最近の報道で目立つのが脱炭素社会実現に向けた国/産業界レベルの取り組みの本格化である。少し前まで“環境に配慮する企業”は大手企業のPRや投資家向けのテーマであったが、地球温暖化が人間社会に与える影響が顕著になってきた近年、脱炭素社会実現への取り組み度合いはその企業の将来性そのものを示す重要な企業指標の1つとなってきている。
“Carbon Free(脱炭素)”は収益性、生産性、キャッシュフローなどの伝統的な企業指標だけでは企業の持続性を読み切れない現代社会で企業に求められる必須条件である。化石燃料社会を支えた中東産油国の有力国の1つUAE(アラブ首長国連邦)が「18兆円を投じて2050年までに温暖化ガスの排出量をゼロにする計画」を発表、グリーン化を積極的に進めるEUが「グリーンボンド(環境債)を発行し1.5兆円を調達」、などという報道を見ると、温暖化による環境変化が抜き差しならない状況になってきていることを実感する。今や、人間社会は地球規模でその本気度を試されているのである。
さて、供給不足と今後の生産設備増強のための大型投資ばかりがハイライトされる半導体業界であるが、装置産業の代表格であるのに、環境分野での積極的な姿勢は顕著ではなかった。そこへきて世界最大のファウンドリ会社TSMCがリーダーシップを発揮する発表をした。
電力と水を大量消費する半導体業界
半導体製造には大量の水と膨大な電力消費が伴う。水平分業化が急速に進んだ半導体デバイス業界は、今やファブレス、IDM(垂直統合型)と製造を一手に引き受けるファウンドリ会社にはっきり分かれたが、巨大ファブを運営するIDMとファウンドリ会社にとって、その規模が拡大するにつれて、環境への配慮は大きなチャレンジとなる。今日、半導体業界は旺盛な需要に応えるために新たなファブ建設ラッシュを迎えているが、新たなファブの建設にとって、企業誘致のための資金援助や税法上の優遇も重要な条件であるが、それよりも重要な必須条件は大量の水の確保と低コストの電力の安定供給源である。
私は30年の半導体業界での経験で工場での就労経験はないが、営業最前線にいても工場の事情にはいろいろと関わった。デバイス業界の工場はすべての工程がスーパー・クリーンルーム化されているので、工場現場を肌で感じ取る機会はあまりなかったが、シリコンウェハの業界では、運転現場を間近で見ることが何度もあって、水と電気の消費については経験値として実感する。半導体製造サプライチェーンの上流にあるシリコンインゴットの製造現場で見た光景ははっきりと記憶に残っている。高熱で溶解した高純度のシリコン材料が石英でできた“耐熱るつぼ”の中でゆっくり回っていて、それを反時計回りにゆっくりと引き上げる製造過程は高炉に備え付けられたのぞき窓から見ることができ、「これはまるで小規模な溶鉱炉だな」と感じたことがある。
工場運営では大小の事故はつきものである。AMD勤務の時、まだシリコンバレーに工場が存在していた時代、工場のミスで少量の未処理工業用水が地下に沁みだして、基準値以上の化学物質が流出したことが発覚して、地域住民から大きな反発を受け大問題となったことがあった。ローカルテレビのニュースで「AMDはすでに対策はしっかり打っていて、問題ありません。現在の水道水はこの通り安全です」、と言ってAMDのPR担当者がテレビカメラの前で水道水をコップで飲むシーンが何度も放映された事などもあった。
半導体産業は水と電気を単に大量消費するだけではなく、トランジスタ構造の劇的な改良と、プロセス/パッケージ技術の絶え間ないイノベーションによって、高集積デバイスの高速化とともに物理的に上昇せざるを得ない消費電力を見事に低減させることによって、環境改善に大きく貢献してきたのも事実である。ひと昔ではスーパーコンピュータ並みの超高性能を、スマートフォン(スマホ)に実現し、一日に一回の充電で動作させる技術は驚嘆すべきものと言わざるを得ない。
以前に、AMDのCTOだったジョン・イースト氏がインタビューで、「最初のTTLゲートの消費電力は50mWもあった。もし微細加工による消費電力の低減がなくトランジスタの増加とともに消費電力がそのまま上昇していたならば、現在のマルチコアCPUを実装するスマートフォン(スマホ)の駆動には原子力発電所の一基分の電力が必要になっていただろう」と語っていたのは印象深い。
ファブの脱炭素化に向けた大胆な取り組みを発表したTSMC
自動車産業界は相変わらずの半導体供給不足とその影響による減産に喘いでいる。半導体各社も増産の計画を次々と発表して、供給不足の対応に追われているがこの状態はしばらく続く予想である。そんな中で、世界最大のファウンドリ会社であるTSMCが「2050年までに二酸化炭素排出ゼロを達成する」という大胆な目標を発表した。半導体産業のリーダー企業としては当然の動きである。ファウンドリビジネスへの本格参入と新たなFab建設を開始しているIntelも同様の発表をしている。しかし、その達成への道のりは容易ではない。TSMCは一企業で台湾全土の発電量の5%を消費する最大消費企業だ。年間の水の使用量も6300トンという桁違いの使用量だ。今年の水不足が懸念される台湾政府にとっても頭の痛い問題だ。
再生可能エネルギーへの切り替えによるグリーン化はともすれば生産コスト上昇を招く。それに対応するための工場のさらなる効率改善が必須となる。各プロセスに最適化された室内温度、気圧、湿度管理などをセグメント化して行い、さらなる効率改善などが考えられている。これには膨大なデータの解析と予測が必要になってくるので、機械学習による計算能力の飛躍的な向上も検討されている。また半導体製造には、ウェハのエッチングや洗浄に多品種で大量のガスを使う。この中で地球温暖化の原因とされているフッ素化合物系のガスの対策として、代替品の選定/試験などもすでに実施されているという。
半導体というと電子工学やコンピュータ・サイエンスなどの分野が注目されがちだが、製造現場で活躍するのはむしろ物理・化学・統計・測定技術分野のエンジニア達である。これまでの半導体微細化の驚異的な発展を可能とした彼らの今後の活躍に期待したい。