このHPC関連ニュースのまとめ

・HPE Spaceborne Computer-4をAstrolabの月面探査ローバー「FLIP」に搭載
・月面でHPCベンチマーク、RAG、ビジョン推論、LiDAR処理などを実行
・キオクシア製SSDにデータを保存し、分析結果や知見を地球へ送信

Hewlett Packard Enterprise(HPE)は10月20日(米国時間)、月面で高性能コンピューティング(HPC)とAIを実行する「HPE Spaceborne Computer-4」を発表した。

同システムはAstrolabの月面探査ローバー「FLIP」へ搭載され、NASAのCommercial Lunar Payload Services(CLPS)プログラムの一環として実施されるMoon Base IIミッションで運用する。2026年後半の打ち上げを予定している。

  • Astrolabの月面探査ローバー「FLIP」
  • Astrolabの月面探査ローバー「FLIP」
  • Astrolabの月面探査ローバー「FLIP」 (提供:HPE)

AstroboticのGriffin着陸船で月面へ輸送し、月面南極のノビレ・クレーター西縁付近への着陸を計画する。着陸後は、HPE Spaceborne Computer-4を搭載するFLIPを展開し、探査活動を開始する。

HPEは国際宇宙ステーション(ISS)で、HPCやAIを宇宙空間で稼働させるSpaceborne Computerの実証を続けてきた。Spaceborne Computer-4では演算基盤をISSから月面へ広げ、地球から離れた場所でデータを保存・処理し、必要な判断を行うための技術を検証する。

月面でHPLとHPCGを実行

HPE Spaceborne Computer-4では、スパコンの性能評価に用いられるHigh Performance LINPACK(HPL)と、共役勾配法を用いるHigh Performance Conjugate Gradients(HPCG)を月面で実行する。

HPLは連立一次方程式を解く際の演算性能を測定し、HPCGはメモリアクセスやプロセッサ間通信を含む、実際の科学技術計算に近い処理性能を評価するベンチマークとなる。

月面環境では、利用できる電力や冷却能力、設置スペース、重量が厳しく制限される。地上のデータセンターとは異なる条件でCPUとGPUの演算性能や熱特性を測定し、将来の月面探査や研究活動に必要となるコンピューティング基盤の設計へ反映する。

HPE Spaceborne Computer-4は、低消費電力CPUとGPUを搭載した軽量・自己完結型・ファンレスのコンピューティングモジュールとして設計されている。

月面南極における大きな温度変化や真空、放射線、通信制約などの条件下でHPCとAIを継続的に稼働させ、その性能と信頼性を検証する。

月面でRAGとビジョン推論を検証

AIワークロードでは、LLMを用いたRAG、画像データを解析するビジョン推論、自律的なシステム監視などを実施する。

RAGでは、月面側へ保存した運用マニュアルや技術文書をLLMが検索し、必要な情報を抽出・解釈できるかを検証する。インターネットや地上のデータセンターへ常時接続しなくても、探査や機器運用に必要な情報を取得できる環境を目指す。

NASAは、地球、月、ISSのデータで学習したAIニューラルネットワークモデルを実行し、3つの独立したAIモデルが協調して動作する仕組みを検証する。

また、意味解析機能を備えたチューニング済みLLMを使い、HPE Spaceborne Computer-4に保存した文書の検索と解釈を支援する。

説明会では、この実験を地球、ISS、月面からなる3ノードの連合学習へ発展させる構想も示された。各拠点の生データを移動させず、学習結果や更新したモデルのみを共有することで、通信量を抑えながら複数拠点の知見をAIへ反映する。

LiDARで月面の地図を作成

FLIPへ搭載するLiDARから得られるデータを月面で処理し、地図作成、ナビゲーション、地形解析、将来のインフラ開発に活用する実験も行う。

月面ではGPSを利用できず、地球との通信には遅延がある。ローバーが取得した地形データや画像を現地で処理し、自身の位置や周囲の危険を判断できる自律機能が重要になる。

また、NASAのジェット推進研究所(JPL)が火星探査で活用してきた機械学習ベースの位置推定技術を月面で試す計画もあるという。

キオクシア製SSDへ保存した地形図と、FLIPのカメラやLiDARが取得した周辺データを照合し、ローバーの位置を推定。地球側から指定した地点の間を半自律的に移動し、クレーターなどの危険な地形を回避するための技術として活用するとしている。

月面で生まれるデータを現地で処理

FLIPには複数のペイロードが搭載され、ローバー本体のテレメトリに加え、科学観測機器やカメラ、LiDARなどから大量のデータが生成される。

しかし、月面と地球を結ぶ通信帯域は限られており、すべての生データを地球へ送信することは難しい。通信できない時間帯に備えて、データを月面側へ保持する必要もある。

Astrolabは、近い将来に月から得られる最も価値の高い輸出物はデータになる一方、そのデータを地球へ送信することが大きなコストになると説明している。

そこでHPE Spaceborne Computer-4は、月面でデータを保存・処理し、重要な情報や分析結果を選別して地球へ送信する。異常発生時には保存済みの詳細データを参照し、原因解析へ利用できるようにする。

