと思います。これはひとつのテクニックなのですが、ソフトシンセをメイン音源とし、生の楽器を重ねると音に厚みを出すことができるので、時々そういったこともやっています。

川井氏の音楽スタジオの様子

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