デザインに大きな変更はなかったものの、Appleがこの秋に発売した新製品の中で大きな注目を集めている第2世代の「AirPods Pro」。同社は発表イベントでアクティブノイズキャンセリングの向上と共に、周囲との自然なつながりを実現する適応型の外部音取り込みモードの強化をアピールしていた。

「ノイズキャンセリング」と「外部音取り込み」、どちらを重視するかと質問したら大多数の完全ワイヤレスイヤホン・ユーザーが「ノイズキャンセリング」と答えると思う。しかし、イヤホンの大市場の1つである米国で今、オーディオコンテンツを消費するための機能以上に、外部音取り込みのようなイヤホンがユーザーの耳になる機能の価値が注目を集めている。Appleは第2世代AirPods Proの発表でそのことに直接触れてはいなかったが、近年のAirPodsの新機能や機能強化でそれを意識しているのは明らかだ。この秋にAirPods Proの第2世代を投入したのも偶然ではないだろう。

  • サイレンや電動工具などの騒音を最小限に抑えて、周囲の音が快適に聞こえるように外部音を取り込む第2世代「AirPods Pro」

"それ"とはヒアリングエイド、補聴器である。米国ではこれまで補聴器の購入に処方箋が必要だった。それが今年の8月、軽度から中等度の難聴については処方箋を不要とするように米食品医薬品局(FDA)が規制を緩和。10月から店頭販売(OTC:Over-the-Counter)が始まり、WalgreenやCVSといったドラッグストア、WalmartやTARGETなどディスカウントスーパー、家電量販店、携帯電話販売など、様々な小売店で簡単に購入できるようになった。

米国では2900万人(約11人に1人)が補聴器から恩恵を得られると推定されているが、14〜33%しか補聴器を利用していない。診察や処方の手間に加えて、専門店に取り扱いが制限されていて身近な存在ではなく、そうした制限から平均価格が約2,000ドルの補聴器が2〜3倍の価格で販売されていたためだ。

10月に店頭販売が解禁されると、OTC補聴器の競争が始まり、ディスカウントスーパーでは200ドルを下回る補聴器が登場。200ドルから従来の2,000ドル以上まで幅広い価格帯で選べるようになってきた。

拡大・成長が期待される市場を狙って、これまで大手5社によって市場の85%近くが支配されていた補聴器市場において、ここ数カ月の間に新製品の発表が相次いでいる。例えば、ソニーがWS Audiology社と提携し、OTC補聴器「CRE-C10」(999.99ドル)と「CRE-E10」(1299.99ドル)を発売した。HPはオーストラリアのNuhearaと提携し、セルフフィッティング機能を備えたOTC補聴器「HP Hearing PRO」(699ドル)を発売する。

  • ソニーのOTC補聴器「CRE-E10」

難聴の問題に注目しているのは補聴器メーカーだけではない。オープンアクセスジャーナルのiScienceで公開されている研究によると、第2世代のAirPods Pro(小売価格249ドル)でライブリスニングを使用した場合、従来のOTC補聴器とほぼ同等の聴覚補助性能を発揮する。ライブリスニングはiPhoneやiPadをマイクとしてAirPodsと連係させることで、例えば騒がしい場所でも会話相手の声を明瞭に聞き取れるようにする。

AirPods Proは、OTC補聴器として販売するための基準を全て満たしてはいない。OTC補聴器の代わりになるものではないが、AirPods Proは外音を快適に聞けるデバイスである。Appleは2021年に5,800万台ものAirPodsを販売したと推定される(2021年に米国で販売された補聴器は500万台未満)。老人に見られたくないといった理由から補聴器の使用をためらう人は多く、難聴になってから実際に装着するまで5〜7年かかると報告されている。軽〜中度の難聴の人がAirPods Proのようなイヤホンを通じて外音取り込みの効果に気付くことで、それが短くなる可能性がある。

また、Wall Street Journalに対して、UCサンフランシスコの教授で耳鼻咽喉科主任のチャールズ・リム氏は「(従来の)補聴器の技術はそれほど高度なものではありませんでした」と指摘している。OTC補聴器の解禁によって、補聴器と消費者向けオーディオ技術が融合し、両端でイノベーションが刺激されている。消費者オーディオの技術は空間オーディオから骨伝導まで多岐にわたり、補聴器よりはるかに速く進んでいる。OTC補聴器市場が拡大し、新たな参入者が現れるにつれ、補聴器にも最新の機能が採用され、一方で消費者向けオーディオデバイスにも聴覚補助機能が搭載され始めている。

難聴は高齢者だけが経験することではない。使いやすくて高機能な補聴デバイスが眼鏡のように気軽に導入できるようになることで、多くの人が軽〜中度の難聴のまま暮らしている状況が改善する。そうした耳を強化するイヤホンの使い方の進化が、音による拡張現実のようなワイヤレスイヤホンの新たな可能性につながる。