ChatGPTで話題のOpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏が、同社のほかにもWorldcoinというプロジェクトに取り組んでいるのをご存知だろうか。AIが人々の仕事や社会を変えると考える同氏のもう1つのプロジェクトである。そのWorldcoinが3月14日に「World ID」とWorld ID SDKを発表した。

World IDは分散型のIDプロトコルだ。FIDOのパスワードレス認証「Passkey」と同様のスマートフォンを用いた本人確認に加えて、「The Orb」という虹彩認証イメージングデバイスを用いて商取引や選挙にも使えるような信頼性の高い認証を実現する。名前や電子メールといった個人データを共有することなく、Webサイトやモバイルアプリ、暗号dappsへのシームレスなサインインを可能にする。脆弱なパスワード、人権やプライバシーの問題が指摘される生体認証に代わるデジタル認証になり得る。

World IDは、Worldcoinの最終目標に向けた2番目のステップである。

最初のステップは、アルゼンチン、チリ、インド、ケニア、ポルトガル、スペインといった国でThe Orbを使った虹彩スキャンを開始した。参加して虹彩スキャンを受けた人には25 Worldcoin(Ethereumの「ERC-20」に基づいて発行される予定)を提供する。現時点でWorldcoinの価値は不明だが、「持っていて損はない」と参加が広がり、途上国を中心に30カ国近くで登録者が140万人を超えた(3月末時点)。ポルトガルでは全人口の1%を超えている(2月末時点)。

  • エージェントが「The Orb」を使って虹彩スキャン。虹彩データは「IrisHash」と呼ばれるデジタルコードに変換され、スキャンしたデータは削除される。

世界では、法的なIDを持っていない、または持っていてもデジタル検証されない人が44億人を超える。言い換えると、世界の過半数がインターネット経済にアクセスできない。WorldcoinはThe Orbを使って途上国で登録者を増やし、世界中の人にThe Orbが提供するような信頼性の高いデジタル認証を浸透させようとしている。大きな目標は10億人到達だ。その先にユニバーサル・ベーシックインカムを見据えている。今は世界人口の数%に過ぎない暗号通貨の保有者を世界中に広げることで、それを実現しようとしている。

  • Worldcoinは、ID認証プロトコル(World ID)、間もなくリリースされる予定のWorldcoinトークン、そしてウォレット・アプリの3つから構成される。

アルトマン氏は、AIやロボットが仕事に活用される未来に世界が進む上でベーシックインカムが重要な役割を果たすと考えている。AIとロボットの普及によって、自分の時間を楽しむ人やクリエイティブな仕事により集中する人が増える一方で、仕事を奪われる人も出てくるだろう。ベーシックインカムはAIやロボットが活用される社会において人々の生活を保証するものになるという考え方だ。その点で、WorldcoinはOpenAIのAI研究と表裏一体の関係といえる。

とはいえ、現段階においてアルトマン氏が考えるユニバーサル・ベーシックインカムは思索に過ぎない。Worldcoinも実験的なプロジェクトである。それでもAndreessen HorowitzやLinkedInの共同創業者リード・ホフマン氏のような大物投資家がWorldcoinに関心を示している。なぜか?

優れたアイディアも実際に試してみなければ、思い描くように機能するのか、どのような問題が生じ何を改善できるか、本当のところは分からない。WIREDの取材にアルトマン氏は「多くの小学生が(全ての人にお金を分けるのは)名案だと考えます。でも、私が知る限り、それを真剣な計画に移す人はいません」と語っている。

アルトマン氏がベーシックインカムの実験的なプロジェクトに取り組むのはWorldcoinが初めてではない。インキュベータのY Combinatorのプレジデントだった2016年に、カリフォルニア州オークランドでベーシックインカムの小規模な社会実験を行った。当時ベーシックインカムに対する一定の関心の高まりはあったものの、プロジェクトは難航し、多くの課題を浮き彫りにして終わった。

成否で語るなら「失敗」だったかもしれない。しかし、Y Combinatorで一歩を踏み出したこと、思惑通りには進まなかったプロジェクトからの学びがWorldcoinやOpenAIの研究活動につながる。

Y Combinatorのプロジェクトは実験の成果を大きな議論に広げられなかったが、WorldcoinではAIとベーシックインカムのより掘り下げた議論が展開されている。例えば、経済学者でMicrosoft Researchのリサーチリードであるグレン・ワイル氏が「今日の世界で最も危険な力であると私が確信しているAIのイデオロギーの典型である」とツイートし、虹彩スキャンを進めるプロジェクトにエドワード・スノーデン氏が懸念を示した。賛否両論、逆風の方が強いのが現状だが、もう無風ではない。逆風でも吹いているなら、ジグザグしながら前に進むことができる。

アルトマン氏に対しては大言壮語を指摘する声が少なくない。だが、本当のところは「何を言っているか」ではなく「何をしているか」に現れる。行動が伴う大言は大嘘とは限らない、「They brag most who can do least(もっとも仕事ができないヤツが一番のほら吹き)」なのだ。