データが生成される場所の近くで処理することで、通信量と地球側での処理負荷を抑え、科学的な発見やミッション上の判断に必要な時間を短縮する狙いだ。

キオクシア製SSDを搭載

HPE Spaceborne Computer-4のストレージには、キオクシア製SSDが採用される。SSDにはHDDのような機械的な可動部分がなく、小型化、低消費電力化、大容量化に適している。打ち上げ時の振動や衝撃が加わり、現地で容易に交換できない宇宙ミッションにおいて、データを保存し続ける役割を担う。

すでにキオクシアはISSで運用されているSpaceborne Computer-2にもSSDを提供しており、宇宙環境におけるフラッシュメモリの動作データを蓄積してきた。

今回のミッションでは、ISS内部よりも厳しい月面環境へ適用範囲を広げ、AI、HPC、ローバーのテレメトリ、観測機器が生成するデータを保存する。

NASAなどがAIワークロードを実行

HPE Spaceborne Computer-4では、NASAに加えてBooz Allen HamiltonとDeloitteもAIワークロードを実行する。

Booz Allen Hamiltonは、ISS上のHPE Spaceborne Computer-2でHPEと実施したAIプロジェクトを発展させ、AI基盤「A2E2」を展開する。遠隔地でも比較的簡素で電力効率の高いAI利用を実現できるかを検証する。

Deloitteは、サイバー侵入検知システム「Silent Shield」を活用し、ほぼリアルタイムの予測型サイバー分析と異常検知を行う。

月面のコンピューティング基盤は、通信に制約があり、障害が発生しても地上から直接修理できない。システム自身が異常や攻撃の兆候を検出し、必要な対処を行える運用環境の確立が求められる。

HPEは、AIサービスをコンテナ環境で実行し、複数のAIアプリケーションを月面へ展開・管理できることも実証する。

ソフトウェアで月面環境への耐性を確保

HPEはISSでの運用を通じ、「Hardening with Software」と呼ぶソフトウェアによる耐障害化技術を開発してきた。

システムの状態を継続的に監視し、放射線などによる異常や障害の兆候を検知する。問題が発生した場合には、正常な状態へ復旧したり、利用可能な機能を維持しながら段階的に運用状態を変更したりする。

すべてのハードウェアを宇宙専用品とするのではなく、商用技術を基盤としながら、ソフトウェアによって宇宙環境で必要となる信頼性を補う考え方だ。

Spaceborne Computer-4では、真空中での冷却、月面の温度変化、放射線に加え、FLIPへ搭載するためのサイズと重量の制約にも対応する必要がある。

ISSで培ったソフトウェアスタックと運用技術を進化させ、小型のモジュールでHPCとAIを継続的に動作させる。

地球側はHPE Private Cloudで支援

ミッションは、カリフォルニア州ホーソーンにあるAstrolabのミッションコントロールセンターから運用する。地球側にはHPE Private Cloudを活用するターンキーソリューションを構築し、月面で取得・解析したデータからリアルタイムの知見を提供する。

  • Astrolabのミッションコントロールセンター

    Astrolabのミッションコントロールセンター (提供:HPE)

「HPE CloudOps Software」によってワークロードの管理と自動化を行い、月面のHPE Spaceborne Computer-4と地球上のコンピューティング基盤を連携させる。HPEは、月面で得られた分析結果や知見を安全に地球へ届けるためのソフトウェアスイートも構築した。

宇宙側のエッジコンピューティングと地上側のプライベートクラウドを一体的に運用し、データの保存、処理、転送、ワークロード管理を支える。

ISSから月面、宇宙データセンターへ

HPEは2017年に初代Spaceborne ComputerをISSへ投入して以降、市販技術を基盤とするサーバが宇宙環境で稼働できることを検証してきた。

その後、Spaceborne Computer-2などを通じ、AI、画像処理、医療、自然災害対策、3Dプリンティング、5Gなどの実験をISS上で実施。データを地球へ送信して処理するのではなく、宇宙で処理して結果を地球へ送るエッジコンピューティング環境を構築してきた。

Spaceborne Computer-4は、その演算環境を地球低軌道から月面へ広げるものとなる。ISSで検証したAIモデルや運用技術を月面で再評価し、より大きな通信遅延や厳しい環境条件で利用できるかを確認する。

将来的な軌道上・月面データセンターには、電力、冷却、通信、保守、機器輸送などの課題が残る。HPEは、Moon Base IIミッションでHPCとAIを月面稼働させ、地球と連携して運用することで、将来の月面探査、新たな月面経済、宇宙データセンターを支えるコンピューティング基盤の確立につなげるとしている。