前回、5ヶ月にわたるストライキの結果、全米脚本家組合(WGA)が全米映画テレビ制作者協会(AMPTP)との間でAI利用に関する合意を獲得したことを取り上げた。「AIは作家ではない」という点で明確な合意に達したのは、エンターテインメント業界を超えて、生成AIの影響を受けるすべての産業において重要な意味を持つ。→過去の「シリコンバレー101」の回はこちらを参照。
一気に整理が進む動画ストリーミング市場
今回は、WGAがさらに動画ストリーミングに関する合意を引き出したことを取り上げる。それにより、成熟期を迎えた動画ストリーミング市場において勢力図の整理が一気に進む可能性が高まった。
WGAとAMPTPの合意では、最初の年に最低賃金は5%引き上げられ、2024年5月2日に4%、2025年5月5日にはさらに3.5%の賃上げが行われる。また、ストリーミングについて、WGAが求めていた再生数に基づいた新たな契約に合意した。
NetflixやAmazon Primeなどのストリーミングサービスは、オリジナル・シリーズのストリーミング総時間数のデータをWGAに提供し、リリースから90日以内に米国内加入者の20%以上が視聴した作品には、30分エピソードで9,031ドルといったボーナスを支払う。米連邦準備理事会(FRB)が物価上昇率を2%に抑えることを目標に利上げを繰り返す中で、今後3年で平均4%以上の最低賃金引き上げは、生活費の上昇に安定して対処できる好条件を引き出したと言える。
一方、オリジナル作品を制作・提供するストリーミング事業者にとっては、このタイミングでのさらなるコスト増は悩ましい問題だ。CordCutting.comによると、米国では成人の93%が動画ストリーミングサービスを利用している。
新規ユーザーがほとんど残っていない成熟市場であり、ライバルと契約者を奪い合う競争が激化している。契約者をサービスに留めておくために、制作コストが増大してもオリジナルコンテンツは欠かせない。Wall Street Journalによると、WGAのストライキが終了し、まだストライキを継続している映画俳優組合-米テレビ・ラジオ芸術家連盟(SAG-AFTRA)との交渉がまとまるのを待って、Netflixが料金の値上げを計画しているとのこと。
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WGAの合意で映画俳優組合-米テレビ・ラジオ芸術家連盟(SAG-AFTRA)の交渉も進むと期待されたが、10月2日から複数回設けられた議論はまとまらず、再び交渉は中断した(SAG-AFTRAのXから)
しかし、これはNetflixに限ったことではなく、ストライキ終了とともにストリーミングサービスの適正料金を探る動きが加速し、値上げによって消費者がより厳しくサービスを選ぶようになり、競争についていけなくなったサービスの統合が加速すると見られている。動画ストリーミングサービスはこれまでの新市場開拓が優先されていたフェーズから、成熟した市場で生き残りをかけて争うフェーズに移行する。
“希少性”という価値を持つDisney
そうした中、ストリーミングサービス「Disney+」を提供するDisneyが今後10年間で600億ドルをディズニーパークの拡張とクルーズの増隻に投じる計画を発表した。第970回で取り上げたように、同社はストリーミングサービスへの投資や急速な事業拡大が重荷になって、業績不振に陥っており、今年に入って大規模なリストラを進めている。その最中のパーク拡張である。
これはブランド力やテーマパークという強みを活かして自社のコンテンツに新たな命を吹き込む、ウォルト・ディズニー氏の青写真に基づいた事業戦略への回帰と言える。Disneyの事業戦略といば、1957年に描かれたWalt Disney Productionsのシナジー戦略の有名なスケッチ画がある。「映画スタジオの才能」を中心に、テーマパーク、テレビや音楽、出版、物販ライセンスなどいくつかのコアとなる事業へシナジー効果を広げ、企業として「持続的な成長」を実現することを示している。
このスケッチは何度か改訂されており、ウォルト・ディズニー氏が亡くなった翌年のバージョンでは、ディズニーランドが中核に近づいて、映画スタジオに匹敵するほどの重要性を持つようになっている。
経営を立て直すためにDisneyのCEOに復帰したボブ・アイガー氏は、パークが映画スタジオやストリーミングと並んで、今後5年間で最大の成長と価値創造をもたらすと述べている。パークもスター・ウォーズホテルが1年半で営業終了になるなど失敗もあるが、ヒット作の当たり外れの影響を受けやすい映画やストリーミングに比べて安定的に稼げる事業である。2023年4~6月期の営業利益はテレビ放送部門が前年同期比23%減、動画ストリーミングは赤字だったが、パーク部門は11%増だった。
パークの拡張に対し、伝統的な事業への依存がリスクになるとの懸念の声もあるが、ディズニーランドは独自の希少性を生み出す事業であり、それが他にはないDisneyの強みである。
音楽やビデオをストリーミングで楽しむ時代の到来は、聴き放題、見放題のサブスクリプションを一般的にし、コンテンツの希少性が価値を生む経済を終わらせた。音楽はCD、映画はDVDで、ニュースは印刷された新聞や雑誌というように、物理的なものの制約によって成り立っていた需要と供給のバランスの崩壊である。
音楽サービスを契約していれば、どのアーティストの新譜でもリリース直後に聴け、YouTubeでミュージックビデオが公開されていればいつでも無料で楽しめる。だからこそ、ライブのような他では得られない音楽体験が大きな価値を持つようになり、テイラー・スウィフトのワールドツアーが米国だけで50億ドル近い経済効果を生み出すことが起こっている。
ディズニーランドは他にはない希少な体験を提供する。Disney+はNetflixと競合しているが、2つのサービスは目的が全く異なる。Netflixにとってストリーミングはビジネス全体であり、オンラインDVDレンタルサービスを終了させた現在、収益と利益の唯一の原動力だ。
一方、DisneyはDisney+の黒字化を目指しているが、Disney+がもたらす利益はサブスクリプションの売り上げだけではない。映画からDisney+のオリジナルコンテンツが生まれ、テーマパークの新しいアトラクションが生まれ、マーチャンダイジングの機会が生まれ、新しい映画が生まれる。このシナジー効果が全体の持続的成長を生む。
1950年代、テレビの台頭によって手軽に映像コンテンツが消費され、映画館に足を運ぶ人が減少し、映画産業が新たな競争に直面した中で、Disneyはライバルにはないディズニーランドという希少性を確立し、映画スタジオとのシナジー効果によってその後の成長を遂げることができた。Disneyの成長のレシピはストリーミング時代を迎えた今も、同社に希少性という価値をもたらしている。